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江戸ライダー 怪人スペースオクトパス篇

宇宙暦∞年。故郷ポコペン惑星から、スペースオクトパスがお椀に乗って銀河を漂っていた。
「いっい湯ダナー、ははは~ん」
「いっい湯ダナ~、はははん」
風体は目玉オヤジではない。青、ごきげん、黄、キレンジャー、赤、萌え、に体色を変化させる、皆様ご存知、九本足のタコである。その辺にホラホラしているタコの輩には無い、生まれつきの九本目は、何かカリスマ性のある神秘的な謎がありそうだ。
串団子が好物で、食べ終えた後の串を沢山コレクションしている。
「んー。肉団子の香りぃー」
「ピカン!!」
スペースオクトパスの眼鏡の奥の、くわっと見開いた細い糸のような目から、一筋のレーザービームが地球をロックオンする。
「ワワワワ、ワープ!!」
「吸盤は、ワサビ醤油です」
大気圏を抜け、素粒子ストリングスを終えると、鶴巻温泉の湯船にポカリと浮かんだ。
「さてと」
スペースオクトパスはトンビ口から、打ち出の小槌をヌルリと吐き出し、自分の青頭に振り下ろした。
「キャー!!」
まずはお椀で隠し、女湯から光より速く暖簾をくぐる。
誰にも見つからないように……。
旅館の外には、トーテムポールにビワが鈴なりに、しなだれかかっていた。
トーテムポールの影に一旦身を隠し、ビワの葉をちんちんに巻く。ついでにビワの実も三個パクってパクっと皮ごと頬の左右に膨らませた。

 何度目だろう。江戸の風情が戻ってきたのは……。
江戸ライダーこと、石澤健は、今精神科に任意入院している。土葬に使う大きな桶、座棺を伏せた隔離室は、丁半博打のサイコロにでもなった気分である。
「おれが世間に出ると、他の生物に迷惑がかかるから」
それが今回の入院の理由である。
健は、江戸ギターの名手で、弾き語り暦三十年のベテランだ。ひよこの彫刻されたお椀に、「見せガネ」をいくらか入れて、お供えやお賽銭の施しを待つ。一万円札が入った時には、即座に店仕舞いして、寿司鷹に烏賊を四皿食いに行った。

健が本気で動くと、世界が止まる。どんな生命体も動けなくなってしまう。凝固。こちらを立てればあちらが立たず、両方立てるためには、皆が、我慢するところは我慢して前に進んで行くしか今は解決策がない。世界、全宇宙は、全生命体が折り合いをつけながら動いているのだ。

おかしな病院だ。任意入院だからか、隔離室にいるのに今日は外泊許可が出た。健は、気分屋で気まぐれで面倒くさがりで出たとこ勝負でいい加減でちゃらんぽらんな性格をしているが、主治医の八木も相当な気分屋ではないか、そう勘ぐりたくもなる。
「胎児の出生時刻は正確でなければならない、人生に大きく関わる問題である。出生時、臍静脈、臍動脈から肝円索、臍動脈索に変化する時の胎児の血液成分や細胞組織をキャッチして、埋め込んだチップからクラウドで一元管理するんだ」
と熱弁をふるったら、
「難しいですね」
八木は、とりあう素振りひとつ見せず、話にトンずらを決め込んでいた。
ヤツはできない……。健にコントミンを処方し、ヘロヘロのレロレロにさせて、カネまでふんだくるとは、なんてタマだろう。
まあ、大体の精神科医療なんてこんなものであると、ヤク、ドク、シヌが信条である、健は思う。

