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児相44、45日目。「聴こえてきた歌声」
今日は45日目。前回の44日目は嬉しいことに自宅待機だった。何度も言うけど、自宅にいることが嬉しいのではなくて、みな無事に退所して保護する子どもがいないことの嬉しさだ。
病院がなくなれば患者のいない健康な世の中であるように、相談所や保護所がなくなる世界は温かい世界じゃないか。だから自宅待機はそれへの一歩として嬉しい。ただ、自分ごとを言えば自宅待機ほどストレスになるものはないなと改めて感じた。
いつ何時呼出が来るのかわからないから、当たり前だけどお酒も飲めなければ深い眠りにもつけない。もしも深夜に保護される子がいれば、飛び起きて保護所に向かわなければと思うと、緊張で自然と眠りも浅くなるんだけど。
だから嬉しいんだけ緊張感があるという砂糖と塩が混ざったようななんとも言えない複雑な感情で過ごすのが自宅待機なんだよねってことを感じた。
そんな44日目は呼び出しは無事にないまま過ぎた。
一時保護所が静かで誰もいない日が続けば続くほどよいけれど、45日目の今日はここ、保護所にいる。つまり、一人の入所があったということ。
もう、ここにこれだけの日数来ていると、子どもたちに対してよい意味でどうとも思わなくなっていて、なんだろう、「こうしなきゃ」とかそういったマニュアル的な対応もしていない。
1日目は正直気張った。「どんな子がいるんだろう」って構えたし、無理して言葉を選んでたかも。でも、日数を重ねていくうちに無になった。
構えることの無意味さは、1日目でなんとなく気づいたから。
街で出会うのと同じように、場所も関係なく、児相だとかもなく、大人と子どもなんていう関係性でもなく、たとえ部屋に入所の子どもの内容があったとしてもそんなものはどうでもよくてただただ、人間として自然と接しているだけ。
そんな空気感がとても心地がよい。
子どもたちも気張らずに接してくれる。
コロナ感染防止のために入所した子は今日は部屋に引きこもりだったけど、ちょこっとすれ違えば他愛も無い会話で一服する。「どんな背景があろうが、同じ態度で、同じ空気で、同じ感覚で接しているんだなぁ僕は」ってなんだか今日は改めて思えた。
僕は読書。隣の部屋からは音楽が聴こえた。今日はそんなゆったりとした空気だった。
明日からは部屋を出て活動するんだと思う。ここに来たことが、足枷ではなくて子どもたちのなにかのステップになるといいよね。
僕みたいなダラシのない人間でも人生なんとかやってこれていることが、子どもたちのなにかのきっかけになったらって思うから。
あっ、歌声が聴こえた。めっちゃうまいやん。
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