児相5日目。「缶詰と透明な隔たり」
いつも夕方から子どもたちと会うけど、その時に少し気になることがあった。きっと僕たち大人と呼ばれる人は何気なく、悪気もなく、ただの会話の通過点としてやっているだけのことなんだけど
「お疲れ様でした」
って言う。
”ただの挨拶”なんだろうけど、子どもたちがもしも敏感であるのなら、僕はこの言葉を使いたくないと思った。だって、子どもたちに会いに来ることに関して「疲れた」と思うことも、この仕事を金銭のための職務と思ったこともないし、重荷でも苦痛でもなんでもないからだ。
「お疲れ様」
その言葉は子どもたちに対して何かを背負わせてしまうような気がして。だから僕は”お疲れ様”を”ありがとう”に換えた。
どうでもいいことなのかもしれないけど、今日はその引っかかりから子どもたちとの時間が始まる。
いつものように部屋を覗くと、見慣れた顔が僕を見る。
「ちばちゃん」
そう言って小さな顔で大きく笑って僕を覗いた。
会いたいようで会ってはいけない、本来の理想であるなら帰ってこないほうがいい彼と再会してしまった。2年と何ヶ月かしかまだ世界を知らない彼と”出会ってしまった”んだ。
「ちばちゃん帰ってきたよ」
前回のお別れの時、寂しそうな顔を見せる間も持たせないくらいに「ちょっと出かけてくるね」って別れを告げた。
本当なら抱きしめてから別れたかったけど、そうもいかないから。
この仕事は理想を言えば一期一会じゃなきゃいけない。
そんなことはわかってる。でもどうしても再会してしまうこともあるから、今日は
「ただいま」
って言った。
嬉しそうな彼の顔をみて、喜んではいけないけど僕もまた心の陰で喜んだ。
僕が食堂に入ると、みんなが話しかけてくれる。物珍しいのか、動物園の柵の向こうにいるおかしな動物を笑うように僕と会話して笑う。
子どもたちはその時思いついたあだ名で僕を呼んでくれる。今日ついたあだ名は
黒光り
ゴキブリ
ヤングマン
だった。これは決してバカにしてるわけじゃなくて、お互い笑いあいながら決まったあだ名だった。僕が怒りも否定もしないでむしろ肯定するから尚更子どもたちが僕に近づく。
けどすかさず他の先生から「先生でしょ」なんて言われる。けど、僕は先生と呼ばれるほど立派じゃないからおかしなあだ名のままでいいと思った。それでまた笑いが食堂に溢れるのだから。
子どもたちとはいつも対等でいたいし、大事な時に守ることができれば普段は友達みたいでいいじゃんかって思う。
僕と子どもたちの間に、大人と子どもなんていう隔たりはないんだ。
今日も彼とお風呂に入った。僕は裸足に腕まくりだけど、彼は全身で温まって立派に着替える。
寝床に着くと一瞬だけママを恋しんだ。
涙が溢れたけど、それも一瞬だけでそこから一時間半で眠りについた。僕の腕を触って隣にいることを確認しながら。
今日ももう少しで終わり、また明日が訪れる。
高校一年生の男の子と2人で会話をした。
「帰るのは嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだよね」って思いを共有する。
育ち方なんかどうでもよくて、どこにいるかなんかどうでもよくて、人生は自分でいくらでもなんとでもできる。
ここで出会った子どもたちがみんなそう思ってくれたら嬉しいんだ。たとえ一期一会が望まれる場所だったとしても、その一会でなにかに気づいて欲しいって思う。
あいにく今日は”嫌な再会”だったけど、一会よりはそう思ってもらえたかな。
隣で眠るちっちゃな彼の足が、僕の枕のすぐ横にある。子どもの寝相にどこか幸せを感じる。
今日はここには、楽しさのほうが詰まっていた気がするんだ。