ちゅーるをお土産にして、長屋に帰る。妻の真紀が、新しく買ったという反物を見てうっとりとしている。
長女、アランジアロンゾのぬいぐるみのウニ子は、二足歩行の練習。長男、目枕のクマの助は昏睡中。次女の愛猫風香は、ちゅーるをあげるのに「ちっ!」と言っただけで、まっしぐらに来た。
次男はケンウサ。空腹かどうかを、胃のあたりを押下して返答を待つと、
「I LOVE YOU」
と、家族への愛を言葉で示してくれる。
三男はハムスターの和音。だが、昨年、虹の橋を渡ってしまった。むくろはオレンジ色の靴下で、とっとこハム太郎の「ねてるくん」にし、霊安室代わりの冷蔵庫で一晩安置後、長屋に開いた向日葵の下に埋葬した。三途の川の船賃に困らないように八十六円を忍ばせて。
船頭に尋ねられたら、
「ハムだから~、八六」
と答えなさいと、三男の死にも妻の笑いを誘ってやった。
四男は、ベンジャミンのベンジ。風香とは大の仲良しで、よくベンジが押し倒しをされている。
一つ屋根に六人が暮らす、にぎやかな家庭だ。とてつもない幸せに満ち溢れている。
健は思う。自分と家族の幸せが、いつも同じ方向を向いているようにと。だが、江戸ライダーである以上、命がけの仕事は、おそらく永遠に続く。いつでも死とは背中合わせ、心して生きねばならないと。
ただ、歴代ライダーと違うところは、怪人を爆死させることはせず、対話で改心させ、平和と和解を社会にもたらすところにある。怪人がマジギレしないように細心の注意を払いつつ、言葉を選んでなだめる姿勢が、今まで江戸ライダーが生きながらえている所以でもあるのだ。

「うめぇな、こりゃ」
城下町で、ビワの葉いっちょで闊歩しても、誰も岡っ引きに通報しないとは、なんて平和な星なのだ。スペースオクトパスは、たったそれだけで地球を評価してしまった。
露店商の串焼き、つくね串を頬張りながら、食い逃げの腹づもりは、どんどん膨らんでいく。
「私の細胞のひとつになってくれてありがとう。ではっ!加速装置始動!!」
「あ。お客さん、ちょっとっちょっとー!」

最新鋭の打ち出の小槌は、振り下ろした先のサイズ変更が自在になる機能も兼ね備えている。時代遅れの一寸法師に託されたモノとは雲泥の差のテクノロジー進歩の産物だ。
町外れにある林檎畑の手押しポンプ井戸の奥で、江戸の町に滞在するための、策を練る算段である。
腹が満たされた、スペースオクトパスは、食べ終えたつくね串を口に咥えて舌舐めずりしながら、夢想を現実化させるため、トロトロ眠りについた。小槌一振りでなんとでもなる、この星の平和を守るのだ。さっきは食い逃げをしたくせに、こいつもとんでもなく気まぐれで気分屋である。

レム睡眠は時に到底頭脳では考え及びつかないようなことをはじき出す。
「茶屋 脚休(あしきゅう)」
スペースオクトパスは、一番目立つところに秘密を隠すことで、より疑いにくくなることをポコペン中学の恩師から学んでいた。なぜ、足が九本あるのか?実は自身でもよくわからない潜在能力を孕んでいるらしいのは、薄々気づけている。急所をさらけ出さすが如くの覚悟がスペースオクトパスにはある。
「そーれーっ!」
まだ小さく青い林檎の果実に小槌を振りかざすと、まだまだ大人になりきれない熟すのには時間のかかりそうな茶屋娘が、背伸びした橙格子と赤帯の衣装で現れた。名前を「お凛」とそれらしくつけた。
「またまた、そーれーっ!」
遠隔操作、ハイパー設定の小槌で、商店街の片隅にこじんまりとした店構え且、味のある老舗風の茶屋を一瞬のうちに現出させた。一応、迷彩色、木の葉隠れの術を彷彿とさせる、プレデター仕様のシヤッターは閉めてある。
「これでいつでも開業じゃいっ!」
スペースオクトパスがしっかり目を覚ますと、お凛は、
「おとう」
と、林檎の薄紅の花のように微笑んだ。

