児相30日目。「減点とプロセス」
結果だけで判断すると、人を見誤る。
今日入所してきた彼は、どうやら”加害”と呼ばれるなにかをしたらしい。詳しいことはわからないけど、なにか問題のある行動があったそうだ。
「そうですか」
僕がそうやって返答する言葉には、特にこれといった感情はなくてその場の空気に対する相槌でしかない。というのも、”加害”と聴いたからといってそのプロセスがわからない以上、僕は彼に対してなんの感情も持つ権利もないし、先入観と呼べるほどの材料には全くならないからだ。
いつの頃からか、僕の中から”先入観”という言葉がほとんどなくなった。目の前の結果だけをみることで過去、幾度となく人間を見誤ったことがあるし、何においてもプロセスを見逃すということは不利益でしかないことを知ったからだ。
先入観は人の心の中にとてつもない大きな壁を作ってしまう。
「はじめまして」をした彼は、ずっと部屋で漫画を読んでいた。僕は隣の部屋でずっと本を読んでいた。だからといって会話がないわけではなくて、たまにしゃべれば笑いが起きた。彼はただの彼でしかなくて、もしなにか問題があるのなら、きっと社会がそうさせているんだろうと思った。
印象付けというのは人を揺さぶる。不安を煽ることがよしとされる社会もある。日本人の特性なのか、どうやら汗水垂らして歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべていないとダメらしい。そうやって子どもたちは減点されていく。他と違う、集団で行動できない、特性がある、とにかくいろんなことでズレていることが減点される。
加点できない人にとっては地獄でしかないよ、こんな社会。
人は決して同じではなくて、たとえ同じ同じ日同じ時間に産まれたとしても別人になる。環境によって、遺伝によって、様々な理由で今きちんとできないことだって多々ある。そのプロセスが蔑ろにされるからこそ、苦しむ人がいるんだと思う。
プロセスをきちんとみると、簡単には減点できないことに気づく。むしろそうやって他人をみることができなければ、自分自身もそうみられてしまうし、大切なことにきづけない。
子どもたちを短絡的な視点だけで見誤らないように。
児童相談所一時預かり所での生活が今日始まった彼。また、彼からたくさんのことを学びながら、彼と笑い合いながら、なにかお互いが得るものがあればいいなと思う。