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「世界制覇」その3
高校を卒業してから、およそ三年間というもの、小さなコンサートホールで地道に、鳴かず飛ばずのバンド活動を続けていた僕らのバンドであったが、恐るべきデビューを飾って以降は、何千人、何万人もの人々が集まる巨大会場や特設された巨大なステージを備えた野外でのコンサートをやると言った具合に、すべてが変貌を遂げていった。
それは痛快極まりない変化であったと言えるが、あまりの変化にどう実感したらよいのかうまく説明が付かないほどであった。一体、これは夢なのか現実なのかとしばし自問せざるを得ないような、訳の分からない運命のいたずらに遭遇しているような感じであった。
ともすれば、バンドのメンバー一人一人が自分を見失い、冷静さを欠くような気分に放り投げられているという状況を認めざるを得なかった。
そんな中で、一人静かに、いつも冷静沈着を保っていたのが、月舘秀平であった。おのれの孤独な世界を強い意志で治めている月舘は、10万人の聴衆が熱狂しても、それに合わせて興奮するというのでもなく、平然たる姿であり、超然と構えているところがあった。
しかし、ただ一回だけ、月舘が持ち前の冷静さを大いに失ったコンサートのことを、僕ははっきりと覚えている。それは、掛川市の「ヤマハリゾートつま恋」で2万人を集めて行われたコンサートのときだった。
月舘は、最初はいつもと変わらない冷静さをもって、集まったファンの大群衆に目をやりながら、ピアノを弾いていたのであるが、途中から彼のピアノの音が乱れた。おかしいなと思いながら、彼の方を見ると、非常に落ち着かない様子に見えた。
始まりから40分だけステージを務めたところで、僕たちは楽屋に引っこみ、代わりに、15分だけ売り出し中のロック・バンド「ヤング・ライオン」がステージに立つプログラムになっていた。結局、楽屋に戻るまで、月舘の動揺した様子は収まる気配がなかった。
みんな、月舘の異変に気付いていたので、楽屋に戻ったとき、まず、野村が訊いた。
「おい、どうしたんだ、月舘。音が乱れていたぞ。体調でも崩しているのか。いつもの、君じゃない。どうしたんだ。」
月舘はしばらく答えなかったが、やがて口を開いた。
「僕の両親が別れたことは、みんな知っているだろう。母とはいつも連絡は取っているが、父はそののち、行方が分からなくなってしまった。その父の姿が、聴衆の中にあったんだ。ステージに近いところだった。」
それを聞いて、ギターの野村が言った。それは月舘を慰めているようでもあり、密かに父親がコンサートに来て、聴いてくれたのは、とてもいいニュースではないかという励ましのようでもあった。
「月舘、何を取り乱しているのだ。父親がきて息子のピアノを聴いてくれたのは最高のニュースだと思うよ。お前のことを片時も忘れたことのない証しだよ。しかも、来て聴いているぞと分かるように、ステージの近くに席を取ったのだ。」
「野村、簡単に君は言うけれど、ぼくにとって、今日のような展開は、心の平安を保つことが難しいのだ。それを説明しても、きっと、分かってもらえないと思う。」
「父親とはそんなに難しい関係なのか。だったら、深入りはやめとくよ。とにかく、気を取り直して、後半のステージは、月舘のピアノがメインになっているから、しっかりとやってもらわないと、コンサートに足を運んだファンをがっかりさせることはできないからね。」
「わかっているよ。少し気持ちを整理したので、後半の舞台は、多分、大丈夫だ。」
この言葉通り、自分の気持ちをどのように整理したかは分からないけれども、自分を取り戻して、ピアノの前に座った月舘の表情は、きりっと引き締まり、前半のステージのような音の乱れは寸部もなかった。
いや、いつもより、月舘のピアノは冴えていた。ミューズの神が天界から舞い降りてきたかのような神がかりのピアノ演奏が、後半の一曲目から始まったのである。
その曲は、月舘が作曲を担当した「ジャパンの叫び」である。同じタイトルでCD売り上げ3000万枚を売り上げたスピリット・ジャパンのあの『ジャパンの叫び』の一曲目に収められた曲、また、ミリオンセラーの『日本再生』の一曲目に収録された曲で、世界に衝撃が走った名曲の中の名曲だ。スピリット・ジャパンと言えば、「ジャパンの叫び」というように、条件反射が出来上がっている。
ぼくは、月舘のピアノの音が、これまで聴いたことのない響きを奏でていることに気付いた。2万人のファンを埋めたコンサート会場も、水を打ったように静まり、5分間続くピアノ独奏の個所に全神経を集中させた。
ピアノ独奏が終わった途端、会場から割れんばかりの拍手がスタンディングオベーションで行われ、その拍手は一向に収まる気配がなかった。観客は心から感動し、月舘のピアノに酔いしれたのだ。
続く出番は、ドラムのぼく中野とギターの野村が中心となるパーツで、ドラムとギターの音が戯れ合い、強烈に唸るギター、疾風怒涛のドラムの掛け合いが展開される中、そこにボーカルの日野がもう一つのバッキングギターをかき鳴らしながら、ボーカルで入ってきた。
ジャパンの叫びを聞け、人類よ、ジャパンの叫びを聞け!
