日記#81「Mononeonに対する愛」220111
・と思っています。
・Mononeon、本当に素晴らしいんですよね。フィジカルな活動としては、元々はゴスペル出身で、Princeの下で弾いていたという素晴らしいキャリアがあり、近年はGhost-Noteとの活動や自身名義のライブも多数。SNSでは圧倒的な演奏技術と独特のファッション、有名人のインタビューやネットミームの音声にオケをつける独自のフォーマットで人気を誇るなど、フィジカルとSNSどちらを取っても現代最高レベルの実力と人気を誇るベーシストと言っても過言ではないだろう。
・でも、なんですよ。結構みんな見てるのはそこら辺だったりするんだけど、結局Mononeonで最も素晴らしい部分は、一ベーシストに留まらない、アーティストとしての面だと思うのです。仮に個性というものがあるならば、それは間違いなく圧倒的な生産量から生まれるもので、まずそうした多作っぷりのみで言っても他のアーティストより頭2つ3つ抜きん出ている。これはPrinceとの共通項な気がするな。とにかく作って作って作りまくることができる。その"ジャッジ"の早さたるや他の追随を許さないレベルである。
・(無論、寡作と呼ばれるアーティストも、ぼくたちに届けていないだけで膨大な生産数があると思うが、それにしてもPrinceやMononeonの制作ペースは異常だ)
なおぼくは良い創作をする人のすごいところの一つには"ジャッジの早さ"があげられると思っている
・で、特筆すべきはそのスタンスだ。2011年発表の1stアルバムなど、スカスカのドラムと、その時点ですでに独特性を持つベースプレイとが合わさったビートに、ごく僅かなボーカルやキーボードが乗せられただけの非常にミニマルな作品なのだが、これがまさに僕たちの知ってるMononeonそのものなのだ。歌声が、とか、ベースプレイが、とかではない。この時点で確立されている、カラフル、というよりはサイケデリックなハーモニーの色彩感に、自宅のベッドルームかあるいは屋根裏部屋を思わせるミニマルなサイズ感、そして一口にブラックのとも言い表せないMononeonならではのディープなビート感。これらはすべて2022年現在のMononeonを表す言葉でもあるが、それが2011年の1stアルバムから明らかに提示されているのだ。
・こうして生まれたMononeonをMononeonたらしめる種は、そこからまったくブレることなく、しかし多作に多作を重ね、様々な術や着想を経て、その特異すぎる音楽性をまったく損なうことなく、むしろ深化し現在のMononeonに繋がっている。ここまで自らの根に差した感覚を、そこからナチュラルに湧きたった音楽を、少しの迷いもなく信じ続け突き詰められるそのアーティスト性があまりにも素晴らしい。なぜなら……。
・世間一般的な目で言うと、なぜならこんな音楽は売れるはずもない、通常聴かれるはずもないからだ。これは理想抜きの事実として、だ。周りのミュージシャンでもMononeonのインスタはフォローしてベースプレイはコピーしていても、アルバムや、もしくはyoutubeにアップされたオリジナル曲まで聴いている者は残念ながらほとんどいない。ミュージシャンでさえ、ベーシストでさえそうなのだから、現在ですら相当ニッチなことをやっているということは想像できるだろうか。それをtwitterもインスタも今ほど影響を及ぼさないうちから一人で作り続け、作り続け、作り続け、寄り道をせず、芯は何もかわらず、自らの内に鳴るものを自分のために磨き続ける。つまり目的は名声やお金ではないんだな。ただただ創作し続ける。それはどれほど美しく尊い行いだろうか。
・申し訳ないと思いつつあえて比較をさせてもらうと、同じく現代最高峰の人気と実力を誇るThundercatですら、アルバム毎に本質は同じだがコンセプトを違えている。プロデューサーであるFlying Lotusも3rd.Drunkと4th,It is what it isでは異なる世界観であると語っているように、やはり変化を起こしている。それにアルバムの中でもバラエティに富んだいくつもの世界を展開している、というよりはまあそうした作りにしている。無論これは喜ばしいことだ。アーティストはどんどん変化していくべきだし、色々な表現を耳にすることを僕らは歓迎している。
・その点Mononeonは一切変わらない。いや、厳密に言えば変わっているのだが。ブレないと表現する方がしっくりくるか。Thundercatが進化ならば、Mononeonはやはり深化なのだ。自らの世界を何年もかけて唯一無二のものにしてしまった。そして今も何も変わらずに作品を作り続けていて、きっと一人ぶつぶつとつぶやきながら、これからもそうするのだろう。そう考えると僕は感動してしまうのだ。
・そして僕の予想でしかないが、Mononeonは楽曲制作や動画制作を大変なことや努力とはまったく見なしていないタイプだと思う。さて次は何を作ろうか、気づけばこんな曲ができてしまったな、という「ついつい」を365日続けることができてしまい、偏執的とも言ってしまえるような、尽きることのない創作意欲がMononeonを動かしているのだと感じる。いや、意欲というのも言い過ぎか。陳腐な表現だが、もはや呼吸なのだと思う。息を吸う・吐くと同じように、気づけば創作をしてしまう病気に近い何かなのだ。「俺には音楽しかねえ……音楽がなきゃ呼吸できねえよ……」というナルシズムにはまったくひたらず、また考えることもない、ただただ音楽がその身の内に鳴り続けている存在、そんな気がする。
・僕はMononeonを愛している。しかしそれはよく注目されるファッションやベースプレイではなく、そのアーティスト性そのものにだ。存在ごと愛している。今年発表されたアルバムもMononeonそのもので、素晴らしかった。これからもその音楽を、もしも聴く者がぼく一人になったとしても、それでも何も構わず楽しみながら作っていってくれる、そんな存在だと感じている。