あこがれの自宅分娩
自宅分娩
4人目でやっと!あこがれの自宅分娩ができた。本来の自然な姿、当たり前の事が現代ではハードルが高すぎる。自宅と言っても実家ではあったが助産婦さんが今は貴重な事なので是非助産婦学会の方に協力していただけないかと言われカメラで記録するということにもなった。昔のようにおじいちゃんはお湯を沸かしたり布団の用意をしてくれたりと大活躍。おばあちゃんも上の子たちの面倒を見てくれたりして家族総出の出産現場となった。主人も何とか間に合いカメラでの記録やもちろん臍の緒を切る儀式も4人目ともなれば慣れた手つきで処理していた。そして生まれる瞬間は上の子供たち全員私の横にいて見守っていた。長女はその時7歳であったが頭が出てきた瞬間に名前で呼んでいた。4歳の息子はごく自然に妹が生まれる瞬間を見たようだし、2歳の息子はおばあちゃんに抱かれながら見ていたらしい。本人は記憶にないと言っていた。
出産後
自宅分娩は産後の体の負担も皆無なのがよかった。2人目のときに朝出産して夕方には退院して団地の4階まで上がった時はさすがにフラっとしたが今回はそのまんまのところでずっと安静にしていられたから。上の子たちもいつも赤ちゃんの顔を見に来たり私と話して横に一緒に寝転んだりしたのでお母さんを赤ちゃんに取られたという嫉妬のような態度がなかった気がする。
5人目の時は長野から山梨に引っ越してきており幸いにも山梨の自宅から車で30分くらいのところに助産院があったのでそこで出産することにした。その頃はもう長女は12歳、息子たちはそれぞれ9歳と7歳、自宅分娩をした4人目の子も5歳になっていた為さすがに山梨を離れることが難しいし、病院ではなく助産院ということなのでそこに決めた。5歳になった娘は今度こそ自分も赤ちゃんが出てくるときを見られると楽しみにしていた。自宅分娩の時は赤ちゃん自身だったため出産に立ち会うことができる最後の機会でもあると感じていたらしい。私も年齢的に最後の出産と決めていた。
それなのにその機会は無残にも無くなってしまった。陣痛が起きて主人が運転する車で家族全員乗って助産院に向かったのだが、あいにく先発組が分娩室を占領しており隣の小部屋で待ってほしいと告げられた。そこは本当に狭く私1人だけで他の家族はみんな待合室にいた。ところが5人目で順調ということの証拠なのだが、すぐに出産しそうになり分娩室にいる先発組がまだ終わらないうちに出産してしまった。その小部屋で臍の緒のみ切るために何とか主人だけ小部屋に入ったので子供たちはみんなこの感動的なシーンを見ることができずに終わった。楽しみにしていた4人目の娘は「みんなは体験できたのに私だけ見れなかった!」と後から随分と言われてしまったが仕方ないことだった。やはり自宅分娩のようにはいかない。
5人それぞれ違う出産ではあったが、それぞれその時その時考えてやってきたので今となっては後悔のない経験だった。そして次回へ続く。
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