《エピソード37・SEXの先にあるもの。愛の執着駅。》弱冠20歳で1000万超えの借金、鬱、自殺未遂、親との確執。からの逆転人生を実現させたリアル話。
始まりはサヨナラの向こうに
長く湿度のある恋愛が終わった。6年もの間に“人の命“を奪い、傷付けあい、そして抱きしめあった。男と女のリアルな触れ合いは様々な感情を作り上げて、様々なことを起こした。物語のようで当たり前のようで。でも、終わってしまえばそこにはもう何もない。思い出は段々と消える。
体の関係の行き先
今、あの頃に抱きしめ合った女性を考えてみると関係性が続いていないことに気づく。抱きしめ合うほどの仲になったはずなのに、近づきすぎた男女はその後必ず「別れ」が訪れる。愛したはずなのに、それは永遠ではなく途中で途絶えてしまうんだ。
異性を愛し続けること。
あの時、手の届かない場所にいたS子やそのほかの異性。付き合うことで手の届くところにくると、いずれ抱きしめ合い距離が密接になる。
振り返ってみると、愛情がより強いのは手が届く前ではないのか。そう感じた。
体だけの関係を持った異性とは、どうしてもその欲求を繰り返し求めてしまう。そこにはもうゴールは存在しない。言ってしまえば、ゴールを越えた惰性でしか無くなってしまう。ゴールの先に何を求めるのだろうか。永遠の愛。終わらないトキメキ。実はそこにそんなものは存在していない。
一度手にした体と心は、それをピークに希少性が失われていく。そして馴れ合いになり腐れ縁に変わる。
会えない時期はトキメキや希少性を取り戻す薬になるのかもしれない。そして会えない期間が長ければ長いほど希少性は戻ってくる。でも、有限である人の生き道の中で待てる時間も、トキメクことができる時間も限界があって、距離や時間は必ずしも愛を存続させてはくれない。
離れれば離れるほど記憶から消えていくように、時間が経てばたつほど残像が薄れていくように、人はその埋め合わせを他者に求めようとするんだ。
終わりのない物語
人と人との触れ合いの欲求には終わりがない。人である以上誰かの温もりを求め続けるけれど、その先には必ず「別れ」で物語が終わる。「サヨナラ」の言葉がピリオドを打つかもしれない。「死」がピリオドを打つのかもしれない。人との出会いにはそうやって必ず終わりが来るんだ。
終わることのない欲求の物語には、終わりが必ずくるという皮肉がこめられたこの日々の中に、どんな意味を持たせてどんなものにしていくのかは僕たち自身に託されている。
辿り着いたSEXの中にでも、辿り着けなかった愛の中にでも、答えや意味づけは自由にできる。もしかしたら、必ず終わるが故にその物語は自由に題名をつけることができるのかもしれない。
自由だからこそある人にとっては愛は残酷になり、ある人にとっては愛は力になったりする。
僕は命を奪った残像と、愛し続けたいという欲求から女性との関係を持つのをやめた。関係をもたないからこそ、始まりもなく終わりのない物語。プラトニックをそこに求めたかった。
失う怖さと消えていく感情に震えたあの日々が、その意味を作った。
だからこそ、プラトニックな愛に溢れた日々を手に入れた。短期的な欲求を捨てて長期的な欲求に手を伸ばしたからこそ愛に溢れる日々になった。
僕の中に、愛に対する答えが出た瞬間だったんだ。
奇数回の恋愛エピソードは、これで終わり。
※あとがき※
奇数回は過去の恋愛実話をもとに書いてきました。このあといくつかの恋愛をして10年前に今の妻に出会い結婚。子供が3人になりました。10年間、妻以外の生身の異性の裸は見たことがありません。
過去に執着することに意味はないけれど、今を形成しているのは過去の記憶であることは間違いないです。欲まみれだし、触れたい気持ちは人一倍あるんだろうけど、もうあの悲しい出来事は経験したくない。
短期的な快楽も、明日死ぬとなればあっていいものだし、絶対に後悔する内容だと思うんです。もっといろんな人とって。でも、どの触れ合いにもゴールが必ず別れなんですよね。
どうせなら別れたくない。永遠に記憶のまま残したい、愛していたいというわがままで欲深い気持ちが、プラトニックな関係を求めている。
体の関係持っちゃったらもうそれで終わりなような気がして。
今のところ、性欲だけは我慢しても死ななそう(食欲や睡眠欲は生死に関わる)だから、妻や子供たちを永遠に死ぬまで愛しながら、出会った人たちとはプラトニックな関係でいたいって思います。
いつ死ぬかなんかわからないけど、死ぬまで恋をしたいのが人間だって勝手に思っています。
偶数回の”借金”ヒストリーはこのあとも続きます。どうやって自己破産せずに借金を返したのか?これから書いていきます。
恋愛話、読んでくださりありがとうございました。