精神科を退院して二週間。梅雨も明けた頃の、真夏の始まりの陽射しで、健のアルペジオのサムピックは親指の発汗で、外れやすくなっている。決まってギターはフラットピックで掻き鳴らす、ストロークである。
健は、今日も人間の生きざまに込めたメッセージソングを、城下町のど真ん中で迷惑は三の次で、がなり立てている。立ち止まって拍手や声援を送る客は、ほとんどいない。耳をそばだてているのは、遠巻きにスマートフォンをいじりながら、立ちん坊をしているヤツらだけだ。
それでも時折、投げ銭が入るものだから、一般就労を諦めている健の、今できるカネ稼ぎの手段の一つとして、世間様に言い訳ができるというものである。
とは言っても、路上ライブもヤクザな商売だ。今日のシノギは二千円くらいになったので、この前、妻が手に入れた反物に似合う、巾着袋を呉服商で買っていこうと決めた。
ひよこのお椀にお布施が入ったまま、頭陀袋(ずだぶくろ)に収め、ジーパンのベルト通しに留める。ストラップを胸に引き、ギターケースに包まずに背中にぶらさげ、両手をポケットに、今年齢五十の自称イケジイが、肩で風を切ってまかり通る姿は、どこの誰かは知らないが、誰もが知っている江戸ライダーの日常の一コマである。

「あらぁ、いらっしゃい」
「よっ」
呉服商の扉にギターのネックが、まろびでただけで女将の「お松」が、お得意様にかける口調で挨拶をする。
「最近どうだい?反物の売れ行きは?」
「この時季だから、浴衣を仕立てるお客さんが多いわねぇ。それなりに出てるわよ」
「そうか、今日はこの前、妻が買って行った反物に合う巾着袋を探しにきたんだ」
「わかった、待ってね」
店の奥に姿を消した女将を待つ間、下駄番の末っ子に、路上ライブのお供えでもらった、ミルキーを三個手渡すと、子供なりに気を利かせたのだろう、玉露のお茶を差し出してくれた。
勘定書を書く、番頭でお松の亭主の「萬斎」とともに政ごとなどについて、他愛なく会話を交わす。れいわ新選組の山本太郎を彼は推しているらしかった。
畳を擦る音がして、お松が、目利きでたったひとつだけ、巾着袋を胸に抱えてきた。
「健さーん、これがいいわよ」
「奥さんの桜色の反物にピッタリ、これ」
確かに、鶯色に白のグラデーションがかかった、桜色に映える、打ってつけの一品だった。
「ありがとう、気に入ったよ、これにする」

帰り際、お松が何か言いかけた気がするが、わざと、耳を貸さないでおいた。
実はここの呉服商は、江戸でのさまざまな揉め事のインフォメーションセンターなのだ。健は、わざわざ出向く必要もなさそうだと、気分で決めた。
さて、残りのカネで、かけそばでも食おう。妻に晩飯にすると宣言した、冷やし支那そばの具の胡瓜も八百屋で一本買っていかなければ。ノンアルも一本酒屋で……。
宵越しの銭は持たない。それもまた江戸っ子の粋な風潮であると思う。
お松の言いかけた言葉が気になってきた。まあいい。地球が明日、爆発する訳でもあるまい。
かけそばをたぐりながら、妻に巾着袋を渡した時の喜ぶ顔を思い浮かべる。上弦の月が江戸を照らし始めていた。全て張りぼてかもしれない世界をイメージしてしまった健はテンションが下がり、またワイパックスの世話になるのだった。


