◆小説◆ おばあちゃんの喫茶店13「さなえの失敗」
このは「はい、これで大丈夫」
このははさなえの足に包帯を巻き、ぽんとその場所を軽く叩く。
さなえ「いたた。これ大袈裟じゃないですか?」
このは「靴下履くとズレるでしょ。このくらいでいいんだよ。
ったく、しょうがないなあ面倒かけて」
さなえ「……すみません。おばあちゃん、怒ってました?」
このは「いや、怒ってはいない。『間違いは、誰にでもあるぅ~♪』って歌ってた。今、さなえん家に電話してもらってるから。お母さんに迎えに来てもらって一緒に帰るんだよ?」
さなえ「むう」
このは「返事は?」
さなえ「私、クビですか?」
このは「そもそも雇ってないし。お給料払ってないし、さなえがやりたいから手伝わせてくれって話でしょ」
さなえ「お給料もらってますよ?」
このは「えっ?」
さなえ「いつも帰る前におばあちゃんがくれますよ? あっ、これ言っちゃいけないやつだったかな」
このは「それはお駄賃だよ」
さなえ「お駄賃とお給料ってどう違うんですか?」
このは「難問きちゃったこれ……。えっと、たぶん契約してるかどうかじゃないかな。こういう条件で働いたらお金を払いますよっていう約束」
さなえ「『ちょっとだけどバイト代あげるからね』って、前におばあちゃんが言ってました」
このは「おばあちゃーん! これは言い逃れ苦しいな。あーっと、あのね、そもそも中学生を雇っちゃいけないの」
はなび「あれじゃないの、契約書がないとダメなんじゃね」
部屋の隅で漫画を読んでいたはなびが口を挟む。
はなび「口約束だと契約にならないんだよ。プー〇ンいわく『NATOは1インチも東に拡大しない』って言ってたらしいじゃん。でもちゃんと条約にしてないから意味なかったやつ。あれと同じ」
このは「比喩のチョイスがデンジャラス過ぎる」
おばあちゃん「このは、ちょっとおねがーい!」
店舗スペースの方からおばあちゃんの声が聞こえる。
このはは立ち上がり、ふすまを開けて返事する。
このは「はぁーーい! じゃあさなえ、大人しくしてるんだよ」
さなえはちらっと一瞥するように、お店に戻るこのはを見送った。
深くため息をつき、ごろんと畳に仰向けになる。
はなび「なにお前ケガしたの? だっせぇー」
部屋の隅で漫画雑誌に目を向けたまま、聞こえよがしにはなびは言った。
さなえ「働いてもいない人に言われたくないですぅー」
はなび「お前働いてねーじゃん。雇われてないって言ってたろ」
さなえ「働いてますぅー」
はなび「働いてませんー」
さなえ「働いてますぅー」
はなび「契約書あるんですかぁー? お給料じゃなくて、単なるお駄賃なんじゃないんですかぁー?」
さなえ「……働いてるもん」
声を震わせ、ころんと背を向けるさなえ。
はなびはふんと鼻を鳴らし、漫画雑誌に目を落とす。
さなえ「私が悪いんだよね、けっきょく」
はなび「は?」
さなえ「ねえ星野、笑わないで聞いて欲しいんだけど」
はなび「いや、笑う」
さなえ「え、ひどくない?」
はなび「面白かったら笑います。オレにはその権利があります」
さなえ「マジかーこいつ、一生モテなさそう」
はなび「関係ねーし? モテるモテないで男の価値は決まりませんし?」
さなえ「ややムッキーしつつあるな」
はなび「ムッキーする権利だってありますぅー! 残念でしたー!」
さなえ「ほんと残念だよ君ってやつは……」
さなえは身を起こすと、座ったままエプロンを外す。
足をかばいながら立ち上がり、エプロンのしまってある押し入れを開ける。
はなび「おい無理すんなって」
さなえ「このくらい大丈夫」
はなび「大人しくしてろって言われたろ」
はなびは漫画を閉じて立ち上がり、さなえからエプロンを奪って押し入れの中のハンガーにかける。
さなえ「はぁー、大袈裟なんだよね」
はなび「いいから座ってろようるせーなー」
はなびに睨まれ、さなえは渋々座り直す。
はなびは聞こえよがしにため息をつき、漫画の棚の前に行く。
はなび「なんか読む?」
さなえ「えー、別にいい」
はなび「暇だろ? あーでも、お前の好きそうなのないかな」
さなえ「私けっこう色々読むよ?」
はなび「じゃ、どうしよっかなジャンプ系なら読める?」
さなえ「いや、いらないって。それよりなんか面白い話してよ」
はなび「無茶ぶりきたー! 最悪だろお前、いろいろ問題あるぞそれ。
まず『今から面白い話をします』っていうハードル上げた状態から始めるのがきつい。
前フリしちゃってる分、予想外のサプライズ的な面白さが生まれにくい。
あと自分で面白い話持ってこないで、人にだけ求めるお前の姿勢よ」
さなえ「あぁ、これがはなびイズム」
はなび「そのレッテル不本意なんだよなぁ。最近ちょっと差別的に感じてきてる。差別用語として登録したいと思っている」
さなえ「自分の名前が差別用語ってやばくない?」
はなび「あ、たしかに」
さなえ「あはは、ちょっと面白かった」
はなび「面白くねーし。で、どうしたんだよ」
さなえ「笑わない?」
はなび「だから笑うって。まあネタのクオリティ次第だけど」
さなえ「誰もネタをやるとは言ってないんですけど。まあいいや笑っても。笑ってやってくださいなー」
