児相32日目。「”偽正者”」
”子どもたちを正す”
そう思ってしつけや指導をする親や大人は多いと思う。なにかがきちんとできていなければ正す、例えば挨拶がきちんとできなければ「そうではない」と教える。なんだか一見当たり前のことのように思えるけど、僕はそうじゃないと思う。
もちろんここ、児童相談所の一時預かり所でも子どもたちを社会のレールに戻すようなアプローチは行われる。時間を守る、挨拶をする、きちんとした返事をする。それができるように時に職員が注意することもある。でも、子どもたち自身がその”社会のレールに沿う意味”がわからなければ、いくら注意しても意味がないし、そもそも、大人がきちんと立派に生きていない以上、子どもたちにはなんの説得力もない。そう。きっと、子どもたちうんぬんの前に、親が、大人が、長く生きている人間がただただ子どもたちの前で必要だと思われることをきちんとするだけでいいと思うんだ。
「なんで挨拶しなきゃいけないのか?」
「なんで時間を守らなければいけないのか?」
「なんできちんとしなければいけないのか?」
その問いに対して、一体僕たちはどう答えるのか?
「別に、守りたくなきゃ守らなくていいんじゃない?それが正しいと思うのならそれを貫き通せばいいじゃん」
僕だったらそう答えてみたいと思う。きっと、自由に解き放たれた子どもたちは、逆に自由を失う羽目になるからだ。
中途半端な指導は、子どもたちを逆に苦しめるし、そもそも、なぜ子どもたちがここに来なければいけなくなったのか?といえば、親や大人のせいだ。それをあたかも子どもたち自身が悪いかのようにする教育や指導は、子どもたちを束縛し、苦しめ、時に加害と言われることをするかもしれないし、非行に走るかもしれないし、部屋に閉じこもるかもしれない。
今日も彼はずっと漫画を読んでいたけど、15分に一回くらい言葉を交わす。「そう言えばラーメン、醤油だった!」彼は笑って僕に言った。入室の時間が来ると、掃除をしていた僕に寄ってきて「また明日」と言った。
なんだか、もう、それだけで十分じゃないかって思った。これ以上、なにをどう正そうとする必要があるんだろうと思った。
人はなぜか「自分は普通だ」と思う。人はなぜか「自分は大丈夫」と思う。だからこそ、指導や注意をするんだけれど、普通である人間やなにが起きても大丈夫な人間なんてどこにもいない。
大抵「宿題やりなさい」という親に限って、親自身は勉強を疎かにしてきた人であり、今子どもたちよりも勉強していない人だ。
子どもを正そうとする前にすることがきっとある。
それは「私は完璧じゃないんだ」ということを知ることなんだ。
いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。