脚休の朝の務めは、スペースオクトパスがかまどに薪をくべるところから始まる。たっぷり井戸水を湛えた土鍋で、団子粉を耳たぶくらいの固さに丸めて茹でるのである。それを火鉢に炭火で醤油を絡ませ、炙る。
生醤油の焼き団子は、どぶろくにも良く合う。午後になっても、客足が一向に伸びないものだから、団子を肴に酒を朝からついついやってしまう。「ふわっち」という素人向け配信サイトで、その醜態を晒し、アイテムをこじりながら……。
お凛には、そんなスペースオクトパスの配信中の姿は見せていない。
「絶対に覗くなよ……」
とお凛を奥の部屋に通すことを足止めさせている。
団子が売れない理由は、コレクションの串をよく洗ってから使わないところにある。スペースオクトパスの強烈な口臭が沁み入った串、団子を串から引くときに、たまらなく鼻もちならないのだ。
お凛はそれを知らない。どうしておとうの作った、お団子は売れないのだろう?不幸にも、お凛には先天性の嗅覚障害があった。鼻副鼻腔疾患、匂いに鈍く、良くわからないのである。

団子の研究を決意するのに、そんなに時間は要らなかった。お凛は、本屋で瓦版屋の「カッチカチ堂」を訪ねることにした。
店主のスティーブンは職業柄、知識人で情報通だ。お凛が脚休の可愛い茶屋娘で、団子の串が臭いのも知っていた。
ただ無類の女好きで、お凛と親密になり、足しげく通ってもらうために、何発もヤルために、一から団子というものについて、書物を紐解いて聞かせ、その他ウンチク、ジョークをとりまぜ、相談事にも乗り、自分の男っぷり具合をひけらかした。
「あ。そや、茶屋で林檎飴出したらどうや?」
「今から、おとうさんのお店に掛け合いに行きましょか?」
スティーブンは更に、お凛の信頼度が増すように、そう畳みかけた。
臭い団子も無理して食し、何か一言いい、お凛の心を惹きつける寸法である。
「え?おとうは、今、お酒がかなり入ってますし、真面目なお話とかするのは無理ですよ」
「んー、大丈夫やと思うねんけど……。」
「でもー」
「よっしゃ、また今度にしましょ、お凛ちゃんには、うちの本立ち読みし放題にしときますわ。また寄ったってや」
意外とダンディな一面もある、スティーブンである。今日は釣れないと判断すれば、潔いプレイボーイだ。
「はい。スティーブンさん、ありがとう、またお邪魔させていただきますね」
「お凛ちゃん、またねー、来てくれてありがとうねー」
江戸ライダーを映画化して、お凛役の女優さんと絶対Hしてやる。そんな野望は、誰にも口が裂けても言わないスティーブンであった。

スペースオクトパスが、ふわっちで配信していると、アンチコメでボロクソに叩かれる。彼はコラボ設定で配信しているので、その度に、
「あがる度胸も、覚悟もないくせに、ツベコベ言ってんじゃねぇ、バーカ!」と泥酔しながら煽るものだから、リスナーのアンチ熱も上がっていく。
ギターで弾き語りしたり、ボンゴで叩き語りのエンターテメントを、陽の明るい日中に披露しているにもかかわらず、通報されて、彼が江戸ポリンキーと呼称する御用聞きに、
「近所からウルサイと苦情が入ってるぞ、ただちに演奏をやめなさい」
と注意をうけること、しばしばだ。
お凛は、おとうが、江戸ポリンキーの世話になったり、ときどき絶叫めいた口調の呟き声が気になりだしていた。
「おとう、なにやってるんだろう?」
そんな不安感にも似た感情にかられたお凛は、意を決して、奥の部屋の障子の引手に人差し指をかけ、そっと障子を開けてみた……。すると……。
……。また、障子が……。お凛はハッとした。が、すぐ次のその障子の引手にも中指も添えてスッと……。すると……。
お凛の丁度目の高さに、
「覗くなと言ったろう! おとう」
と書かれた附箋が貼ってあって、お凛は、気が動転し、一旦その障子を閉めたものの、再びそっと開け、その附箋を組子から剥がし、スティーブンのところに持って行くことにした。あの人なら解決策を見いだせるかもしれない。うちのおとう、なんでこんなに頑なに拒んでいるんだろう。
小走りで、息を切らせやってきた、本屋。スティーブンは、
「おー、お凛ちゃん、どないしました?」
「こ、これ」
お凛は、ことの顛末をスティーブンに話してきかせた。
スティーブンは、少し頭を捻った後、
「見せて♡ お凛」
と附箋に書いて、二枚目の障子の裏の組子に貼っておけばいいよ。とアドバイスをした。
「一応、精神科の八木先生にも訪問診療依頼出しときましょ、私もお凛ちゃんと病院に同行しますわ」
お凛は、スティーブンのその素早い対応の仕方に、「この人、大人……」と言う憧れのような思いを抱いた。