はなび「だから、クオリティ次第だって」
さなえ「あったまきた。おっしゃ、絶対に笑わせる勢いでいくから!」
はなび「よしこいや!」
さなえ「えーっと、どこから話せばいいのかな。カレーの注文が入ったんだけど」
はなび「出たな因縁のカレー」
さなえ「おばあちゃんが用意したカレーを、お客さんのところに持っていこうとしたのね。慌てて運ぼうとしたら、転んでカレーを落としちゃいました。すってんころりー!」
はなび「あぶねーな。火傷とかしなかったか?」
さなえ「床に落ちたから火傷とかしなかったけど、お皿が割れちゃった。あと、足をちょっとひねりました。すってんころりー!」
はなび「それ面白いと思ってやってんだろうけど、全然面白くないからな」
さなえ「えー」
はなび「どっぺんぱらりみたいになってんぞ」
さなえ「なにそれ」
はなび「なんだろ、昔話の最後につけるやつ。『おしまい』みたいな意味だと思う」
さなえ「ふーん。お母さんだったら笑うんだけどな」
はなび「そりゃお前、自分のこどもは可愛いから」
さなえ「え? なに? さなえちゃん可愛いって言った?」
はなび「言ってない」
さなえ「さなえちゃん可愛いねって思った?」
はなび「思ってない。そもそもオレ、お前のこと名前で呼んだことはない」
さなえ「『オレはさなえが好きだーーー!』」
はなび「うわああああああーーーーーっ!」
真っ赤になった顔を覆い、うずくまるはなび。
はなび「勘弁して。許してください」
さなえ「ふぉふぉふぉ、自分の立場を理解したようじゃな。
はぁー、余は満足じゃ」
さなえはふと、はなびの読んでいた単行本を見る。
さなえ「なにそれ鬼滅?」
はなび「これ……? 呪術廻戦。鬼滅は今貸してる……」
さなえ「じゃあそれでいいや。貸して」
はなび「え……? ちょ、ちょっと待って。これ、鬼滅に見えたの? 全然違うじゃん」
さなえ「漢字4文字だから見間違えた」
はなび「鬼滅の刃でしょ? 平仮名入ってる」
さなえ「別にいいじゃん。貸して」
はなび「これは?」
目を細めて単行本の表紙を見るさなえ。
さなえ「……ワンピース?」
はなび「違う、フェアリーテイル。じゃあこれは?」
さなえ「チェンソーマンでしょ。もういいじゃん、早く貸して」
はなび「ワールドトリガーだよ。もう絵柄から何から何もかも全然違うぞ」
さなえ「タイトル、カタカナだから」
はなび「お前、視力いくつ?」
さなえ「別にいいじゃんそんなこと」
はなび「おばあちゃんに言うぞ」
さなえ「……右が0.2、左が0.6」
はなび「ド近眼じゃねえか。いつもはコンタクトしてるの?」
さなえ「コンタクトしたことない」
はなび「はぁ? 嘘だろ、お前がメガネかけてるの見たことないぞ」
さなえ「メガネあんま好きじゃないから」
はなび「好き嫌いの問題じゃなくね? 学校でもメガネかけてないじゃん。授業とかどうしてんの」
さなえ「一番前の席だから大丈夫」
はなび「体育とか美術とかもあるじゃん。あ、だからか。だから転ぶんだよ。バッカだなお前。メガネ持ってねーの?」
さなえ「持ってるけど、あんま好きじゃない」
はなび「危ねーからかけろよ」
さなえ、ムスッとして押し黙る。
さなえ「星野にそんなこと言われる筋合いないんですけど」
はなび「いや、危ねーだろ。だから転ぶんじゃん」
さなえ「いつもは転ばないですし、気を付けてれば大丈夫ですし」
はなび「ええー? すげぇ抵抗するなお前。なに? 何がそんなに嫌なの?」
さなえ「かっこ悪いじゃん」
はなび「え?」
さなえ「あんまデザインが好きくないっていうか、可愛くないから」
はなび「全世界のメガネ利用者を敵に回していくスタイル」
さなえ「別に人がかけてるのはいいと思うよ? でも私はかけたくない。似合わないし」
はなび「ちょっとかけてみて」
さなえ「えー?」
はなび「いいから」
さなえ「……笑わない?」
はなび「笑わない」
さなえはメガネをかけると、もじもじしながら不安げにはなびを見る。
はなびは一瞥するや、ぎゅっと目を閉じて上を向く。
さなえ「……なに? やっぱ変?」
はなび「変ではない」
さなえ「笑うのこらえてるでしょ。あーもう、恥ずい」
はなび「いや、悪くないよ? 普通じゃね?」
さなえ「普通? 普通って?」
はなび「普通にいんじゃね」
さなえ「いいね? それ『普通のいいね』?」
はなび「普通のいいね」
さなえ「かわいい?」
はなび「とは言ってない」
さなえ「さなえちゃんいいね、普通にいいねってこと?」
はなび「普通にいいねってこと」
さなえ「ふーん」
はなびがおずおずと薄目を開くと、メガネをかけてにやにや笑っているさなえの姿。はなびは真っ赤な顔を隠すように畳を転がって背中を向け、呪術廻戦のページを開く。
このは「さなえー、お迎えきたよ。うおっ、なに、メガネ? ほえーーー、かわいい。やばいめっちゃ萌える」
さなえ「『いいね』? 『いいね』? 『本当のいいね』?」
このは「いいねいいねいいねいいね! YOUうちの子になっちゃいなよ!」
さなえ「にゃ゛ーーーっ! 髪をぐしゃぐしゃするなぁーーーっ!」
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