暗闇に独りぼっち
いつもはTwitterでしょーもない事を呟いているので、ここで何か書くということがちょっとショックだったこととか、大きな節目であったりした事とか、そんな事ばかりになってしまっていて、それがどうなんだと言われればそれでもいいような気もするんだけど、やっぱりそれでは偏ってしまって良くない、と思ったのでちょっと別の事も書いてみようかな、と思ったので書くことにする。たまには他愛もない話もしてみよう。今回はお気に入りのゲームの話をする。
先日、Valve社の運営するPCゲーム配信プラットフォーム、steamにおいて知る人ぞ知るホラーアドベンチャー『Alone in the Dark』シリーズが全て配信された。定点カメラを使用した映画的な演出手法、3Dポリゴンで形成された世界を歩き回り、得体も知れない敵と死闘を繰り広げ、謎を解いて事件解決に尽力する主人公…後世の3Dアクションアドベンチャーが踏襲する、全ての要素を詰め込んだ3Dポリゴンホラーアドベンチャーの元祖だ。
ジワジワ売上を伸ばした末に大ヒットを記録、ハリウッド映画化もされた国産サバイバルホラーゲームの世界的な金字塔『バイオハザード』シリーズとその類似点を指摘される(3人称視点となった『バイオハザード4』以前の話)事がよくある当シリーズだけど、歴史的にはこっちが先。フランスのInfograms社による西洋テイスト満載の理不尽な難易度と謎解き(&初見殺し即死トラップ)、そして新境地を開いたものにはありがちな事なのかも知れないけど、3Dポリゴンアクションアドベンチャーというジャンルが定着する前に後発にお株を奪われてしまった、という日本においては知名度の低いタイトルではある。
誓って言うが、僕がプレイした順序的には『アローン・イン・ザ・ダーク2』→『バイオハザード』の順だった。残念ながらコンシューマ版の『アローン』は2で打ち止めになってしまい、3はPCでしか出なかったので、プレイ続行は敵わなかった。むしろ『アローン』の代わりになるものが僕にとっての『バイオハザード』だった…はちょっと言い過ぎか。でも映画『ゾンビ』を観た時の後のように【物語の続き】が欲しくて(今で言う『◯◯ロス』みたいなやつだろうか)、似たような作品を探し回ったのは事実で、結果的に人気の出始めていた頃の『バイオハザード』に行き着いたのは必然だったようにも感じている。
ただ、オカルティックで理不尽な要素の強かった(むしろ科学的要素はほぼ皆無だったと言っていい)、『アローン2』に対して、恐怖の理由にSF的科学的な理由や根拠をつけた作品である『バイオハザード』はちょっと毛色の違う作品だった。未知の恐怖に対して理由が付けられている、という事は正体が判明していくに連れて恐れる理由が薄れていく、という事で幽霊の正体見たり枯れ尾花、正体さえ解ってしまえば対処策を編み出すだけで、それは単に障害物でしかなくなってしまうからだ。余談だがオカルティックなホラーゲームについては、後年PCで出た『NOCTURNE』が個人的にはオール・タイム・ベスト・ホラーゲームなんだけど、その話をし始めると朝までノンストップで語り続けることになるので、また別の機会にしたい。
『Alone in the Dark』シリーズは私立探偵エドワード・カーンビーを主役に据えたホラーアドベンチャーだ。1作目ではルイジアナ州の呪われたデルセト屋敷を舞台に、クトゥルフ神話の恐怖が彼を襲う。2作目は親友の私立探偵テッド・ストライカーのメッセージを元にヘルズ・キッチンを訪れ、ブードゥーの秘術と不死身の海賊達を相手取って大立ち回りを繰り広げ、3作目はカリフォルニアの『虐殺渓谷(スローター・ガルチ)』というゴーストタウンでネイティブ・アメリカンの伝承と呪い、そして狂ったガンマン達を相手に謎に挑むというものだ。これがいわゆる初期の3部作。2001年になってリブートしたのか4作目『The New Nightmare』、2008年に5作目『Alone in the Dark : Inferno』、2015年にはシリーズ初のマルチプレイに対応した6作目『Alone in the Dark : Illumination』が発売された。正直なところ、僕は4作目以降は詳しく追えていないので世間の評価でしか内容を把握できていないけども、少なくとも後世に残るような傑作…というような事はなく、あまり良い評価は得られていないように見える。