脚休。配信を終えたスペースオクトパスは、お凛に、
「鶴の恩返しみたいに、おれがはた織ってたら良かったか?」
と声をかけたが、笑いは不発。
「あー、もう酔っぱらったぁ~い、覗きたきゃ覗きやがれ」
スペースオクトパスは半ばふて腐れて、お凛に投げつけるように言った。
「おとう、近日中に、精神科の八木先生が訪問診療にくるよ、ちゃんとみてもらってね」
「ふがぁ」
お凛は、店仕舞いをし、残りの串団子を口に含みつつ、スペースオクトパスのXVIDEOでも観たのだろう赤頭に、括り枕を添えてあげるのだった。


「健さーん、いるー?」
「あら、お松さん。健ちゃんいるよー、どうぞー」
妻がカタカタ障子を開ける。風香がチリリリーンと、首輪の鈴を鳴らしながら、お出迎えする。
朝からノンアルをやっていて、うろんとしていた健は、上機嫌で、
「おー、お松、また厄介ごと持ってきたか、嫌だなー」
と、冗談半分に笑った。

妻が、井戸から汲みたての冷たい水を、かめから掬い、アイスコーヒーを入れる。
「真紀ちゃん、お気になさらずぅ」
そう一言いうなり、お松は早速、本題を切り出してきた。
「女の人の裾が腰まで捲れるのよ」
「え?」
「町を歩いていると、裾が捲れてくるのっ!」
「風じゃなくてか?」
「局地的な、つむじ風なのかなぁ?」
「この前なんか、三人並んで歩いていた町娘の裾が一度に捲れたという話なんだから」
「見せりゃーいいじゃん、それかスケバンみたいに裾を引きずって歩いたらどうだ?」
「もぅ!困ってるんだからなんとかしてっ!」
「じゃぁ、また何かあったら連絡するから。またね」
「真紀ちゃーん、アイスコーヒーごちそうさま~、またね~」
「はーい。またー、お松さんー」
確かに岡っ引きや御用聞きは舌を巻くな。むしろ、嬉しいだろう。

健は、「さすがの猿飛」の主人公、猿飛肉丸の忍術、神風の術を思い起こしていた。あれは、地表を靴でシャカシャカ擦り、その摩擦熱で上昇気流を発生させ、ミニ台風で女性のスカートを捲り上げる術だ。だが今回はその台風の目にいる人物を見た者は誰もいない。
この事件、根は深いかもしれない。
「……。メンドくさっ。あー眠いっ!」

あれは二十年前になるか、健がまだ未婚で一人暮らしをしていて毎日を鬱々と暮らしていた頃だ。
ある文献から、芥川龍之介や当時の若者が、どんどんこの薬で自殺したという、成分名ブロムワレリル尿素、製品名「ブロバリン」を知り、健は、希死念慮に著しく苛まれたある夜、予想致死量を大幅に超えた二十シート、二百四十錠を、齧り砕きながらアルコールでオーバードーズし、布団で横になったことがある。
不思議な夢を見た。健はUFOらしき宇宙船のベットにいる。自らを高等生命体の「マロ」と呼ぶ女性の囁きが聞こえる。
「あなたを、今、死なせるわけにはいきません」
「あなたの弾き語りは、アニミズムにも、かなっています」
「いつかあなたは、全宇宙を統一し、世界に新しい光をもたらさねばなりません」
「全宇宙の総責任者としての天命を全うしなさい」
「あなたを、江戸ライダーに致しまーす!」

