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ぐのしえんぬ

 人間が焼かれる。そう書くと何か恐ろしい事件のようだが、火葬場では毎日行われている日常だ。毎日普通に人間は焼かれている。
 日常とは出来事をいつの間にかルーティン化し相対化する魔力を持つものである。例えば「猫を鼻に詰める」「魔法で蕎麦を打つ」「四次元への穴を塞ぐ」なども視点を変えればよくある平凡な事柄や何かの例えなのかもしれないし、それが異様な出来事であっても、日常はやがて全てを飲み込み、ありふれた平凡さへ回収してしまう。「へそで茶を沸かす」これは最早ただのことわざである。ことわざもまたある日常の変質した姿なのだろう。

 ピクトルはペクチャの父である。ペクチャは5歳の男の子だ。
 ある日、ペクチャはピクトルのリュックのフリをして背中にしがみつき、買い物へついて行った。リュックになったペクチャは、市場でピクトルの後ろから気付かれないように手を伸ばし、勝手に買い物かごへお菓子やらジュースやらを入れた。ピクトルが不可解な買い物をさせられた事に気付いたのは、ペクチャが背中でむしゃむしゃとお菓子を食べる音を聞いたからであった。
 冬のある時、ペクチャは大きなあくびをした。あまりにも大きなあくびだったので、大きく開いた口の中へ動物たちが大量に暖をとりに来た。すっかり暖まって安心した動物たちは、リラックスしたせいかウンコをして出て行ったので、ペクチャは泣きながらピクトルに歯を磨いてもらった事がある。
 いつだったか、ペクチャはピクトルのフリをして頭のてっぺんをゴシゴシ擦っていると、本物のピクトルの頭のてっぺんから煙が出た事があった。煙はヘビのようにぐんぐん伸びていき、遠くまで続く万里の道のようになってもう先が見えなくなる程だ。ピクトルのフリをしたペクチャは煙に飛び乗り、ピクトルの脚力で遠くまで走っていった。その後、あまりにも遠くに行き過ぎて帰れなくなったペクチャが泣いていると、向こうからピクトルがペクチャを探してやって来た。2人は来た煙の道を辿り戻っていく。この煙の先にはピクトルの頭があるはずだ。でも隣を歩くのもピクトルで、ペクチャもピクトルのフリをしているのでピクトルだし、この先にも煙を出し続けているピクトルがいるのでペクチャは、あれ? ピクトルの数が合わないぞと思った。
 ペクチャが何度もコケたり頭をぶつけてしまうことが止まらない日があった。その度に頭にたんこぶが積み重なっていき、いつしか雲を突き破るほどの高さになってしまった。ペクチャはそのたんこぶを梯子のように上って雲の上へやって来た。美味しそうな雲を見つけてはちぎって食べるペクチャ。ペクチャは雲が大好物だった。お腹が膨れたせいか、たまっていたガスが押し出されて大きなオナラが出た。
 それで思い出したのが、ピクトルと芋ほりをした時の事だった。ものすごく大きくて長いサツマイモを3日かかって掘り続けた。途中でお腹が減るものだから、お芋を掘りながらそのお芋を食べては掘り続けた。お芋ばかり食べ続けたせいか2人はオナラが止まらなくなってしまった。オナラを出しながら3日間掘り続け、掘ったお芋は、ピクトルとペクチャがオナラの推進力で空を飛んで、お腹が減っている人たちにも分けに行った。
 ところで、ペクチャが雲の上でした大きなオナラは雨雲を巻き込んで台風になってしまった。台風が来ると洗濯物を干していたプロメトクルスが困ると思った。プロメトクルスとはペクチャの母の事である。ペクチャは大急ぎで家に帰り、まだ乾ききらない洗濯物を取り込んで、プロメトクルスと弟のニチャもつれてたんこぶを上って雲の上へやって来た。雲の上は天気が良く洗濯物を干せばよく乾く。それ以来プロメトクルスは雲の上で洗濯物を干すようになった。
 ふとペクチャはピクトルがいないことに気が付いた。ピクトルがいない時はピクトルの事を思い浮かべればよかった。記憶の中にいつだってピクトルはいるのだ。記憶の中のピクトルと会い、雲の上の素敵な場所について話した。そうしてペクチャはピクトルを連れてたんこぶを一緒に上り雲の上までやって来た。雲の上は暖かく、みんなでおやつを食べて昼寝をした。お腹がいっぱいで風船みたいにお腹が膨らんで、風船みたいにフワフワと飛んだ。ポカポカの太陽のもと、昼寝をしながらみんなでプカプカと浮かんで楽しかった。
 ある日、ピクトルとペクチャで弟のニチャは柔らかそうなので食べたら美味しいに違いないという話になった。ニチャはまだ3歳でぷにぷにとした体つきである。それを聞いたニチャは、おいしくないよ、と逃げようとするがピクトルとペクチャは美味しそうだと言って譲らない。ニチャが誰が一番おいしいか食べてみればわかるというので、3人でお互い食べあってみた。どんどん体が無くなっていき、いつの間にか全員が全員を食べつくしてしまったのだった。そこにはもう誰もいなくなって、食後暫く時間もたった頃、突如空間に巨大なひと塊の消化されたウンコがあらわれたのだった。
 それを見たプロメトクルスはあきれ果て、3人の事を思い出し記憶の中から連れ出して説教をした。そして3人に粗相の後始末をさせたのだった。楽しいことはいつか終わってしまうのでなんだかさみしいなとペクチャは思う。でもそんな時ペクチャは眠ることにしている。そうすると夢の中でまた遊びの続きを楽しむことができるからだ。

 これらはピクトルとペクチャにとってありふれた日常の話である。そしてこれは作者が息子に毎週末聞かせる即興の他愛ない寝物語の断片に過ぎず、その事もまたありふれた日常でしかなかった。

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