児相36日目。「最後の夜」
「短くても一年は次のところで…」
今日もUNOで盛り上がっていた中でそんな話になった。どうやら彼とは今日が僕との最後の日。ようやく退所が決まったけど、退所してからも別の場所(施設)に行ってから最低一年は家に帰れないらしい。
一時預かり所の夜間補助員の僕には詳しい事情はわからないけど、出れるけど帰れないという複雑な心境をさらっと彼は流すように言った。
最後とは思えないくらい盛り上がったUNO。
子どもたちにはいろんな事情があって、いろんな生き方をしている。さらに子どもたちの育つ環境も様々でその中で育っていく。至極真っ当っぽい環境で育とうが、こうやって児相を挟んだり施設で育ったりしようが、人間おもしろいもので環境や出会う人でその行き先は大きく変わる。
もちろん、才能なんかは遺伝的なものがあるのかもしれないけど、真っ当っぽい環境だろうが未来が崩れることもあるし、どこで育とうが今が幸福感で溢れることだってある。それは誰にもわからない。
僕はたまたま東京で育った。大家族でたまたま育って、たまたま今こうして児相にいる。彼もたまたま彼の環境に育って、たまたま僕と出会った。つまり、彼のこの先も僕のこの先もこのたまたまが重なって作られていく。
明日なにが起こるかなんてわからない。
今やってることが無駄っぽく感じても、今ここにいることに不満がいっぱいでも、それが明日なにに変わるのか?は明日になってみなければわからない。希望は明日に残されているかもしれないじゃないか。
でも、日々刻々と繰り返される選択が平等でなければそのわからない明日も大きく変わると思う。社会はきっと、彼やその他の子どもたちがわからない明日の中でも選択できる余地を増やすことをしなければいけないんだと改めて思った。彼も僕も同じ選択をできる社会が未来にあったらいいなと思う。
なんだかあっという間だった彼との時間。いつも楽しそうに話してくれることが嬉しかった。だって、笑うって今が楽しい証拠だから。
ここを出ようがたまたま来る明日や遠い未来の中で、少しでも多くの喜びや笑いが彼の中にあったらいいなと思う。