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自由か規制か その1


経済社会というものが、どれほど人々に影響を与えているかなどと、いまさら、力説してみたところで、当たり前すぎて、何の興味も湧かないだろうが、一応、20世紀、21世紀の世界経済の風景を経済学者たちが説いた観点からおさらいしてみるのも意味があるかもしれない。そんな思いから、ざっと、概観することにした。

18世紀のアダム・スミス(1723-90)の古典派経済学、すなわち、「市場経済は放っておけば安定する」という簡潔な言い方で表される経済思想は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて「新古典派経済学」として引き継がれ、その中心的な人物であるアルフレッド・マーシャル(1842-1924)は、需要と供給の関数における価格決定について厳格な取り組みを行った。

価格のシフトと需給曲線のシフトの間に如何なる関係があるか、その解明を行ったのである。そこには、財(モノおよびサービス)から得られる満足度という視点に主眼を置いた「限界効用」の着想が見られる。

このマーシャルの考えに立って、さらに、経済活動の自由度を一層推し進める方向に立って、「リバタリアニズム」の経済思想が出てくるのだ。その思想的な提案を担ったのが、F.A.ハイエク(1899-1992)である。リバタリアニズム(完全自由主義)は、端的に言ってしまえば、個人の自由に最大の価値があるとする哲学的前提から経済学を構築する。

ハイエクはオーストリア人であるが、1938年に英国籍を取得しているから、英国人として扱われる。彼は、1944年に発表した「隷属への道」(The Road of Serfdom)でも分かる通り、徹底した反共主義者である。

とにかく、社会主義、共産主義が嫌いで、その全体主義の不自由性、非人間性を嫌悪する。同じように、ナチズム、ファシズムも抑圧的、全体主義的な思想であるから、ハイエクはナチズムもまた共産主義と同じようなものだと一刀両断し、受け付けない。

英国とハイエクの親和性は、彼が1931年から18年間に亘って、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教鞭を執ったことに起因する。サッチャー革命を主導したのは、まさにハイエクであり、彼の「自由の条件」(The Constitution of Liberty、1960年)を手にして、サッチャーが、「これが我々の信じるものである」と叫んだことは有名である。

1920年から40年にかけて、世界ではソ連の計画経済の賛否を巡る論争が盛んに行われた。一部の共産党エリートが、一国の全需要と全供給そして商品価格まで一方的に、市場を無視して予測し、決定するという計画経済の成立する根拠はどこにも見つからないと、ハイエクは主張して、計画経済に一定の理解を示す人々と正面からぶつかった。

市場メカニズムこそが答えであることを強調したのである。その後のソ連経済とその崩壊を見ると、ハイエクの言う通りであったことが証明されていまると言ってよい。

世界の中で、最も、ハイエクの著書を読み、ハイエクを称賛したのは、実に、ソ連と東欧の共産圏の人々であったという皮肉があるのは、共産圏の経済的悲劇の実態を、ハイエクはよく予測し、言い当てていたということだ。

米国のミルトン・フリードマン(1912-2006)は、レーガン政権の経済政策を支えた経済学者として知られている。

彼の経済思想は、一言で言ってしまえば、「通貨の供給量だけ管理すればよい」というもので、貨幣通貨量(マネーサプライ)は物価水準を変化させるだけで、実物経済には影響を与えないと言い切ったことである。この考えがマネタリズムと呼ばれており、シカゴ大学の経済学者が中心となって主唱して、フリードマンはその中心者という立場に立っていた。

経済という問題は、自由にやらせればそれでよいという考えと、勝手にやらせると不具合が生じ、一定の規制や規律は必要であるという考えが、絶えずぶつかり合う。政権が、自由の方を重んじるか、規制の方を重視するかで、経済政策は当然違ってくる。

自由の方を重んじる考えは、元祖が、アダム・スミスということになるが、1929年のアメリカの世界恐慌以来、世界は、政府の介入を中心としたケインズの経済思想、即ち、ケインジアンの政策が主流となった。それは、大きな政府であり、政府の役割が決定的に物を言う公共投資と高福祉、それを支える増税策が基本となる。

しかし、それでも回らずに陥ってしまう経済苦境をイギリスやアメリカは抱え込み、1970年代以降、暗中模索の中にあった。

イギリスは、「ゆりかごから墓場まで」という高福祉政策を実施し、規制や産業の国営化などで、保護政策を採ったために国際競争力を失い、経済成長は停滞する。

行き詰っていたところに、サッチャー政権がハイエクの思想を掲げて、国営企業の民営化と規制緩和を進め、政府の支出を削減して経済再生の突破口を開いて、サッチャリズムは一定の成功を収めた。

金融においても外国資本を受け入れる金融ビッグバンを実施し、政府は介入を抑え、企業経営やビジネスに自由裁量を与える政策を採った。

1980年代、アメリカは、レーガン政権がフリードマンの思想を掲げて、レーガノミクスを成功させる。

ベトナム戦争で疲弊したアメリカは、不況によって雇用や賃金が低下する一方、物価は上がるというスタグフレーションに直面していた。レーガンが就任したとき、アメリカは深刻な双子の赤字(「財政赤字」と「貿易赤字」)を抱える状態であった。

そこで、レーガンは「強いアメリカ」「小さな政府」を合言葉に、政策を打ち出す。この理論的支柱が、フリードマンの考えであった。その経済思想が、「サプライサイド経済学(Supplyside economics)」と言われるものだ。

簡単に言えば、政府介入を最小限に抑え、民間が自発的に市場へ参加する機会を与え、供給量を増やすことによって、経済回復を図るということである。

そのために、レーガノミクスでは、減税政策、政府支出の削減、規制緩和、インフレ抑止のための通貨発行量の絞り込み、政策金利の大幅な引き上げ、という政策に乗り出した。

こうして、英国と米国は、それぞれ、ハイエクとフリードマンの経済思想をケインズに代わるものとして、経済の立て直しに臨んだのである。見方によれば、アダム・スミスの歴史的な復活である。ハイエクとフリードマンの、基本的な共通点は、出来るだけ自由に、できるだけ規制を抑えて、という考えに立ったということだ。

ハイエクとフリードマンは、自由、小さな政府、規制緩和、反共産主義、といった共通項を持っている。

共産主義は究極の「大きな政府」であり、非効率極まりないものだと考えている。人間の理性で計画的(五か年計画など)に経済の発展を作り上げていくやり方は、理性の傲慢であり、市場の原理を無視するやり方であるから、必ず行き詰ると見た。

中国や北朝鮮の今後の未来が、果たしてどうなるのか、注目せざるを得ないが、もう、相当にほころびが出始めてきていることは明らかであろう。

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