児童相談所、50,51日目。「今年とか来年とかではなくて、今」
11月から12月にかけて自宅待機が続いた。入所する子がいなかったんだけど、今日、2021年の大晦日は一人の子と一緒にここ、児童相談所の一時保護所で過ごす。といっても、大晦日だからといって消灯時間が変わることもなく、いつも通りの時間にテレビを消して、いつも通りの時間に部屋の電気を消した。そして僕も、いつも通りの時間に、テレビもなにもない部屋でこうして文章を書いている。
きっと今日は今年はこうだったとか、来年はこうしたいと思う人も多いかと思うけど、ここにいる子どもたちは、昨日とか明日がどうとか、今年がどうだったとか、来年はこうだとかよりも「今、この時がどうか」のほうが重要な時間の過ごし方をしている。
いつも通りにボードゲームで盛り上がり、いつもどおりに夕飯を静かに食べて、さっきまでUNOで盛り上がって。「今、この時」を生きることに必死で明日が正月とか、来年は2022年だとか関係ないんだよね。
でもきっと、今を必死に生きることでしか、すべての過去を肯定することができないし、子どもたちにとってそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。
2021年の4月から児童相談所、一時保護所の夜間補助員として子どもたちと関わってきて、早いもので51回目の出勤となった今日。それが大晦日というのも僕がここに辿り着いた理由のような、運命のような、これからの課題のような面白い感情を与えてくれている。”一般的”ではない日々を過ごす子どもたちといっしょに、”一般的”ではない大晦日を過ごすことは、さまざまな問題に対して考えることができる一つの経験になるような気がして。
大手を振って「誰かを助けたい」なんてことはまったく思わないんだけど、なにかに行き詰まった子どもたちや、その親や、周りにいる大人や、とにかくいろんな人が、だらしのない僕みたいな人間からなにかのきっかけを獲得して生きることが多少でも容易くなったら嬉しいのです。
明日新年を迎える。
来年、どれくらいの人と関わるのかなんてわからないけど、どこかの誰かが「人生、もうちょっと生きてみよっかな」って思えるような、そんな関わり方ができたらなって思います。今年は、本当にここ、一時保護所で出会った子どもたちにたくさんのことを教わりました。来年もまた、たくさんいろんなことを子どもたちと交換できたらいいなって思います。
それでは、良いお年をお迎えください。読んでくださり感謝です。