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林竹治郎「朝の祈り」


「朝の祈り」を描いたクリスチャン画家


北海道立近代美術館に所蔵されている名画の一つに「朝の祈り」と題する作品がある。これを描いた画家は、林竹治郎(1871‐1941)である。

卓袱台(ちゃぶたい)を囲んで、祈りの姿勢で座っているのは、林の妻と子供三人、聖書に手をのせて祈っているのは、本来、林のはずであるが、下宿している学生をモデルに使っているので、林の姿はこの画の中にはない。

この画は1906年に描かれて、文部省第一回美術展覧会に出品され、見事、入選を果たした林の代表作であり、林が35歳の時の作品である。

林竹治郎は明治四年(1871)宮城県に生まれた。仙台の師範学校へ入学し、十八歳の時、洗礼を受けキリスト教徒となった。

明治二十二年(1889)、東京美術学校へ入学して、明治二十五年卒業、明治三十一年(1898)九月、北海道師範学校教諭に奉職した。二年後に退職し、札幌中学校の教諭に転じる。そこで二十八年間教鞭を執り、引き続いて藤高等女学校で十四年間教壇に立った。

札幌の一隅に居を構え、家族で暮らした林竹治郎の家の茶の間は、客間兼アトリエであり、下宿生をも抱えていたので、家族だけでなく、下宿生も参加させての「家庭礼拝」の場として用いられた。美術教師としてだけではなく、熱心なクリスチャンとして祈りと礼拝を欠かさない林竹治郎は、畢生の傑作として「朝の祈り」を日本画壇史上に残したのである。


息子はハンセン病治療に一生を捧げる

「朝の祈り」の中に描かれた林の妻の膝に伏して祈っている三歳ほどのいたいけな息子は、後に北大医学部を卒業し、救ライの働きのために医師としてその生涯を捧げた林文雄である。

僅か三歳のあどけない子が母の膝に伏して祈っている姿は微笑ましくもあるが、エピソードとして残されている話では、そのまま、うとうとと眠り入ったらしい。さも有りなんといった話である。

母の手が三歳の子の背中に優しく乗せられた林文雄は、その後、長じて北大を卒業し、林家のキリスト教信仰の強い影響のもと、ハンセン病患者の治癒に立ち向かう聖者のような医師として生涯を送る。

父も画家として名を成したが、それに負けず劣らず、息子の文雄もハンセン病治療の分野において、世界的に押しも押されもせぬ著名人としてその名を高からしめた。

聖書には、イエスがらい病患者を癒す場面が記されている。「イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼に触り、『そうしてあげよう。清くなれ』と言われた。するとらい病が直ちに去って、その人は清くなった」(マルコ福音書1:41、42)というくだりである。

人類の歴史において、らい病(ハンセン病)ほど嫌悪の対象になった病気はないが、イエスのらい病癒しのこの聖書の話が、キリスト教とハンセン病との深い関係を築いたといっても過言ではない。

息子のハンセン病治療医師としての進路は、林家のキリスト教信仰の賜物であった。さすがの竹治郎も、最初は息子の救ライ医師への願望を承服しなかった。しかし文雄の堅い意思を最後には受け入れた。

「朝の祈り」に見られる林家の家庭礼拝の信仰風景は、息子の遺伝子に、イエスと同じようにハンセン病に対する偏見を抱かず治癒してあげるという高貴な精神を擦り込んだと言えよう。


強い信仰の絆で結ばれた父子

林竹治郎の家に下宿していた学生の回想文によれば「林先生の伝道者としての真骨頂はその家庭礼拝であった。家族、生徒と共に、朝は祈祷、聖書朗読、賛美歌合唱、夕は更に説教が入り時間も長くなった。」とあり、一日も欠かさない家庭礼拝の姿が下宿生の証言として残されている。

一方、ハンセン病患者の医師となった文雄であるが、ハンセン病と言えば、社会的に放置され、国も社会もハンセン病の人たちを見捨てていた状況の中、彼らの友となり、その苦しみを共有しようとしてハンセン病院に勤務する道を選んで、妻の富美子と共に生涯をハンセン病者のために尽くした林竹治郎の息子の姿は、もう一つの人類愛の信仰実践の積善行為であった。

こうして、竹治郎と文雄の父子は、キリスト教信仰の善の果実を世に示し、「地の塩」「世の光」として人生を全うした。

世の中には、様々な家庭があり、一家の主人たる父親の職業もいろいろ、その子供たちの道もさまざまといったところであるが、林一家が辿った信仰の道は険しくも美しい人生の道のりであった。

一人のハンセン病患者がこう祈っているのを知って、文雄は衝撃を受けた。

「らい病となり、すべての人に憎まれたことを感謝します。すべての人に憎まれたればこそ、ただ一人愛し給う主を見出すことができました」。

「朝の祈り」に描かれた神に向かう家族の信仰の美しさは、物質的な幸福を追求する価値観とは違う、次元の異なる幸福追求の姿であることは確かであるが、永遠なる愛の輝きがそこにあることを否定することはできないであろう。

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