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シェイクスピア参上にて候第四章(一)


第四章 EUはどこへ、フランクフルトの状況を探る

(一)萩野琢治教授とロンドンで再会の喜びを共にする

一か月の予定を十日間で終えたインド訪問から、ロンドンに戻り、三日後に、あの萩野琢治教授がわが社のロンドン・オフィスを訪ねてきました。米倉アキ子さんの叔父にあたる京都大学の歴史地理学の教授をしておられる方です。

「やあ、約束通り、来ましたよ。姪のアキ子の顔も見たくてね。」

たくさんの本を読み通し、また足で調べ尽くし、何でも知らないことはないといった博覧強記のあの萩野教授がやってきたのです。その前日、米倉アキ子さんに連絡を入れていたので、私たちのオフィスを訪ねてくることが分かっていた彼女は、萩野教授がオフィスに着くや否や、大きな声を上げて、教授に走り寄っていきました。

「おじさん、お帰りなさい。お待ちしていました。夢のよう。ロンドンでおじさんに会えるなんて。近松さんとスコットランドのお城でお会いになったことを聞いて吃驚仰天だったわ。だって、イギリスのお城まで研究していらっしゃるなんて、全然、知らなかったもの。おじさんが、お城好きだってことは、ママから聞いていたけど。」

「ははは、アキちゃんのお母さんには細かいことは何も話していないからね。」

オフィスの入り口で、そういう立ち話を久しぶりに会った二人がしていたとき、鶴矢軟睦先輩とわたくしが二人の所に近付いて、話しかけました。

「近松です。コーダー城では大変お世話になりました。お蔭様で、いい勉強をさせていただきました。こちらは、「三丸菱友商事」のここロンドン支社の責任者で、鶴矢さんです。」

「鶴矢と申します。お話はすっかり近松の方から伺いまして、萩野先生の深い解説でコーダー城がわかったとか、マクベスがどうのこうのというシェイクスピア物語まで、より一層知ることができて本当に良かったと話してくれましたが、萩野教授の学識を一度ゆっくりと伺いたいなどと、近松と話をしていたところです。」

「本当に、不思議なご縁を、ぼくの方こそいただいて、近松さんがアキ子と同じところにいると聞いた時には、世間は狭いと言いますか、イギリスでこんなことになろうとは、全く、予想できませんでしたね。」

鶴矢先輩が、促すように言いました。

「ここでは何ですから、萩野教授、あちらのお部屋でゆっくりとお話を聞かせてください。アキ子さんも一緒に入って。山口ひばりさん、コーヒーを四人分、応接室にすぐ運んで。よろしくね。」

こうして、応接室に場所を移し、ゆっくりと萩野教授とお話をする時間を持ちました。

「アキちゃんは、小さいころから活発な子だった。東京女子大の英文科を卒業して、商社に入ったとアキちゃんのママから聞いていたが、ロンドンにいるとは思わなかった。いつから、ロンドンに赴任したんだね。」

「一年前です。ここのオフィスの中では新米の方です。近松さんが一番の新米ですけど、次に新しいのがあたしです。」

「そうか。しっかりとやりなさい。一人娘で、大切にされて育ったが、立派になったね。鶴矢さんとおっしゃいましたか、何卒、アキ子のことをよろしくお願いします。ぼくの妹のマサ子に代わって、お頼み申し上げます。」

「アキ子さんはよくやってくれています。心強い、とても立派な女性ですよ。これからですが、大きな仕事を任せていこうと考えています。非常に前向きな娘(こ)ですから、頼もしいです。誰ともうまくやっていける協調性もあり、また一人でも臆することなく、開拓するような強いところがあります。」

「アキちゃん、だいぶ鶴矢さんにお褒めいただいているが、そうかね。」

「おじさん、鶴矢支社長は、人のことを決して悪く言わない人なの。でも、あたしは期待に添うように努力しているつもりよ。仕事は楽しいわ。やりがいはあると思うの。今は、いろんなデータを整理したり、まとめたりする仕事が中心だけど、外に出て、いろいろと情報を収集する仕事ができたらいいなと思っている。

ヨーロッパ大陸の方にも行ってみたいわ。たとえば、ドイツやフランス、スペインなど。英国とEUの関係が微妙でしょ。日本の企業は、大抵、英国のロンドンに支社を置いているわ。ロンドンを足場にして、大陸とのビジネスを展開するというパターンね。三百数十もの日本企業がロンドンに支社を構えているけれど、これからは、フランクフルトやパリを中心に活動する企業が出てくるかもしれないし、とにかく、ヨーロッパ大陸の情報をもっと集めなきゃ。」

