【恋愛】好きだから待つ、ではない。むしろ逆である。
【270号】
音信不通の連絡を待ち続ける間、信じていた信条がある。
それが
「わたしは彼のことが好きだから、待ち続けたい」
という気持ち。
自分の好きを信じたい、この気持ちに間違いない。彼以外はありえない。だからどんな困難があっても待ち続けるんだ。
と奮い立たせて。
友だちに何を言われても、彼に無視されても、季節が何回変わったか数えられなくなっても、来る日も来る日も待ち続けた。
その待ってる間、ずっと好きでいれる自分の一途さに驚いて。
自分の知らない一面に気づいたのか?って思ってた。
あるカラクリに気づくまでは。
むかしの私は”彼のことが好きだから、待つんだ”という自分の信条が正しいと信じてやまなかった。
気持ちがボロボロになっても待つことをやめなかった。
このときの私に何が起こっていたのか?
それは、
”好きだから待ってる”
ではなく
”待ち続けてるから、好きになる”
という状態になってた。
逆転していたのだ。
いつの間にか、待つことが習慣化していた。
何も考えずに、ずっと待つ。
待つ、待つ、待つ、待つ。
”待つ”ことが当たり前になって、その待つことの意味は「好きだから」だと思うようになる。
連絡がこなくて、逢えなくて、約束をやぶって、無視する人のことを。
そうじゃない。
たしかに過去のある時点まで、”好きだ”という気持ちはあった。強烈にあった。
そして雑に扱われるようになっても、それでも、その人のことを好きだと思えたのは、それを強化しつづけたのは、
”待ちつづけたから”だった。
待ち続けてる間、その人のことを考える。考えれば考えるほど、その人への気持ちって強まっていく。
待つとは、時間を使うということで。つまり時間という命を投資して、その人に使ってるんだもん。
それに意味がないなんてありえないから。
楽しいから笑う、じゃなくて、笑うから楽しい、という言葉があるけれど、身体の状態が感情をつくる、ということがある。
それと同じことがおこっていた。待つから、好きになる。
だから、待つことがあなたの笑顔につながってないなら、待つことを断ち切ろう。
待つのをやめることは、大きな決断だ。手放すって怖いことだ。一人になっちゃいそうだもん。
それでも笑顔でいれないことを続ける方がこの先一人になっちゃう可能性は高くないだろうか。
自分を笑顔にしない選択の見切りができる人が勇気がある人になれる。勇気をだしたら、今いる場所から必ず前進できるから。
あなたを”笑顔にしないこと”はやめる。
今日もあなたを幸せにする選択を。