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見えない力
世の中のいろんなこと。
今目の前にあるものは見えるまま単体かもしれない。
しかしその目の前のモノ、ヒト、作品etc…
すべてのものにストーリーがある。
世の中の傍若無人な人間というのは基本的にそこを見ないのでそうふるまえる。
簡単なことで言うと
ポイ捨てをしたり、交通違反をしたり、約束を破ったり…
そういう小さなことにその想像力のなさが現れる。
当たり前のことが自分都合でできないのは自分のことしか見えてないから?
いや、自分のことも見えてないからそうなんだろうと思う。
一番わかりやすいもので例を挙げるとするならば
『時間』
僕は世の中で、時間というものが一番価値があり尊いものだと思っている。
今、この世の中において物理的に時間だけは自由にすることができない。
ゆえ、物理的ではありますが取り返しのつかない非常に大事なもの。
例えばわかりやすく僕は今早朝4時にこのnoteを書いている。
当然今日の仕事に響くし、早く寝たほうが良いが、しかし
これは自分にとって必要な事柄だから大事な時間をやりくりし今書いています。
今思うことは今が一番熱い。
下書きなしで書きなぐる、一発正書スタイルの僕にはその時が一番大事だから。
そしてここで僕は『寝不足』という状態になる。
ただ夜更かしするだけならだれでもできる。
ようは、自分の身勝手で明日の仕事や、ヒトの予定を狂わさずにやれるかということ。
僕も若い時そうだったが、少々仕事を休もうが、遅れようが、自分のことしか考えなかった。 非常に甘ちゃんで凡人の下。
いうなれば、だれにでもできることをできないんだから始末が悪い。
自分に仕事として役割があるのなら、自分が予定外に穴をあけるということは、想像力が乏しければ、ただ、自分が休む、遅れる、ささいなことと思ったりするが
その自分んの行動は、約束した相手、約束した相手の周り、そして約束した相手の周りの周り、いろんな人間のピンチを招く行為であって、非常に厄介なことなんですよね。
いろいろ都合があろうが、そこに責任が発生するのであれば、その責任というのは物凄い数の人間に影響するものなのだ。
それは、僕一人がゴミを捨てても。 僕一人が遅れても。
という意識であることの想像力の欠落による責任感の皆無を意味して
要職には付けない。
生活や仕事において、だれでもできることをないがしろにできる人間は
まず仕事の能力があるとかないとかの前の根本的なことが欠落している。
定時があれば時間に間に合うように事前行動を心がける
自分一人くらいゴミを捨ててもと思うことを
自分一人くらいはゴミを拾うとか。
人が0ベースで行動することを、あえてプラスで行動することによって
普段から人に迷惑をかけないようにリカバリーをかけることができる。
僕が遅くまで仕事をするのは、正規の時間内では仕事を捌く能力がないから
時間を削って、家族との時間を削って仕事に当てている。
それは僕が遅れることによって人様に迷惑をかけること少しでも減らそうとする、できない人間のせめてもの努力。
うちの妻やスタッフを例に出すと、毎週水曜日には深夜まで僕のYouTubeの編集作業を文句も言わず自分の仕事として懸命にやってくれてるが
あくる日に本来の自分のするべきことや母親さぼることはない。
ありがたい話だが、僕はそういう気持ちに支えられています。
スタッフが編集をしてくれる日に子供を見てくれる家族たちもまた。
そういうのが想像力です。
自分が今こうやってnoteを書いているのもいろんな人の支えがあってのこと。
自分は人によって生かされている。
毎日すれ違う他人にも、皆そういうストーリーをもって自分を主役として生きてます。
優しい世の中をつくるなら、自分は自分の物語の主人公でしかなく
この世の中は主役ばかりの集合体であるということ。
毎日の生活が大変でそんなことを考える暇はないのが現状だと思います。
約束を守る、時間を守る、役目を果たす等の私生活から
スーパーのレジで『ありがとう』
言って見ることや。
私生活やSNSで、しんどそうな人に一言声をかけてあげるとか。
できることから一つだけでも優しさを増やしていくことを
必須としたいし
今生きていることがいろんな人々がこの世で役目を果たしてくれているからだ、ということだけは忘れずに生きたいと思います。
少しの優しさやがんばりが人の幸せになるのが社会ですから。
ツトムクルーズ