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我が街の常識

私は徳島県徳島市に住んでいます。

どんなところと言われ一言で言いますと

あらゆる意味でものすごい田舎であり超地方都市です。

都市という言葉もおこがましいほど。

それはもちろんインフラをはじめとする機能的なものはそうなのだが

なにをもってものすごい田舎というのか。

それは 『常識』の内容の低さです。

同じ税制で同じ日本人としての義務を果たすのが嫌になるほどの残念な常識です。

ある日のとあることを引き合いに出しましょう。

長く大阪圏で住んでいて数年前に徳島に戻ってきた方と徳島駅周辺に用事で訪れた時のこと。

徳島では常識となっている、今考えるととても不思議な開かずの踏切があるんですね。

徳島の人ならすぐわかると思うのですが、そう、市立体育館の手前の踏切です。

一時間に数本しか通らないような踏切で、なぜか頻繁に警報器がなり遮断機が下りる。

回送中の列車が踏切を半分くらいふさぎ、運転手が後部の運転席に移動して逆方向に走って線路を入れ替える。

↑皆さんおわかりでしょうか?

徳島駅からすぐの場所でこのありさま。

しかし、徳島で育った僕にとっては当たり前の光景。

彼が、『これどないなっとんですか?』って口を開くまで何にも思わなかったが言われてみるとちゃんちゃらおかしい。

車社会で渋滞が常の徳島でこの状態。
しかも衰退しきって本数の少ないJR四国の徳島駅でこの意味の分からない仕組み。

こんなちょっと大人が知恵を出して本気で取り組めば解決できそうな問題を
『知らんし』
ってほっとける政治が
『徳島クオリティー』

そもそも我々の常識はおかしいんですよね。
これって普通の都市なら住民がワーワーと騒ぐような状態ですよ。

都会ならまだしもこのド田舎でこれって無策、無知、の現れ出会って徳島というところの恥ずかしさを全国にさらしていることに徳島人は気づいていない。 だから政治の怠慢を許し今の不自由を不自由と思わない。

私も徳島人だ、徳島を誇りに思いたい。

しかし実際思えない。

生まれ育った場所、愛着もあれば思い入れもある。

しかし誇れない。

徳島は田舎。 確かに大自然やいいところはある。
もちろん徳島を愛する人や誇りに思う人を否定なんかしません。

しかし、旅行好きな人はわかると思うのだが、よその田舎にも大自然はあるし、そもそも他所の都会にも大自然がある。

しかもその大自然までのインフラも快適でまさに両翼完璧。

そのような都市から来たいっていえるような突出したものはない。

単体であっても、そこへ人を導く一貫した取り組みがない。

同じ快適な自然を求めるなら当たり前だがアクセスの良さは必須。

車の対抗もままならないような道がたくさん残るような観光地に挑むってなかなかの思い入れ。

かなり脱線しましたが、何を言いたいかというと、我々徳島人が常識と思っていること、そしてこの街の政治は全く機能していないということ。

この花畑踏切はその象徴である。

沢山の課題がある中で、こんな状態をそうにかできないような政治って、いったいどこを向いて何のために政治をしているのか?

無駄に何十人もいる我々自治体の政治家さんたちはあの状態を恥ずかしいと思わないのでしょうか?

数年前、市議会選挙の時にとある議員さんが、プラゴミの収集日に軽いので風が強いと道路中に散らばって見れたものじゃないし危ない! 当選すればそういうところにちゃんと目を向けこういうものから解決していきたい!
とSNSでおっしゃってるのを聞いて、市民目線の人なんだなって感心しました。
そしてその人や同じようなことを言ってた人がいました


もうすぐ3年たちますが


プラスチックごみは当たり前のように風の強い日道路を暴れまわっています。


踏切が普通に機能し、ごみ袋が道路に散乱しないような政策は
メシアみたいな政治家が現れなければ無理なのでしょうか?

徳島の常識は日本の非常識であることが多いことを。

もっと自覚することから始めないと。

政治の根本を監視する市民の意識が高くならないと。

これからも政治が良くなることなんてないと思います。


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