私が旅先でカフェに行く理由
私は旅行先でカフェに入るのが好きだ。
チェーン店ではなく、その土地にしかないカフェ。
カフェで何をするわけでもなく、どこのカフェに入ってもだいたいドリップコーヒーかラテを頼む。
正直、旅行先ですることじゃないよな、と思うことも多い。
よく聞いているラジオで「どうして好きなんだろうと意識していないことを深掘りすると、その裏側にその人の『らしさ』がある」と言っていたので、考えてみることにした。
そもそもカフェ巡りをする理由
単純にコーヒーが好き
昔はコーヒーの苦味が苦手だったけど、品川で出会ったおいしいコナコーヒーのおかげで少しずつ飲めるようになった。
さらにコーヒー豆の産地によって味に違いがあると知って、コーヒーの魅力にハマっていった。
お店で焙煎したり、ハンドドリップで淹れたりコーヒーの味に力を入れているカフェもたくさんあって、「このお店のコーヒーはどんな感じだろう」と気になって色々なカフェに行くようになった。
その時のことを書いたのがこちらのnote。
家ではない非日常空間
お店によって違った雰囲気が味わえるのもカフェ巡りの魅力だと思っている。
振り返ってみると、自分好みの雰囲気やインテリアが置いてあるお店を選んでいるように感じる。
好きな空間で好きなコーヒーを飲む。
私にとってはご褒美時間だ。
私がカフェに求めているものは
コーヒーを通した体験なのかもしれない。
では旅先でカフェに入る理由は?
旅の目的がカフェ
そもそもカフェに行くのが旅の目的だったりする。
おいしいコーヒーを飲むと旅行がより充実したものになると思っている。
河口湖へ行ったときは富士山が見えるベーカリーカフェへ。
那須では川沿いで紅葉を見ながらコーヒーを飲み、熱海では海を眺めながらチルタイム…。
その土地の景色を味わいながらカフェで過ごすのが旅の目的になっている。
私にとっては、その場所でしか味わえない空間へ行くことに意味があるし、
非日常の中に日常を
わざわざ旅行先でカフェに入るのは、知らない土地へ訪れる高揚感と不安を落ち着かせるためでもある。
慣れない旅先で一息つくために、少しはしゃぎすぎてつかれたと感じたときに、気持ちを切り替えるためにカフェに入ることもある。
コーヒーを飲む「いつもの行為」でほっとする時間を意識的に設けているのだ。
楽しさのあまり自分を見失わないためにも、旅行という非日常の中に日常を取り入れている。
暮らしに溶け込む
その土地の食べ物や飲み物をいただくうちにその土地になじんでいく感覚を覚えたことはないだろうか。
人々の会話、方言などを聞くと、知らないところに来たと実感するとともに、その空間に溶け込んでいく気がする。
特にそれを感じたのが大学生のときにカナダへ語学留学をしたときだ。
現地のカフェを訪れたとき、童顔で完全なアジア人の私にカフェスタッフは、ゆっくり英語を喋ってくれるわけでもないし、なんならプライベートな会話をさくっとしてくる。
緊張していた私をふんわりと受け入れてくれたような気がして安心した。
席について周りを見渡すと、当たり前だがそれぞれに好きな時間を過ごしている。
私も同じように好きなことをして過ごす。
そのうちに知らない場所だけど、そこに溶け込んでいく不思議な感覚になった。
ずっとカナダに住んでいたようなそんな気持ちになったのだ。
この不思議な感覚の病みつきになってしまい、知らない土地では積極的にカフェに入るようになっていった。
おわり
私は知らない場所へ行くのが好きだ。
よく知っている場所でもこの道は近道かもしれないと探検するのも好きだ。
頭の中に作っている地図をアップデートして、自分の生活を広げていくゲームみたいでとても楽しい。
旅行先でカフェに入るのもこれの延長なのだと思う。
「もし自分がこの土地で生活したら」と妄想しながら頭の中の地図を更新していく。
ここまで考えてみたけど、冒頭の「らしさ」みたいなものはよく分からなかった。
素敵なカフェを求めて知らない土地を歩き回る「散歩の達人」にでもなりたいんかな…。
考えたことをつらつらと取り留めもなく綴ったけれど、人の考えはコロコロと変わるものなので、1ヶ月後には違うことを考えているかもしれない。
最後まで読んでくださった人の中で、この部分ってどういうこと?とか、ここ共感できるなと思う人がいたらぜひお話してみたいです。
おわり。
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