児童相談所53日目。「受け取り方を変えると見える世界」
世界は人の数だけ存在する
のかもしれない。と思っているとまったく想像していないことが目の前に起きたとしてもそこまで驚かずに済むことがある。
きっと考えている“標準“というものは心のどこかにあって、その標準からズレていることに遭遇するとそれを不思議がったり否定したり、時にズレを治そうと躍起になる。
男なのに女っぽい、とか
女なのに男っぽい、とか
このタイミングでそれする、とか
なぜそんな服装、とか
数え上げたらキリがないけど、そんな幻想のようなものに僕たちは惑わされて、世界がまるで一つしかないかのような視点で物事を見がちだ。
きっと僕にもどこかに僕が生きてきた中で形成“されてしまった”標準があって、それを判断基準として物事を見ているんだろうけど、それはただ単に“僕という世界とは違うもの“というだけで、それが良いのか悪いのかなんていう優劣は存在させない。いや、させないようになった。
過去、どんな時に他人に優劣をつけていたかといえば、なんの理由もなく「自分は普通だと」と思っていた時だ。
普通だから普通じゃない人は違う。
そう思えば思うほど判断を誤らせていたと思う。
僕が普通なんてことはまったくないし、他人に優劣をつけることができるほど立派でもない。神様ぶるのもいい加減にしろって思うくらいだ。
そう思えるようになったからだと思う。児童相談所で出会う僕とは違う世界観を持つ子どもたちにたくさん出会えているのは。
きっと昔の僕だったらズレにイラつき、無理にズレを正そうとしてた。
受けとり方が変わるといろんな世界に出会えます。今日も新しく出会った保護児童から、なにかを教えてもらった気がするし。
子どもたちに教えてもらえるたくさん世界を感じながら、その中にある暗い部分が明るくなるきっかけになったらと思うのです。
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