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児童相談所56日目。「なにもできないから」

 一度退所したのち、再びここで再会することも時々ある。社会に馴染めず、親とうまくいかず、施設に合わずに。自由に解き放たれた時ほど不自由になるものはなくて、時に“制限付き”の生活のほうが自由になれたりもする。

 「もしかしたら、ここでの生活のほうがよいのかもしれない」って思うことと、「こんなところじゃなくて、自由に自分で選択できたり、自由に遊んだり好きなことができる日常生活のほうがいい」って思うことが複雑にぶつかるんだけど、やっぱり自由というのは、その自由をうまくコントロールできなければ一瞬で不自由と化すわけで。

 つまり、ここで再会する子どもたちにとって、あまりにも社会は不自由な場所だってことなんです。逸脱“してしまう”行動はどうしても“社会不適合”という烙印を押されて外にはじかれて、はじかれれば居心地が悪くなったり「自分は必要ないんじゃないのか」と自信をなくし、どんどん自尊心や自己肯定感、自己効力感が減っていく。

 どうしたらいいんだろう。
 一体、すべての人が心地よく自分の日常を過ごすにはどうしたらよいのだろう。

 すべては人間の感情や思考の問題である気がしていて、子どもたちがかわいそうとか、なんとかしなきゃねとかって慮る一方で、極端な話「“普通じゃない生活”をしてる人なんかいらないよね」みたいな思想や思考とかも人間のものであって、その前者も後者もひっくるめてすべてが心地よくおさまることってないのだろうかって思うんだけど、まったく思い浮かばない。

 思い浮かばないからやることはただ一つ。
この不自由な空間の中で、最大限の自由を子どもたちと楽しむことしかないんだよね。

彼らを生まれ変わらせて、彼らが過ごす場所を望む世界に創り変えることなんかできないから、ただただ

「あなたはここに生まれてきてよかったんだ」

ってことを一緒に笑いながら確認することしかできないのです。

今日再会した低学年の子をみてふと思ったことがそんなことでした。


いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。