話を初期3部作に戻そう。知名度は低いというものの、コンシューマにおいては1作目が3DO、2作目がプレイステーションとセガサターンで発売されたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。かくいう僕も2作目『Alone in the Dark2 : Jack is Back』に関しては中学生だったか、それぐらいの頃にセガサターンでプレイした人間で、PC版は大学に入った頃にやったような覚えがある。発売前後ぐらいの時に、セガサターン関連の雑誌におどろおどろしいレイアウトで特集が組まれていて、そのページを時々読み返すのがお気に入りだった。『トンプソン銃』『海賊の剣』『フラスコ』『ミュージックマンの契約書』『トークン』『洗濯へら』…ファンの人は思わずニヤリとするかもしれないが、知らない人には何のことかイマイチピンとこない、それでも何だか深いストーリーを暗示させるようなアイテムの名前に心踊らせていたし、画面写真に見るサンタクロースの格好をしたカーンビーに何だか言いようの知れない、異国の不気味な、だけどどこか魅力的なジョークも感じていた。
『アローン・イン・ザ・ダーク』シリーズにおいて、よくネタにされているのはシュールな展開と理不尽な即死トラップだ。初作『アローン・イン・ザ・ダーク』においては脈絡もなく落とし穴に落ちて死ぬ、壁画から矢やら手斧やらが飛んできて(しかもホーミングする)刺さって死ぬ、扉を開けたら謎の存在に襲われて遥か彼方へすっ飛ばされて死ぬ、神出鬼没の玉虫色の球体の集合体(わかる人には副王、と言えば何者か予測が出来るかもしれない)に襲われて死ぬ、etc、etc。多くの場合において笑いのネタになっているこの理不尽な即死トラップ、後作についても似たようなものだ(表現技法の進歩もあるのだろうけど予測、というよりは理由付けの感じられるようなつくりになっているとは思う)。
しかし、ちょっと待って欲しい。3Dアクションアドベンチャーゲームの始祖たる『アローン・イン・ザ・ダーク』において、表現に対しての試行錯誤は相当数行われたはずだ。作り手のイメージを受け手に伝えるために、100%必要だったところを削った場所もあるのだろう。イメージを伝達するために必要な部分の突然の欠落が展開を理不尽に見せる。だけど、これは別の効果を生んでいる気がする。それは、死とは予測出来るものではないということ、そして僕らの知覚できる画面上で説明されていることが世界の全てでは無いということ、だ。
僕たちはこの世界を五感で感じ取る。そして自らの経験則から危険を察知し、避けようとする。だけど、僕ら以外にも世界というものは僕達の知らない未知の理で複雑な機械仕掛けのように回っていて、ふとした瞬間でその仕掛けと我々の行動がぶつかった時、さながら偶発的な交通事故のように死はやってくる。先程『バイオハザード』の話でも少し触れたが、『バイオハザード』は恐怖を既知にする事で恐怖を薄れさせ、状況をサバイバルしていくホラーゲームであるのに対し、『アローン・イン・ザ・ダーク』は明かされることのない未知の恐怖と戦いながら事件を探索していくホラーゲームなのだ。
『アローン・イン・ザ・ダーク』初期3部作の端々に感じられるのはアメリカ黄金の1920年代、旧き良きジャズ・エイジの息吹だ。第一次世界大戦直後の戦争特需によって大きく進歩を遂げた1920年代のアメリカは、近代的な大量生産と大量消費の経済サイクルが固定化され、戦争によって抑圧されていた精神の開放された、希望に満ちた時代だった。その一方で、施行された禁酒法によって酒の密造・密輸・密売ビジネスが横行し、これらの違法酒ビジネスで資金力を身に着け、悪質化したチンピラが組織化されたギャングやマフィアと化し、賄賂による警官・役人の腐敗を進行させ、犯罪組織の基盤が出来上がっていった。活力に満ち、進歩と文明によって作り出された灯りが、それまでの我々を覆っていた暗闇を照らす時代。暗闇を照らす光によって生まれた、より濃く暗い影が浮かび上がり、そこに潜む『何か』がいる。『Alone in the Dark』とはすなわち、得体の知れない『暗闇』を進む、プレイヤーそのものなのだ。
もし、一読いただいた貴方に興味が沸いたなら、是非一度プレイをしていただきたい。系統樹の始祖ながらも、重厚な雰囲気を演出するシチュエーションの数々。未知の空間をおっかなびっくり歩く恐怖。それは既知で説明できる、我々のよく知る従来のホラーゲームとは違う、どこか不安定で懐かしい異空間だ。
"独りぼっちの暗闇(アローン・イン・ザ・ダーク)"へようこそ。