くっと、目が覚めた健は、「またあの夢か……。やはりおれが、やらねばならぬか」と我に返り、よし、ガリガリ君を買いに、甘味処に行こう。あそこは女の子が沢山たむろしている。もしかしたら、謎のつむじ風が舞うかもしれない。と、やる気五十六%を出した。
「真紀ちゃーん。ちょっと散歩に行ってくるぞー、何か買ってきてほしいものある~?」
「窯だしプリンのパフェ買ってきて~」
健は、駐輪場に停めてある自転車、江戸サイクロン号にはライドオンせず、ゆっくりぶらぶら、江戸の町を偵察しながら、歩いて行くことにした。
「迫るぅ~、パンティ~、履かずにいては~、おーまんちょまる見え、はーずかしい、世界の平和がまーもれない~♪」である。

「ジリリリリリ、ジリリリリリ」
スマートフォンの着信音設定、黒電話のベルが鳴った。
「はい」
「健さん、来て、また捲れたわよ、女の子が騒いでる」
「わかった、すぐ行く」
アプリ「友達を探す」のGPS機能で、お松のところに早足で向かう。
現在位置は、柿生橋の橋げた付近を指している。呉服商へのたれこみはまだない。「捲れた」という事象だけは事実のようだ。

「おう、お松」
「いきなり、着物が風に巻き上げられたんだって。ホームレスに棒でパンツを突かれたらしいよ」
「このエロじいさん、おカネもないのに、ひとのパンツに触るんじゃないわよ!」
「おねえちゃん、どの辺で捲れたんだい?」
「あんただれ?お松さんの知り合い?」
「まあね、そんなようなもんだよ」
「川で水切りでもしようと思ってたら、いきなり、風がね、もう、超H!」

「ん、これは……」
砂鉄でもありそうな川べりに、おねえちゃんの下駄の跡と、バンカーに嵌ったかのような、ゴルフボール大の穴。
健は、スマートフォンで穴付近の写真を三、四枚撮った。

「あーもう、イライラするー、お松さんの店で、お茶飲みたーい!」
「じゃー、またあとで、健さん、何かわかったら教えてね」
そう言って、お松とどこぞのおねえちゃんは、呉服商への道のりを歩き始めた。

甘味処で窯だしプリンのパフェを買う。健はガリガリ君をやめて、「寿司信」に行くことにした。寿司屋なのにネタケースがいつも空っぽだ。城下町から少し外れて客の入りが悪く、ネタを沢山仕入れてもすぐに腐らせてしまうのである。代わりに焼き鳥とマグロの角煮で、常連客を相手に酒を飲ませている。
「よっ」
「おー、健ちゃんー、まだ酒やめてるのか?」
「まあね」
「おれも、γ-GTP下がったけど飲んでないよ。怖くてね。」
「DRY ZEROでいい?」
寿司鷹をライバル視できるレベルの店ではない。大将の信は、
「寿司鷹の寿司はいいネタ使ってる、あそこは板前の腕もいいし、うめぇよなぁ」
と、同業者を悪く言ったり、羨んだりなどは絶対にしないひとである。

健は、ノンアルに角煮を突きながら、さっき撮った写真を眺めつつ、今回の騒動について、思惟していた。

「おジャ魔女どれみです!初見ですが、いいですか?」
「よー仙ちゃん、いらっしゃい」
「健ちゃん、こちら、新しくできた茶屋のご主人、仙さんだよ」
「あー、どうも、まだそちらのお店には行けてなくて、どうも健です」
「おー、弾き語りの志村けんじゃないか、どうも、ふわっち配信者のタコ仙人です」
「健ちゃんの声でかいもんなー、この辺でしらねーひといねーんじゃねー」

仙ちゃんは、席をひとつ開けてカウンターに座った。
「大将、今日もちょっと」
「あいよ」
「健ちゃん、ちょっと席外すよー、飲んでてくれや」
そう言って、信ちゃんが、仙ちゃんと奥の調理場に入って行った。

