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「ブルガリアより愛を込めて」その3

ドブリ・ナイデノフは、ブルガリアの国内産業開発を担当する部署の責任者であった。しかし、政敵のゲオルギー・ババゾフは、産業開発の責任者の座を巡って、ドブリと争い、敗れたことを根に持っていた。

しかも、ゲオルギーは、マフィアと繋がっており、ドブリがEUからの補助金に手を付けてしまい、公金横領の罪を犯している事実まで掴んで、その秘密をマフィアにばらしていた。そのことによって、横領金の半分をマフィアに脅し取られ、さらに続けて、補助金をEUから引き出すよう指示され、マフィアの言う通り、二度ほど、適当な名目で補助金を引き出し、その金をマフィアと山分けした。

この苦境に耐えられなくなっていったのが、ドブリ・ナイデノフである。もし、断ってやらなければ、インターネットに流し、国民に知らせるぞと脅迫をしてきたのがマフィアである。やがて、それはEUにも知られるところとなって、一大事件に発展することは、目に見えていた。

マフィアにそそのかされてやったと言えば、マフィアは必ず、証拠隠滅のために、ドブリを闇に葬るだろう。マフィアの秘密、或いは、やり方を知っているドブリは、いずれ、邪魔者となり、始末されるというのが、わたし原田に語ったボリスラフ・フィンツィの結論であった。その通りであろう。

そこで、ボリスラフの友人の救出に、わたしの力を貸してくれと懇願され、今回のドブリ隠匿の作戦が挙行されるに至ったのである。日本という舞台まで借りて行うドブリの救出、すなわち、ドブリの命を守ってあげる作戦である。

まず、匿う場所を決めたのは良かったが、ドブリにはやるべき仕事があり、また、ドブリの今後の仕事と密接につながる政財界要人との会談という設定を、わたしはしなければならなかった。そこで政界の中から二人、経済界の方から三人がドブリとの会談候補者としてあがった。

政界からの二人は、深井賢治氏と和田裕太郎氏、この二人であった。深井賢治氏は、現在、日本ブルガリア友好協会の会長を務めている。和田裕太郎氏は、ナノテクノロジーの専門家で、現在、与党議員に当選する前までは、有名な半導体会社に勤務していた人物である。

経済界からの三人は、野川豊氏、立浪謙太氏、富永五郎氏の三人である。野川豊氏は、現在、経団連の審議員会議長の座にある。立浪謙太氏は、現在、半導体のメーカーである「冨士エレクトロン」のCEO、富永五郎氏は、現在、「東京マテリアル」の広報部長を務めている。

政界、経済界からの以上の五人が、大磯城山公園(旧吉田茂邸宅)に集まり、ドブリ・ナイデノフから「ブルガリア産業開発計画及び日本への協力要請」という事業説明書が手渡されたのが、河口湖畔のホテルへのドブリの隠匿が決まってから、一週間ののちであった。

当日、集まった政界、経済界の五人に対して、ドブリは事業説明書をブリーフィングしたあと、ブルガリア政府の産業開発の在り方に大きな転換が見られる点が、今回の事業説明書の特徴であると語った。

日本の協力により、ブルガリアは、台湾と同じような半導体メーカーの国家に転換を図り、未来を見据えた経済戦略を実施する。その中心が、半導体製造であるとドブリが強調したとき、日本側の五人は、「ほう~!」と感嘆の声を漏らした。

わたし原田の判断は的中したように思う。五人の人選は当たった。おおむね、前向きに事業説明書は理解され、ブルガリアがついに未来産業に着手し、いつまでも経済的な落伍者としての国家に甘んじるわけにはいかないと、腹をくくったのである。相当な覚悟で、日本側に協力要請を求めてきていることがひしひしと伝わった。

実際、ブリガリアの未来ということに関して、ドブリは深刻な危機感を持っており、半導体国家への変身が、生き残りの唯一の道であると考えていた。ほかに、選択の余地はなかった。日本の全面的な協力をお願いするしかない。技術協力、資金協力の両面にわたって、日本の協力が必要である。

今、ドブリがマフィアと揉めている状況は、決していいものではなかったが、それでも、ドブリがこの問題を乗り越えた際には、日本の協力さえ取り付ければ、ブルガリアの未来は明るいものになるだろうというドブリの確信は動かなかった。

ドブリは、川口湖畔の匿われた場所で、大磯城山公園(旧吉田茂邸宅)での「日本ブルガリア経済戦略会議」のレポートを作成した。詳細に亘って、写真を添付しながら、詳しいレポートを書いた。

PCで書き上げた経済戦略会議のレポートは、43ページにわたったが、これを二通プリントアウトして、一通は在日ブルガリア大使館へ、もう一つは、ドブリ自身が所有し管理するために手元に置いた。

