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児相23日目。「能力の所在」

 「英語のワークください。」

学習時間ではない時に、テレビをみながらワークを解きはじめた。学校には行っていないと言いながらも英語の点はいつも80点くらいを叩き出すらしい。それでも彼女は彼女自身に秘められた能力に遠慮をする。というより、それが能力だということに自分自身で気づいていない。

 ”能力”というものは自分自身では気づかないものだ。当たり前にやっていることが他からすればすごいことに映ることもあるし、大したことないと思っていても十分それが才能だったってことは多い。つまり、逆を言えば「私、これが得意でこれはできるんです」と言っている間というのは能力の表れではなくて、自信のなさの表れであって、能力というものは自分では気づけないものなのかもしれない。

 彼女はそんな能力に気づかず、社会の中では大したことなんかないと思い込んでいる自分自身の置き場所にいつも悩んでいる。社会に反抗するように自由に生きる場所に置くのか、それとも社会に合わせて”真面目に”取り組むことを喜びとする場所に置くのか。本当に難しい場所で日々葛藤しているんじゃないかなって思う。コミュ力は高いし、気遣いを上手にできる。それなのに「私なんかダメだ」と冗談っぽくいつも言う。

 だからと言って、一時預かり所の補助員ごときの僕がなにかできるわけでもない。気の利いた人生を変えるような一言を発することもできないし、誰もが参考にするような偉業をなしたわけでもないし。僕ができることといえば、ただただ、ここにいるどんな子どもたちでも公平に、対等に、同じ目線で、横並びで受け止め笑い合うことくらいだ。いや、もう一つ。そういった気づいていないような能力を、さりげなく気づくこともあった。

 というより、僕があまりにも立派じゃないからこそ、子どもたちのたくさんの能力に驚かされるのが本音なんだけど。

 彼女がいつまでここにいるのかはわからない。でも、ここにいた時間というものも彼女のこれからの人生の中で、大切な能力として使って欲しいって思う。いや、むしろ、ここにいたからこそ使える能力なんだと思う。他ではなかなか得ることができない能力だから。

 ここでの時間が、彼女にとって価値のあるものになるように今日もなにかを話せたかどうかはわからないけど。

 



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ちばつかさ
いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。