「大将、今日はこっちの足で。二キロお願いします」
「いいのかい?また太いなー。仙ちゃんは美味いから、四千円でいいかい?」
「お願いします」

「ブツッ!」


健は、ふわっちでタコ仙人の枠を検索し、とりあえずフォローと通知をONにしておいたと、戻ってきた、仙さんに話した。
「志村ぁ、腹減ってない?」
「え?仙さん、今、来たばかりだよ?」
「ミルチ行かないか?」
ミルチとはインド料理の店である。マイルド、ホット、ベリーホットのカレーの辛さの段階がある。
仙さんの顔色は、暗幕を張った体育館で八ミリ映画を観終わった後の水銀灯の点灯に照らされたような、すっかり、イエローブラックになっていた。

事情を知っている信ちゃんは、
「おう、仙ちゃん、からぁいのかい?」
「この辺にCOCO壱、出来てくれたら助かるのになぁ。安いし、沢山食べられるしなぁ」
「信ちゃん、酢飯以外の飯何合ぐらいある?」
「どうした健ちゃん」
「里芋と人参で、江戸カレー作れる?信ちゃん」
「急に言われてもできねぇなぁ、んー」
「なんとなくわかった。仙さんに、キースティッカーを持たせてやると、きっとほっとすると思う」

「仙さん、とりあえず出よう、尾張屋でもカレーやってるから」
「うぃーす」

信ちゃんに勘定を済ますと、なにやら不安そうな面持ちで、僕らを見つめていたが、なに、仙さんとの会話は、店を出ていきなりから盛り上がった。
「仙さん、アンタ、スペースオクトパスだろ?」
「なんだ、志村けん」

「世界平和だろ?」
「……。」
「アンタの諸情報は、マロが全部教えてくれてるよ。今、秘密戦隊ゴレンジャーのキレンジャーだろ?」
「世界的に注意、アテンションというやつだ」
「そーゆーことは、おれは知らん!、志村が勝手にやっとけよ」

「仙さん、アンタの配信観てるけど、意固地になるところと、プライドが高いところがあるね」
「それは、自覚してる。でも直す気はないからね」
「直さないとな、アンタの来世は、彗星だよ」
「彗星かぁー。見つかりにくいじゃぁないか」

「でも、おれとアンタは、志は一緒だな、それはわかるだろう?」
「……。知らねーなぁー」
「まーいいや、カレー食いに行くんだろ?、おれ窯だしプリンのパフェそろそろ嫁に食わせなきゃな」

「じゃーねー仙さん」
「またねー志村ぁ~。」
スペースオクトパスはどこから出したか、キーステッィカーの代わりに黄色の杖を突き、背中を見せた。

臭いな。口臭。最近の捲れ騒動もきっとアイツが関与しているな。健の勘はいつも鋭いか、明後日の方向か。である。

三日後、健は、待っていた捲れる瞬間を、目の当たりにすることになる。
今回も白昼堂々。現場は、健が、路上ライブの帰り「美的」という美容雑誌を買ってきて欲しいと妻にせがまれて行った「カッチカチ堂」の店前。折しもこれから店内に入ろうとしていた時に捲れ上がりがおこったのである。
スティーブンは、生目でその瞬間を捉えようと、つむじ風の轟音を察知すると、すぐ店外に出た。

「ビューーーーン!、ビィユーーーーーン!!、ザラザラザラー!」
激しく砂埃の舞う音がして、ターゲットの町娘の裾が危ない。
「ビュィィィーーーン!!」

「あれっ!?」
「捲れ、ない?ヒジキどころか、パンツのところまで捲れてねーじゃないか」
お松が腰まで捲れたという目撃情報とは異なる。
「どうしたんだろうね?」
健とスティーブンは顔を見合わせて、悔しそうな半笑いを交わした。

