出産

今回もいたって個人的な見解なのでどのようにみられるかを気にはしない。

私は5回の出産を経験したがそれぞれ状況も出産した所もばらばらだ。

共通して言えるのはすべて病院と言われるところではなく、また臍の緒も全員主人が切ったということであるが場所はみんな違った。一人目の時にいろいろと調べ本当は自宅分娩をしたかったのだが、自宅に来てくれる産婆さんがいなく本で知った助産院に1時間半かけて通った。私は出産は健康ならば自分主体で産みたかった!まな板の上の鯉のように病院の都合に合わせて産まされることは我慢ができなかったのだ。

 しかしこのことで長女は障害といわれるようになってしまったので私の責任は大きいと今でも感じている。障害を持って生まれる事故としては妊娠中と出産時と半々とも聞いたことがあるが私の場合妊娠中に逆子だから直して欲しいと言われ逆立ちをしたり、産婆さんが2度にわたりお腹の上から胎児を回転したこと。そして破水しても陣痛がこなかったので産婆さんに連絡したら陣痛を起さなくてはいけないから歩き回ってと言われかなり歩いたことなど。2日たっても陣痛が起きずそのうち急に出血してしまい大急ぎで産院に駆け込んだ。初産でかなりの難産だったと後で知った。その時は初めてだったので無事に出産できたことを素直に喜んだ。 

ただ、あとから産婆さんから通常よりも臍の緒が短いのに2重に首に巻かれていたことを聞かされた。長女が幼児検診のときに知的障害を疑われたとき私はすぐに原因はこれらすべての影響だと感じた。脳に酸素が充分いかなかったのではと思う。友人からは訴えれば勝つともいわれたが我が子がそれで治るわけでもないし、証明するために実験材料のようにさらされたくなかったのですべて受け入れてこの子の個性と思うことにした。障害という言葉も自分たちと分けているようで嫌だった。だからほかの子供たちは長女が障碍者と言われる部類にはいるとは随分と長い間知らずにいたと思う。

 そして私自身も障害手帳の申請などは高等部の支援学校(そのころは養護学校と言われていた)に入学するために初めて相談に行ったほどだった。知的障害は体の外からは判断しにくいのでなおさら個性ととらえたかったのだと思う。しかしこれがまた長女を苦しめてしまったかもしれない。最初の子供なのに親としては全くの無経験。しかも双方の親とも離れていたのでまったく孤独の中の手探り状態だった。頼みの綱の主人はそのころ本省勤務で毎日終電で帰る始末。家に帰ってきたら自分の睡眠をとることが優先されるため、東京の官舎住まいは赤ちゃんが生まれたのに随分とさみしかったという思いでしかない。

 そんな経験をしたのにやはり病院での出産はどうしてもダメで2人目も違う助産院を探すことになる。やはりわたしは我が儘なんだ。どこで産もうとリスクはあると自分に言い聞かせてたから。続きはまた次回。

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