「これでよし。できた!思ったよりもよくできたぞ。あとは、ブルガリアの大使に届けるだけだ。そうすると、「日本ブルガリア経済戦略会議」の様子は、フィリプ・ジヴコフ大統領およびトドール・ストヤノフ首相のもとに届けられるだろう。」

ドブリは、日本での大仕事をやり遂げた満足感を感じながら、この度の、わたし原田の政財界の要人のセッティングに非常に感謝しており、五人の人選が極めて適切であったことを、携帯電話で伝えてきた。この要人セッティングがうまくいかなければ、戦略会議の成功はおぼつかないものになっていたに違いないと言った。

経済戦略会議のレポートを仕上げた次の日、ドブリは、東京都の渋谷区にあるブルガリア大使館へ向かった。中川幸吉がクラウンを運転して、河口湖からブルガリア大使館までの往復運転を引き受けてくれたのだ。

代々木でクラウンを下車したドブリは、そこに待っていたわたし原田周三と合流し、代々木からブルガリア大使館へと歩いた。ドブリを匿う河口湖畔のホテル経営者である中川幸吉のクラウンや中川幸吉の顔などがブルガリア大使館の職員たちに決して見られることがあってはならなかった。

ドブリが代々木でクラウンを降りたのは、中川幸吉と彼のクラウンを目撃されないためであった。そういう用心が中川幸吉にしっかりと働いていたのである。

ドブリは中川と午後1時に代々木駅で再び会って、クラウンに拾ってもらうことになっていたが、その間、すなわち、午前11時から午後1時までの2時間の中で、在日のブルガリア大使、ツヴェタン・ストイチコフに対して経済戦略会議の報告を十分に行う予定である。

ブルガリア大使館を訪れたドブリとわたし原田は、大使館の職員によって、大使の部屋へと案内された。

ドブリ・ナイデノフは、ブルガリアの国内産業開発を担当する部署の責任者であったが、ツヴェタン・ストイチコフは、日本の大使として任命される前、ドブリの下で働いていたので、二人はよく知り合っていた。

「やあ、懐かしいね。どうかね、日本は。ツヴェタンは、おそらく、日本が好きだろう。顔にそう書いてある。違うかい。」

「ははは、もちろん、日本は好きだよ。東京もいい街だね。満足しているよ。ドブリだって、日本は大好きだろう。」

「確かに、嫌いな理由はないな。何よりも、日本は平和で安全なのがいいね。できれば、ツヴェタンと代わって、このドブリ様が日本の大使として勤めたいくらいだよ。代わってくれないか、と言うのは冗談だが、ブルガリアはいろいろ、問題があり過ぎる国だ。」

そう話した後で、ふーっ、と大きな溜息をついた。それを見たツヴェタンは、言った。

「どうしたんだ。そんな大きな溜息をついて。何か、ブルガリアに大きなトラブルでも抱えているのかい。」

「いや、そんなものはない。ないが、無性に、日本の居心地の良さが気に入って、ただ、ぼやいているところさ。」

こういう会話のやりとりの中に、やがて起きるドブリの行方不明の伏線があったのであるが、この時点において、ツヴェタンはドブリが行方不明になるなど、予想もできなかった。

ドブリとわたし原田から「経済戦略会議」の報告を受け、ブルガリアの未来を大きく変える半導体製造国家への布石が、日本とブルガリアの間で打たれたことを理解したツヴェタンは、受け取った報告書を、PDFファイルにして、すぐさま、ブルガリアの大統領府ならびに首相官邸に送った。フィリプ・ジヴコフ大統領もトドール・ストヤノフ首相も、ドブリが大きな仕事を果たしてくれたことを喜んだ。

このあと、数日して、帰国の途上にある飛行機の搭乗者の中に、ドブリの姿はなかった。これで、ブルガリア政府の方も、渋谷のブルガリア大使館の方も、大騒ぎとなり、「ドブリはどこへ行ったのか」で、連日、ドブリを探し回る羽目になったが、全く、見当がつかないまま、時々刻々、日にちだけが過ぎていった。

ドブリは、何かよくないグループによって誘拐されたのかもしれない、いや、大きな事件に巻き込まれ、殺害された可能性もある、等々、暗々裏に日本の警察も動き始め、国際的事件が背後にある、あるいは、偶発的な事件に巻き込まれており、今後の展開では、犯人側とのタフな交渉もあり得るなど、メディアの方の騒ぎ方も煽情的になっていった。

隠れ家に身をひっそりと潜め、世間の騒ぎを冷静沈着に追っていたドブリは、見事な変身を遂げていた。身長、176、177センチであることには変わりないが、眼鏡のほうはフレームをスロブ型に取り換え、薄い髪は「SCILLO」型のカツラを被ることによって、ふさふさとした黒い髪に変わった。印象ががらりと変わり、ドブリの面影は消えた。

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