憎しみ合うことをやめ、愛に生きよ、愚かに生きてはならない!
殺し合いをやめて、平和に生きよ、愛から生まれた命の大切さ!
疑うことをやめ、信じあう世界に生きよ、信頼が人類の生きる道!
争うことをやめ、ともに分かち合う、奪うのではなく、与えるのだ!
というフレーズが、二回、繰り返されると、コンサート会場に、また、大きな拍手が鳴り響いた。日野のボーカルは、フォーリナーのルー・グラムの声をもう少しクリアにした声である。低い音も高い音も自然に出すことができる声帯を持っている。
ここに、月舘のピアノが伴奏で入ってきて、日野の歌う主旋律の歌声を引き立てるようにして、ピアノの音が非常に効果的に歌に寄り添った。
「ジャパンの叫び」は、作詞は日野であるが、月舘の作曲であったから、この曲全体の構成と楽器演奏のそれぞれの役割分担を知り抜いていたというよりも、この曲そのものが月舘の頭脳であり、感性であり、旋律であり、リズムであり、ハーモニーであったので、ピアノがヴィヴィッドであるのは当然のことであった。
この「ジャパンの叫び」に聴き入っていた父親は、何度もうなずき、微かな笑顔を浮かべていた。月舘もそれを見逃さなかった。父が納得し、喜んでいる、そう感じた。月舘の目には涙が浮かんでいた。しかし、この父と子は一体、どうなっているのか。父と母の離別は、何が原因だったのか。
この「ジャパンの叫び」を聴き終わった後、父は席を立ち、姿を消した。月舘の父は、明らかに、「ジャパンの叫び」に満足した様子であった。
最初から、タンバリンで、パーカッショニストを務めていた河原は、ドラムと協調しながら、正確にリズムを刻んでいたが、河原の眼差しは、月舘の父に強く注がれているような様子があった。これも気になるところではある。
前半のステージに比べて、後半の出来栄えは、雲泥の差と言ってもよいくらい、後半の約50分の中で披露された曲たちは踊っていたし、輝きを放っていた。ファンたちは大いに満足した。涙を流し、歓喜に震えている女性ファンたちも大勢いた。
掛川でのコンサートは、半ば、伝説的なものとなり、とりわけ、後半の50分は、そのままDVDとして売り出されたが、日本列島だけでも、わずか一カ月足らずで、80万枚が売り切れになるほどであった。
スピリット・ジャパンとは何か。アメリカの音楽評論家、ジャネット・ウィルソンによれば、このグループは圧倒的に特殊なエネルギーを持っており、世界のどのバンドとも違う神秘的パワーを発散しているということである。
その理由として、その音楽性の特質が世界にないものであり、旋律、リズム、ハーモニーの要素そのものは、音楽の一般理論に沿っているものの、出来上がった作品に耳を傾けた瞬間、何かが違う、といった感覚に襲われるというのである。
そう言われて、聴くと、確かに、何かが違うという感覚に付き纏われるのが不思議である。ぼくはドラムでリズムを刻んでいるが、ドラムセットの前に座ると、不思議な安らぎを感じるのだ。音楽をやれていることが有難いという気持ちが沸々と湧いてくる。
このスピリット・ジャパンの一員として音楽活動をやっていることで、何か、日本の重要な「たましい」を世界に発信し伝播して、それが世界の平和につながっていくという気持ちが、どんどん高まっていくのを、何回も経験した。
不思議と言えば不思議であり、その思いがどこから来るのか、分からないが、大げさに言えば、縄文以来の日本の「たましい」が、荒れ果てた地球に平和の魂を打ち込みなさいとアドバイスをくれているような、そんな気持ちなのである。