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司馬遷:専売をどう見るか


「専売の賛否「塩鉄論」」
司馬遷が、物質的な満足を求め、富を築くことを人間の本性と認めていたとすると、そのような富の獲得を可能にする自由放任の市場経済をよしとしたのは当然です。
 
一方、官(国)が民と争って利益を奪い取るやり方を、司馬遷が最低だとしたこともうなずけます。 そのような国家の下策は、例えば、政府の専売事業です。民間をライバル関係にして利益を奪うやり方です。
 
司馬遷は、鉄や塩の専売には反対でした。政府が鉄や塩を握って、独占し専売すれば莫大な収益が上がります。同時に専売を行い、流通を支配すれば、政府が安い時に買い、高い時に売ることで価格を安定させることもできますが、そのことが専売正当化の理由にされたりします。
 
司馬遷は、価格安定化の政策について、『史記』の「平準書」というところで論じています。「平準」とは、変動する物価をコントロールし、安定させることを目指した政策のことです。
 
その基本は、政府は安い時に大量に買って在庫として保有し、高くなるとそれを市場に放出することで価格の騰貴を抑えるということです。つまり、政府が「緩衝在庫」を使って価格を安定させるということですが、これは紛れもなく政府直営の商売以外の何物でもありません。このような政府の価格統制に司馬遷は反対でした。
 
この問題の論議は「塩鉄論」として知られていますが、賛否両派に分かれて激しく対立した政治問題でもありました。
 
武帝の代になり財政が苦しくなって、それで商人の桑弘羊を起用し専売を推進しようとしました。反対に回ったのは官僚予備軍の連中で、儒教の立場からすれば、官が民を苦しめるような商売をして利益を追求するのは良くないと非難しました。
 
今日流に言えば、国家独占の資本主義、つまり社会主義的政策にも通じるやり方ということになりますが、その後、中国ではこの専売が好んで行われました。塩、鉄のほかに、茶、酒なども専売の対象となりました。
 
「専売は社会主義経済であり国家資本主義である」
中国式専売の弊害を言えば、王朝が傾き始めると、国家財政窮迫のため、収入を増やす方途として、専売の塩の価格を引き上げたということです。それは民を苦しめるため、法外な公定価格の強制から逃れる道を、人民は模索するようになります。
 
やがて、国外から安い塩が密輸され、法をくぐって密売されるようになります。安い価格で売ることにより、密売業者は大いに儲かります。消費者は少しでも安い密売の塩を買おうとします。こうして非合法なブラックマーケットが広がると、政府の専売は成り立たなくなってしまいます。
 
そうなると、政府は軍隊を使って密売組織を壊滅させようとします。すると密売組織は武装して抵抗します。そこに各地方の私設軍隊が加わります。こうして内乱が全国に広がり、これが引き金となって、その王朝は倒れます。中国の歴史は、こうした王朝興亡の繰り返しでした。
 
専売制度は、20世紀にロシアに登場する社会主義のひな型でした。塩、鉄だけでなく、すべてのものを政府直轄で生産し、販売し、政府だけが利潤を得るのがソ連型社会主義でした。その正体はまさに「計画経済」という名の「国家独占資本主義」に他なりませんでした。
 
専売の完成形は共産主義である
 
「統制経済、監視経済の限界」
現在の中国の経済を見ると、国営企業と民営企業が並列していますが、どうも中国企業の経営の在り方がもう一つ分かりにくいということがあります。
 
一般的に言われるのは、中国は社会主義の「一党独裁」で、憲法に「党(中国共産党)の指導」が明確に規定されている国であること、
 
そして、国有企業はもちろん、民営企業であっても会社の中に党組織(党委員会、党支部)の設置が法律で事実上、求められており、会社のトップやそれに準じる地位の人物がその責任者を務めているのが普通です。これは外資系企業も例外ではありません。
 
この問題は突き詰めると、「民営」とは言うものの、中国の民営企業は本当に経営者に最終的な決定権があるのか――という問題に行き着きます。このことが海外から見た中国企業のわかりにくさを呼び、問題を複雑にする要因のひとつになっています
 
司馬遷の時代に戻って考えると、彼が考えたような、やはり、自由放任の方が経済はうまくいくという市場原理主義的な立場と違って、現代中国は、市場経済と民間企業を重視する立場に立っている「ふり」をしながら、実際上は、国家が隅から隅まで管理する経済というような「統制経済」、「監視経済」の仕組みを完成させています。
 
専売というシステムに依って、国家財政を確保してきた長い王朝の歴史が、中国にはあり、その専売なるものを巡って論議が交わされてきていることを理解したうえで、現代中国の経済を見ると、まさに、国家(共産党政府)だけが利潤を得る(取り上げる)のが中国型社会主義であることを示しています。
 
金持ちは金を設けた段階で海外へ逃げ出します。いつまでも中国に留まっていては財産が取り上げられ、挙句の果ては、牢獄行きとなる恐れすらあるのです。
 
国がすべてを取り仕切るという「自由なき経済」「経営の主体性を認めない経済」は、独裁国家がやることです。1980年代のソ連が経済で行き詰まり、国家崩壊へと向かったように、中国も今のままではソ連の轍を踏むことになるでしょう。
 
「自由な創造性こそが経済の要諦である」
社会主義経済、共産主義経済というのは、真に経済を発展させる主義ではないと断言することができます。
 
人間の「自由な創造性」という本性を無視していて、画期的な研究や技術開発、イノベーションを起こすことに不向きな思想であるからです。
 
モノマネはできます。模倣性による「後追い」はできます。しかし、肝心かなめの「創造性」に欠けるところがあるので、人類を主導するリーダーシップは執れません。
 
専売のような国家資本主義を徹底していけば、やることは即断即決、速いのでいいように見えますが、多くの矛盾が出てきます。一帯一路の停滞と躓きは国家資本主義の落とし穴です。
 
何しろすべてを官が独占するというのですから、そのために、官僚体制を維持する国家全体の官僚機構化を進めなければなりません。共産党一党独裁で強力に支配する以外にないということになりますから、誰がそういう体制に付いて行くでしょうか。
 
ソ連でスターリンが完成した共産主義の一党独裁体制は、20世紀末を待たずして崩壊しました。司馬遷の「束縛よりは自由を愛する」という精神を評価することが、現在の中国に求められていることは明白でしょう。

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