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児相40日目。「抑圧されていた欲望」
一人退所し、新たにまた一人入所。ここに来ることで落ち着きを得られるならいいけど、今日はちょっと違った。というよりも、きっと日頃抑えていた本来の無意識的な渇望した欲が出てきたのかもしれない。
低学年のその子は、「はじめまして」までの間はまだ人に慣れず、どこかよそよそしい自己紹介だったけど、だんだんといっしょにいる時間が長くなるにつれて僕との距離を縮めてくるようになった。もちろん、心を開いてくれるのは嬉しい。だけど開きすぎるのもあまりよくなくて、冒頭に書いたようにあまりにも渇望の度合いが強いと、目の前に出された水をがぶ飲みするかのように欲を飲み干そうとして距離を一気に縮める。縮まった距離は、コントロールができなくなることがある。
夜、眠れないと言った。ずっとそばにいてほしいと言った。涙を浮かべて訴えていた。できることならとなりにずっといてあげたいし、できることなら抱きしめ続けてあげたいし、できることなら自由にあるがままさせてあげたいけど、コントロールができるようになるまではぐっと堪えなければいけないのがつらい。一気に満たされそうになった欲は、急激な変化についていけなくなってしまって破裂してしまう。だからこそ、つらいけどある程度の距離感を保ち続けなければいけない。依存してしまったら、この先もずっとそれなしでは生きていけなくなってしまうから。
想像してみた。もし自分が低学年の時に一人で知らない場所で寝ることになったとしたら。知らない人とご飯を食べて、味気のない慣れない場所で過ごすことになったとしたらどんな気持ちなんだろうって。何度想像しても「寂しい」という思いしか浮かんでこなかった。こそっと教えてくれたことは「毎日一人で寝てる。家に誰もいない」ってことだった。それを聞いて余計に想像の寂しさが増した。
親や大人にはいろんな事情があるけど、子どもには事情なんか関係なく温もりを求めてる。ハーロウのアカゲザルの実験でも、赤ちゃんザルは布製の母親模型にしがみついた。
でも、事情は事情。だからそれをフォローするために僕たちがいる。
眠れないと言ったけど、さっき頑張って眠りについた。もしかしたら少しだけ欲望が満たされたかもしれない。また明日から、少しずつでもいいから一緒に渇望した欲をうめていけたらなって思う。つらかったことが、将来を歩く礎になるように。
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