児童相談所55日目。「目の前を大切にする」
時に能動的に、時に受動的に、さらには干渉しない時があるのは、ここで出会う子どもたちは“同じ”ではないからだ。
もちろん子どもだけじゃなくて人間皆“同じ“ってことはありえない。
彼とはここで出会って1ヶ月くらい経つけど、それをとても感じさせてくれる。生まれ育った環境や時代なんかが違うのであれば、思考だって認知の仕方だって僕とはまったく違う。
人は誰とも同じではないし、誰とも上下になることはない。
そう思っていると、違いに対して正そうとも思わないし、ありのままを自然と受け止められる。
僕たち人間っていうのは、なぜか誰かに対して「こうしなければいけない」とか「なにかを施さなければいけない」って思ってしまうから、必要ないのに能動的になにかをしようとするんだけど、“なにもしない”ということも時にめちゃめちゃ重要な時がある。
子どもたちが自らなにかをしようとしてるのに声をかけたり、内発的に行動出来そうな時に手を出してしまったりする。
なぜか?
それは
なにもしないってことが難しいから
だ。
なにもせずにじっと耐えることほど苦しいことはない。例えば誰かと一緒にいる時に、なにもせずにじっとしてるってことがいかに難しいかがわかる。
子どもといればすぐに口を出してしまうし、自分自身の期待が外れるとひどい場合だと手が出てしまうだろう。
児童相談所の一時保護所に来るようになって、なにもしないってことの重要性に改めて気付かされています。
待つ。じっと待つ。口も手も出さない。
そうやってじっと待って観察していると、子どもたちの心の表情がとてもよく見えたりします。
でもそれも、対応する自分自身が心身共に健康で余裕がないとできないんだけど。
ただここではそんなに多くの子どもを一みることはないし、今は目の前にいる一人の子をじっと待てばいい。
というより、誰もが遠くの手を伸ばさずに目の前にいる誰かやなにかに優しく接することができれば、世界はもっと優しくなるのにって思う。