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ビービーなひとびと その1

私の名前は、ベニー・ベンソン、イニシアルはB.B.だ。アリゾナ州に生まれたときから、と言っても、正確には物心ついたときからであるが、同じBが名前と名字についているのが厭だった。小学校の友達から「べべ」とあだ名をつけられたのが、自分の名前が厭になるきっかけとなった。

私は、自分がカール・ベンソンやジェームズ・ベンソンであったらと、どんなに願ったことだろう。私は、自己紹介で自分の名前を言うのが次第にいやとなり、自己紹介をしなければならないような集まりには極力行かないようにした。名前は?そう聞かれると、ベニーですとしか答えなかった。フルネームで答えることは決してなかった。

私の運命と言うか、人生は不思議な一つの事象に彩られた。私の名前であるB.B.なる同一イニシアルは不思議な働きを持っていた。実に不思議であると私は感じた。そんなことはあり得ないだろうと読者は反論されるかもしれないが、その不思議が私の人生を通じて連続したのである。

どういうことか、述べることにするが、驚いてはいけない。同一イニシアルの人間たちが次から次へと私のもとへ集まってきたのである。単なる偶然とは思えない。A.A.とかC.C.とか、同じ頭文字で始まる名前の人々が、まるで磁石に吸い寄せられるかのように私のもとへ集まってきたのである。どうしてこういうことが起きるのか、私には全く分からない。この宇宙に、「同一イニシアルを持つ人間たちは引き合う」という神秘的な法則でも存在するというのか。

人々をたぶらかして喜んでいると思われるかもしれないので、これから以下において、私は自分の人生において起きたことを正確に述べてみたいと思う。なぜなら、それによって、読者の私に対する疑念を取り去ることができると思うからである。

最初にこの奇妙な同一イニシアルの法則に気付いたのは、高校時代であった。友達の少なかった私は、ほんの二、三人の近しい付き合いしか持たなかったが、その中に生涯の親友と言ってよいほどの友人がいた。彼の名は、アダム・アンダーソン、間違いなく、同一イニシアルの持ち主である。同じクラスであった彼に、私は最初から引かれるものを感じた。理由は分からないが、何となく引かれた。話をしてみると、驚くほど、私との共通点があった。人間性というか、性格が似ていると感じる部分が非常に多かった。

アダムは昆虫について果てしもなく話した。中途半端ではなかった。おおよそ地球上に存在するあらゆる大小様々の昆虫について話した。彼はファーブルであった。いや、ファーブル以上であった。アダムを特徴づけているものは、ある事柄に偏執的に固着する変人性、あるいは奇人性であった。

実はこの性質をわたしも持っていた。私の場合、「偏執的な固着」は昆虫にではなく、鳥類に対して向けられた。世界中の鳥類が私の関心の的であった。一種類でも私の関心から漏れる鳥がこの世に存在していてはならなかった。すべての鳥は私の知り得るところでなければならない。こういう潜在意識が私の中に渦巻いていた。

ついでに言っておくと、魚に対する異常な偏執性を示す人間が、日本にいるということを聞いたことがある。愛称で「さかなクン」と呼ばれているそうである。私は彼の本当の名前がどういうものであるか知らないが、多分、同一イニシアルに違いないと信じている。

アダムと私が話し合うときは、いつも昆虫と鳥についてであり、その会話の光景を目にする人があれば、きっと奇異に感じられたことだろう。聞いたこともない様な昆虫や鳥の名を口にしながら、二人の奇人が熱っぽく昆虫を語り、鳥を語っている。その光景は、あの二人は完全にいかれている、と取られても仕方のないようなものであっただろう。

世に言われる偏執狂なるものはその性格形成の解明がどこまで進んでいるか知らないが、少なくとも、私は「同一イニシアル」が何らかの影響を与えているのではないかと考えている。私および私に吸い寄せられるように集まってきた私の友人たちが例外なく持っている性格的傾向が、紛れもなく、「偏執的な固着」を有していると言う事実は、それが単なる統計的な事実ではなく、それ以上のものがあると感じているからである。

高校時代にうすうす感じたこの同一イニシアルの不思議について、私はその後の人生でますます多くの体験の中から、不思議が不思議ではなく、一つの法則のようなものではないかと言う確信を深めていくことになるのである。

アダムはその後、昆虫博士になるが、今や、彼の名を知らぬものはないであろう。押しも押されぬ世界的な昆虫博士であり、ハーバード大学、オクスフォード大学、パリ大学、ベルリン大学、東京大学など、世界の一流大学で教鞭をとる彼の姿は、世界が彼を最高の昆虫博士と認めたことの証左である。近く、彼は「アダム・アンダーソン昆虫公園」を中国の雲南省に造る予定であり、そのための広大な敷地が中国政府との交渉で確保されたと私に伝えてきている。ヤンキースタジアムがすっぽりと三百個分入るほどの面積であるということだ。

アダム・アンダーソンについて語ったが、私の人生は、その後、多くの同一イニシアルの人物たちに出会う不思議な出会いの旅となる。

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