拝啓 やっさん
どうも、はじめまして。
”対馬TC長崎市支部長(仮)”の武次賢人です。
なんで(仮)がついてるの?と疑問に感じた方は色々と察して欲しい。
なんで対馬??
「最近なんで対馬に行ってるの?」「なんで対馬の陸上部に入ってるの?」
という質問を最近されることが多い。
「えっ、そりゃ、えーっと」
上手に説明できないことが3回ほど続いたのでじっくりと考えてみた。
いろいろ考えてみた結果、ある結論に至った。
「そうだ、あの人に出会った、出会ってしまったからだ」
あの人とは、そう。安田和哉。この男である。
ここでは、私が、彼との出会い。そして、対馬TC加入するに至るまでのことについて、自分の頭の整理すること、そして、文章を書く練習のために振り返りたいと思う。そして、安田和哉(通称:やっさん)のことを多くの人に知ってもらえると嬉しい。
はじめに言っておくが、これは感動的な物語ではないし、ほとんどの人においては参考にはならない(私が高校生の時にデコログで流行っていたお友達紹介のようなものだと理解して欲しい。しかも、読んだ人にyonda!!コメントを要求するものでもない)。※もしよければいいねを
暇な人は読んで欲しい。
高校生だったあの頃
やっさんと出会ったのは私がまだ可愛らしく素直な高校生の頃だと記憶している。当時、私もやっさんも県下一周駅伝の長崎市チームの練習に参加していたのでお互い面識はあった。
”ペースメークをいつもしてくれてる大学生”というのがやっさんに対する最初の印象だったと思う。おそらくやっさんの私に対する印象は競技に真摯に向き合っている見どころしかない高校生だったに違いない。
・・・が、喋った記憶はほとんどない。
唯一記憶があるのは400mのインターバルの練習後だった。
「こういう練習の時は、前半は太ももを意識して使って、後半はふくらはぎを使うようにして走るんだよ」とアドバイスをしてくれた。指導者がおらず自分なりに練習をしていた私にとっては、大学生とはこんな風に思考・実行しているのか。。。と、衝撃だったことを鮮明に覚えている。
(ちなみにこの走り方10年経った今でもやっている。この教えの後から400Mのインターバルが1番得意な練習となったのはやっさんには絶対内緒だ。絶対だぞ。お兄さんとの約束だ!)
それぐらいが高校生の時の私とやっさんの唯一のコンタクトだと思う。
社会人になったあの頃
そんな感じで過ごしていて、やっさんと仲良くなるきっかけができたのは私が社会人になって社畜になった頃だった。自分の同級生が県下一周駅伝のお疲れ様会をしよう!といった感じで飲み会を開いた。
その時にやっさんもその席にいて、はじめて一緒にお酒を飲んだ。
当時からお酒が非常に弱かった私はやっさんにお酒の飲み方とやらを熱く説明されたようだった。
・・・ようだった。
と書いてあるのは酔っ払い過ぎて記憶が定かではないからだ。
そして、友情というものはある日突然芽生える。
そこからやっさんとは一緒に練習したり、恋の相談をしたり(多分これが1番距離が縮まった要因のはずだ)。
結果はともかく、よく飲みに行ったりした。
長崎市と対馬の交流をしていたあの頃
しかし、楽しい時とは長くは続かなかった。やっさんが対馬市役所に就職が決まり長崎市から離れることになったのだ。
その時は送別会もやった。なぜかやっさんちで。女の子もいて非常に盛り上がりにやけ顔で酒を飲んでいたやっさんの顔は今でも忘れない。いや、忘れてはならない。
そこでお別れをした。普通なら今生の別れだ。
長崎市から対馬は飛行機もしくは福岡からフェリーでしか行けず、一般的な長崎市民は対馬に行く機会などそうそうない。
私もその1人になる予定だった。しかし、人の縁とは面白いもので、その後もやっさんとの交流は続いた。
やっさんが出張で市内に来た時は連絡くれて飲みに行った。なんなら平成から令和に変わる瞬間も、たまたま長崎市にいたやっさんと過ごした。
対馬にも国境マラソンを口実に遊びにも行った。
結婚前は奥様も紹介してくれた。
結婚式に呼ばれてたなかったのだが、どうしても行きたかった私は、奥様に直談判をして招待状を手にした。
それに、県下一周駅伝にやっさんが走る時はどんなに遠くても応援に行った。
ただ、県下一周駅伝では、1度だけ、やっさんと一緒の区間を走ったことがある。それは、
2017年の2日目12区(本諫早〜愛野)
対馬市チームで区間変更があったためやっさんが同区間に。
元々私はこの区間だったので下見、試走済み。先頭の優位性。そして、30秒差ぐらいで走力がちょっと上の人が追ってくる、という長距離ランナーにとっては完璧過ぎる理想的な展開である。
一方、対するやっさんは前日に中々ハードな区間を走破した疲労、また終始単独走を強いられる。展開が味方もしてくれ、なんとやっさんに勝利。
狂喜乱舞だった。
湘北が山王工業に勝つぐらいの喜びだった。(もちろん流川は私だ。)
対馬TCに導かれたこの頃
良い感じの関係が続いていたがコロナ禍もあり、中々会えない日々が続いていた。そんなある日のことだった。やっさんのあるSNSの投稿が目にとまったのだ。
詳しくは分からないが、なんだかとても面白そうだった。
とりあえず、深く考えずに
「やります」
とだけメッセージを送っていた。
すぐにやっさんから返信がきて3月にイベントをやるから、対馬に来てとのこと。話をまとめるとオリンピック選手・高瀬慧さんを呼んで陸上教室をやるとのこと。
何回かzoomで打ち合わせをして対馬へと渡った。
実際のイベントは、とにかく楽しくて、新しい陸上の可能性を知ることができた。対馬から帰りたくないと何回もぼやいた。
その帰り道。空港までの道すがらやっさんから
”対馬で陸上クラブ(対馬TC)を立ち上げる”
という話をされた。
私は「へぇー」ぐらいの感じだったが、「武次も入らない?」という軽いノリで、やっさんから勧誘された。「ちょっとコンビニ行ってくるわ」よりも軽かった。
いやー僕は入ってるクラブがあるんです。いやー。
と、その日はこれで終わった。
けど、対馬での楽しさが忘れられず、帰ってすぐに当時のクラブを退部し、
対馬TCに入部した。
やっさんも非常に喜んでくれ、号泣していた(多分)。そして入部して3ヶ月ぐらいが経つ。
知らなかったこと、新たに知ったこと、新しい出会いもあった。
おそらく非常にすごい経験を私はしている。
そんなことの全てのきっかけは
”やっさんだったなぁ”
と今しみじみと思う。
感謝という月並みな言葉はいらないので、行動で返していくほうが良いはずだ。
この文章を読んでくれたそこのあなた。
そのやっさんが副代表を務める対馬TCへの応援をよろしくお願いします。
対馬TC長崎市支部長(仮) 武次賢人
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