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オー・ヘンリー


オー・ヘンリー(1862-1910)の短編小説の中に、『賢者の贈り物』(ザ・ギフト・オブ・マギ)という彼の名作があり、感動的な内容で、世界の人々から愛されてきた。アパート住まいの貧しい若夫婦のジムとデラ、お互いに相手を思いやるその深い愛のゆえに、最高のクリスマス・プレゼントを贈ろうと考える。

しかし、デラの手元にはたったの1ドル87セントしかなかった。そこで、あることを考えつき、20ドルを手に入れ、夫のジムに最高の贈り物を贈る。

それは、デラ自身の長い髪を切って売ることで得た20ドルと手元にある1ドル87セントの中から合わせて21ドルを捻出したことであり、そのお金でプラチナの時計鎖を買い、クリスマス・プレゼントとして夫に与えたのである。

なぜなら、ジムの最高の宝物と言えば、祖父から父そしてジムへと受け渡されてきた金時計だけであり、その時計には古い皮紐がついていて、人目に付かないようにこっそりと時計を取り出して見るジムの姿を知っていたからである。

仕事を終え、帰宅したジムにデラはプラチナの時計鎖を与えた。しかし、ジムは変わり果てたデラの姿を見て、ただ言葉もなく呆然としてしまった。

ジムは長い髪のなくなったデラのために、あの長い髪にさす櫛のセットを買ってきたのである。亀甲で出来ていて宝石の縁取りがしてある高価なものだ。

デラは、櫛を胸に抱き、「私の髪は、とっても早く伸びるのよ、ジム」と、心配しないでと言わんばかりに、微笑んだ。

ジムはと言うと、椅子に腰をおろし、両手を首の後ろに組んで微笑みながら、「櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ」と言った。

驚くなかれ、二人は、お互いの最も素晴らしい宝物を台無しにしてしまって、それぞれの贈り物を相手のために買っていたのである。

お互いの最も素晴らしい宝物である「長い髪」と「金時計」をそれぞれ売って、妻は夫に、夫は妻に最高の贈り物を贈った若い夫婦は、果たして、愚か者だったのか。

長い髪のために買ってきた櫛のセット、金時計のために買ってきたプラチナの時計鎖。

貧しい若い夫婦が、お互いを思いやったその結果は、妻の方は櫛をさす長い髪を売り払った、夫の方はプラチナの時計鎖を付ける金時計を売り払ったという話である。

理性で考えると愚か者のような話であるが、オー・ヘンリーはどういう結論を書き記したのか。このような二人は、現代の最高の賢者だったのだと結んでいるのである。

イエスが誕生したときに、東方の三博士(三賢人)が乳香、没薬、黄金を持参して贈り物としたという聖書の話を引き合いに出しながら、この若いジムとデラは東方の三博士に優るとも劣らない賢人であると、オー・ヘンリーは書いた。

一体、何を言いたかったのか。間違いなく、相手のために、自分の宝物を売り払って最高のものを贈ろうとする究極の美しい夫婦愛を示したことによって、このジムとデラの二人は最高の賢者であると言っているのである。よく、こういう作品を書けたものだと思う。

オー・ヘンリーは、ノースカロライナ州グリーンズボロで生まれた。彼の父は医師で、母親はオー・ヘンリーがわずか3歳のときになくなり、彼は母方の祖母と叔母に育てられた。

15歳で学業を終え、書記官として働くが、職業歴は、牧場、薬剤師、製図工、銀行員、コラムニストなど、いろいろな仕事を転々としている。

1887年に、オー・ヘンリーはアトール・エステスと結婚する。1896年、病気の妻のアトールと娘を残して、彼はテキサス州のオースティンからニューオリンズへと逃亡した。

その原因は、彼の生涯において、不名誉な事件と言えるのであるが、銀行で働いていた時に、銀行の金を横領したという嫌疑が掛かったことであり、1898年、有罪判決を受けた。妻は、病気のために、すでに、1897年にあの世へ旅立っていた。

オー・ヘンリーの刑務所での待遇は良く、獄中で薬剤師として働いていたために、監房ではなく刑務所病院で寝起きし、模範囚として減刑され、1901年には釈放された。

釈放後は、ニューヨークで作品を書き、人気を博する。思うに、オー・ヘンリーの作品である『賢者の贈り物』に示された彼のエートス(道徳感情)は、哀愁を秘めていて、悲しみの中で花開く美しい夫婦愛の世界を描くに十分な資質を示してくれたと言える。

病死したアトールとの愛の世界も、何かそういう切ない夫婦愛を分かち合っていたのであろうか。作品を読むと、オー・ヘンリーは本質的に生真面目な作家であったように思う。


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