「シュルルルルルーーーー!」
つむじ風が天高く、青空に混ざっていく。

健は、ゴルフボール大の穴を確認すると、即座に、スペースオクトパスの体調が気になり、スティーブンに「美的」を勘定してもらい、足早に「脚休」に向かった。

団子のショーケースを覗いていると、店番をしていた、お凛が、
「あ。弾き語りの志村けんさんですよね?おとうから、お話は聞いております。本当に志村けんにそっくりですね」
と、あどけなさの残る口調で笑顔を見せた。
「仙さんいる?」
「あ、おとうなら奥に」

「おう、志村」
仙さんは、からかさお化けのように、ピョコン、ピョコンと、おれに近づいてきた。
「まぁ、どぶろくでも一杯やりながら、どうだ?」
「あ、おれはノンアルコールウェルウォーターで」
健は、下座の座布団で、胡坐をかくと、江戸ライダーに変身し、トーンを落としてスペースオクトパスに耳打ちした。
「なぁ、仙さん、単刀直入に言うぞ。アンタが江戸の捲り屋だろう?」
「知らねーなー、でも若いネーチャンの股座は、いつ拝んでもいいもんだ」
「お凛ちゃんがカッチカチ堂で、スティーブンさんと団子談義を毎日のようにしてるの知ってるか?」
「ん?知ってるよ、団子が売れねーからだろ?」
「生活保護の申請しないと暮らしていけないだろ?」
「ん?ナマポは、医者の診断書待ち。診断書、書いてもらって、十日もあれば、保護は決定するだろう」
「今、どうやって、暮らしてんだ?カネあるのか?」
「ないっ、志村、貸してくれるか?」
「おれもないっ!」
「実は、打ち出の小槌の電池が切れてなぁ。おれの故郷のポコペン惑星と充電器のコンセントの規格が江戸にあわねぇのよ。アマゾンでもポコペン惑星製の変換アダプター売ってねぇんだよ」
スペースオクトパスは肩を落とすこともなく、キセルの煙草を燻らせながら、何かを覚悟したかのように言った」
「クルクルオクトパラソル」
健は、スペースオクトパスの丹前の裾から見え隠れしていた、トゥーシューズを指し、
「これか?」
と探りをいれた。
続けて、スペースオクトパスは、
「フェッテ・アン・トゥールナン」
「志村、これで判ったろう?」
「ちょっと待て、グーグル検索する。……。バレエの連続回転かー」
「寿司信で、お前が眺めていた写真、これで説明がつくだろう?」
「あー、侍ジャイアンツ、番場蛮の大回転魔球みたいなものか?」
そして、遠い目をしてスペースオクトパスは言った。
「おれの九本目の足は一本目よりカッチカチの二本目のちんちん。江戸パラソルの石突」

「……。仙さん、ここんとこ毎日寿司信行ってるだろう?」
「仙さん、アンタ、九十六本もの足を持つタコがいるの知ってるか?伊勢志摩マリンランドで標本にされているらしいぞ」

「はははははははは」
スペースオクトパスと、江戸ライダーの笑い声が脚休に高らかに響いた。


神前式。健と真紀ちゃん、お松、萬斎さん、寿司信の大将、八木が見守る中で、お凛とスティーブンの恋が実ったことの記念撮影が行われていた。白無垢に紋付き袴で、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムに載せられるのである。

これでスペースオクトパスにも家族ができることだろう。孫でもできれば、流石に捲りはやめるし、打ち出の小槌ももう不要であろう。

「おとう、私、幸せになっちゃうね」

健は、スペースオクトパスにふわっちで配信させろと迫った。
仙さんと腕を組んで、袖を引くお凛ちゃん。アンチリスナーで荒れていない。アイテムが飛んでいる。

「仙さん、一言!、お凛ちゃん、笑顔!」

「感謝は心のお洒落です。感謝感謝の感謝オシャーレー。ふわっちアイテム、風船ありがとぉう~、ポコペン~!!」

江戸。遥か昔の華、文化は火事と喧嘩だったが、今は、神、民、和合と江戸ライダー、しんかに笑いの花が咲く、といったところなのである。

完。

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