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児相25日目。「可能性」
オリンピックの盛り上がり。新型コロナウィルス感染の再再拡大。そんなニュースがテレビから流れてくる。でもここには、社会がどうのこうのよりも今日一日がどうのこうのという話の方が多くて深い。不自由に作り上げられたこの施設の中で自由を全うするためには、子どもたちは社会のことなんか考えてる暇もないんだよね。
しきりに自殺をほのめかしたり、大人や社会に唾を吐きかけたり、自分自身の所在を確認する子どもが多い。「一体自分は何者なのだろう」とか、「なにが楽しくて生きなくちゃいけないんだろう」とか、まだ未熟な意思決定の力が曖昧な心の葛藤となって子どもたち自身を悩ませる。
目に映るのは煌びやかなオリンピックの世界とか、大人のだらしなさのように映るコロナ禍での発言や行動なんだけど、比較するものがそういった極端なものであればあるほどまた、子どもたちは自分の世界の小ささに無意識に頭を悩ます。
きっと失った過去の時間は誰もが取り戻したいと思うだろう。そう考えると、頭を悩ます子どもたちがもつこれからの時間は、可能性に満ち溢れていると思う。環境は恵まれなかったとしても、出会った人が不運にも悪い方向へ導くような人だったとしても、子どもたちのこれからはまだまだある程度までは自分で切り拓いていける。きっとここは、そんなことをなんとなく伝える場所なんじゃないかなって。
ただ単に一時的に保護する場所だったとしても、ここがあったからこそ未来を考えるきっかけになったとしたのなら、それは子どもたちにとっては価値のある時間になる。「生きていていいんだ」、「未来を目指していいんだ」、「こんな私でも社会に入れるんだ」って思ってくれたほうがいいに決まってる。
ここ最近のここは、静かで落ち着いてる。ここに来ると今はたった一人になった彼女といろんな話をする。それがまた僕にとっては未来を生きる材料になってることが嬉しいし、それが彼女の未来にとっても価値のあるものになるのなら、尚更嬉しく思う。
いろんな子どもたちと出会うためにここにきて、今日で四ヶ月が経った。
あと何年ここに来るのかわからないけど、ここにきた子どもたちの未来がオリンピックよりも、コロナよりも、明るいものになったのならいいなと思いながらここでまた眠りにつく。
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