鶴矢先輩が、さらに、アキ子さんの可能性を高く買うような話をしました。

「御覧のとおり、彼女は非常に積極的に物事をとらえていますし、自分でいろいろとよく考えています。ここには、パリ大学で学んだ上杉早雲くんやベルリン大学で学んだクラーク・ヒューズがいますから、近く、彼らと一緒に、米倉アキ子さんをドイツやフランスに同行させようと考えております。時間の合間を見つけては、ドイツ語やフランス語を勉強しているアキ子さんの姿を見て、本当に良く努力する人だと感心しています。」

「鶴矢さんのお話で、アキ子が頑張っている様子を知り、ひと安心致しました。アキちゃん、しっかりと頑張りなさい。」

「分かりました。頑張ります。でも、おじさん、どうしてイギリスのお城を研究するようになったんですか。お城好きというのはママから聞いて分かっていたけど、フランスやドイツにもお城は一杯あるし。イギリスがよほど好きなのかしら。」

「そうだね。どうしてだろう。それはね、実は、ぼくの教え子の野口君と結婚した人が、スコットランドの女性で、今、二人は東京で暮らしているんだが、その野口輝彦君のワイフがメアリーさんだ。彼女がスコットランドにもたくさんお城があるから是非、研究してくださいと言ってね、それで足を運ぶようになったんだ。

野口君は少し変わった学生だった。最初はぼくのところで歴史地理学の勉強をしておったのだが、途中で、工学部の方へ転部してしまった。卒業して、西川島播磨重工に就職してね。」

この話を聞いて、わたくしはマッコーリーさんが話してくれた娘さんのメアリーさんのことが頭を一瞬よぎりました。メアリーさんが一緒になった人も、京都大学の卒業と言っていたので、もしやと思い、恐る恐る、尋ねました。

「あのお、萩野先生、もしかしたら、そのメアリーさんのお父さんの名前は、ブロデリック・マッコーリーさんとおっしゃいませんか。」

「どうしてそんなことを知っているのですか。その通りだが、近松さんはマッコーリーさんと知り合いですか。」

大変な繋がりになってきました。鶴矢先輩が、話の中に入ってきました。

「本当に、奇遇ですね。マッコーリーさんからわが社は仕事の依頼を受けているのです。沈没船の引き揚げです。」

「そうでしたか。サルベージ会社を経営するマッコーリーさんが、沈没船の引き揚げを日本の商社に頼んだというのは、お宅の商社でしたか。」

「萩野教授が近松君とマクベスのお城で出会っていらっしゃいましたその日、わたしはマッコーリーさんの立派なメガヨットで、インヴァネスの港を出て、北海の沈没船のあるところまで行っておりました。」

人と人との出会いが運命の糸で繋がっているとしても、これほどまで絶妙な繋がりを織り成す出会いの運命には、ただただ感嘆せざるを得ません。不思議な出会いの妙をお互いに感じつつ、応接室での歓談は、約二時間、続きました。

その後、鶴矢先輩が、是非とも、食事の接待をしたいと、萩野教授に申し出て、ロンドンの「クロ・マッジョーレ」という美味で知られるレストランへ案内する運びになりました。

前もって、鶴矢先輩の方から、すでに四人分の予約が入れてあるという手際の良さで、準備万端、レストランへ着くと、すぐにテーブルへと案内されました。店内はゴージャスな雰囲気で、これから特別なご馳走をいただくのだという思いに満たされました。フランス料理とワインで有名なロンドンで指折りのレストランです。

鶴矢先輩は、何度も接待で利用しているようですが、わたくしは初めてでした。米倉アキ子さんは三、四回、ここのレストランで食事したことがあると言いました。萩野琢治教授は、ロンドンで何回か食事を取ったことはあるが、「クロ・マッジョーレ」は初めてだとおっしゃいました。

「このような接待を受けて、感謝の至りです。ワインがおいしいというのは有難い。お食事の方も一品一品シェフの思いが入っていますなあ。」

「萩野先生のお口に合えば、このレストランを選んだ甲斐があります。日本には、本当においしいグルメ処が多く、また、人々の舌が肥えているので、ロンドンで、日本人を接待するのは一苦労します。

私の後輩である近松君と、つい最近、インヴァネスに行った際には、マッコーリーさんが案内してくれたクロデン・ハウスホテルに宿泊しましたが、そこの料理は、北海の魚貝類とスコットランドのステーキなど、非常にうまく調理されていて、舌鼓を打ちました。」

