児相27日目。「万物斉同」
万物斉同:人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説。人の相対的な知を否定した荘子そうしの思想(goo辞書より)
ここに来る子どもたちは、「なぜ私がここに来なければいけないのか?」という疑問を持つことが多いかもしれない。その問いに対して「あの家に生まれたからだ」とか「あの両親だからだ」とか、今の現状を嘆くと同時に、それ以外の選択肢があれば違っていたはずだと考えることもあるだろう。
おそらくそれは、ここに来る子どもたちだけでなく、その子どもたちを育てようとした親や養育者、いや、僕たちを含めた人間誰しもが
「もし、あの選択をしていたならこうなっていないはずだ」
と考えたことは一度はあると思う。でも、中国の思想家である荘子はそのように後悔することは愚かだと言った。それを表した言葉が冒頭にあげた”万物斉同”という言葉。
過去に戻って別の選択を選べない以上、「別の選択をしていれば…」や「別の選択があれば…」などの後悔は、現状を嘆くための恰好の表現にしかならない。ただ、だからと言ってそれを子どもたちにストレートに伝えることにはなにも意味がなくて、遠回しに、嘘も方便的な手法で子どもたちに気づいてもらいたいと思うし、それに気づくことで過去に執着せず、未来はこれからいくらでも変えることができるし、最終的によいことを思考していることができれば、「これでよかった」と人生に納得できるはずだって思う。
すべての出来事は偶然に起きた結果でしかなくて、明日がどうなるかなんか誰にもわからなくて。だからこそ、ここで過ごした時間や、ここで受け取ったさまざまな感情を後悔や非難に使うのではなくて、人生を開拓するために使って欲しいなって思う。
彼女は「どうやって死のうかな」と言いながらも、笑顔で「できるなら早めに結婚したい」と言った。人生なんていつどうなるかわからない、偶然の一方向へのベクトルの上を進んでいるけど、いつの時間を切り取っても彼女の人生が彼女自身で納得できるものになっていればいいなと思いながら今日もたわいもない会話で笑った。