萩野教授と鶴矢先輩のこのようなやり取りを、横で聞いていたわたくしですが、萩野教授の次の言葉に、興味津々と聞き入りました。

「ぼくは、明日、ロンドンを断ちますが、日本へ帰る前にインドに立ち寄るつもりです。インドのお城もアグラ城などいろいろとたくさん訪ねていますが、非常に重要なお城を一つ残しています。世界遺産にも登録されているアンベール城です。ジャイプルの街から北東へ十キロ余り行った高台にあるお城ですが、そこを見てから、日本へ帰ります。」

「萩野先生、ジャイプルと言えば、ラジャスタン州の州都ではありませんか。つい先ごろ、わたくしはインド人のラジャンを連れて、インドに行っておりました。そのラジャンの生まれ故郷がジャイプルです。その街の郊外に、そのアンベール城があるのですか。」

「そうです。ラジャスタン州の州都がジャイプルです。アンベール城はイスラム様式の建築設計ですから、非常に幾何学模様の美しい造りで、インドはムガール帝国の時代が三百年以上もの長い間続いたせいか、とにかく、イスラム様式の優れた建造物遺産が多い。

ムガール帝国の支配を十九世紀半ばに終わらせたのが、この大英帝国ですから、それ以降、インドはヒンドゥー教の力が復活して、現在は、ヒンドゥー教がインドの中心宗教です。それでも、ニ億人近くのイスラム教徒がまだおりますから、十四%前後のイスラム教徒がインドにはいるわけです。」

萩野教授が米倉アキ子さんの親族であるということをはじめ、一体、どこまで絡み合えばいいのか分からないほどに、先生の行動とわたくし及びわが社の動きが絡み合っていくという様には、全く言葉が出ません。

萩野教授が、米倉アキ子さんに向かって、唐突な感じで、語りかけました。

「アキちゃん、仕事を大いに頑張ることは間違いなくいいことだ。それとともに、今、言うのは早いかもしれないが、いつかは、女性は結婚をして、子供を産んで、幸せな家庭を作るということも重要なことである。そのことを忘れないでほしいよ。生涯未婚も現代女性の人生の選択肢の一つであるかもしれないが、おじさんは古風なせいか、どうもそういう気持ちにはなれないな。」

「分かっているわ。そういうこともちゃんと考えているから。あたし、まだ若いの。二十四歳で結婚する女性なんて、そんなに多くないわ。少なくとも、あたしの友達の中にはほとんどいないわ。あたしたちの支社には十六人が働いているけれど、結婚している人は六人、していない人は十人で、一番年配の人でも、鶴矢支社長で四十八歳よ。もちろん、結婚していらっしゃるわ。」

「おっとと、頼みもしていないのに、人の年齢やわが社の既婚、未婚の内訳など、ここで話さなくてもいいよ。萩野教授、姪っこのアキ子さんは、このようにあっけらかんとして悪気なく明るいところがありますね。

様々な情報を収集し、分析する仕事は、明るい人は向かないのではないかという人もありますが、それがいいのです。いかにも、情報を探し求めているような陰湿な雰囲気がありますと、警戒されます。アキ子さんは、大抵、ほとんど警戒されるようことはありませんから、相手が何でもしゃべってくれるのです。」

「なるほど、それはそうかもしれんなあ。ところで、アキちゃん、近松さんなどは、好感の持てる男性だと思うが、いつかゴールインしたいなあというようなことは考えたことはないかね。なかなか、立派ないい男性だと思うよ。」

「おじさん、突然、何をおっしゃるの。そういうことは一切考えていません。今は、仕事のことで、頭がいっぱいです。近松さんは、今年、慶応を卒業して、四月に、入社したばかりの二十二歳よ。鶴矢社長が、後輩が入ってきたと言って、可愛いがっていらっしゃるの。あんまり、可愛がっていらっしゃるので、あたし、少しばかり、やきもち焼いているのよ。」

萩野教授の話が、とんだ展開になってしまったので、わたくしも慌ててしまいました。そういうことまで考える教授なのかと、その深慮ぶり、いや、ただの思い付きか、とにかく、教授の言葉にアキ子さんとわたくしは驚いた次第です。

この日の晩餐の萩野教授の突発的な発言以来、アキ子さんとわたくしは変に意識し合う関係になってしまったのはどういうことなのでしょうか。萩野教授の術策に嵌まってしまったのでしょうか。

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