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シェイクスピア参上にて候第四章(三)


第四章 EUはどこへ、フランクフルトの状況を探る

(三)クラーク・ヒューズの活躍
 
クラークは、フランクフルトに着いた翌日から、行動を開始し、二人の友人に会うことができました。EUはどこへ行くのか。友人が実感しているところを聞かせてもらいたい、実感だけでなく、具体的な情報や動きがあれば、それも聞きたい。

そんな思いで、クラークは、ハノーファーで二日間を過ごし、フォルクスワーゲンで働いているクラウス・アーレントから多くの話を聞きました。その後、フランクフルトへ戻ってきたクラークは、ダミアン・ベッカーと会いました。ドイツ銀行の所在地がフランクフルトであるため、ダミアンとはフランクフルトでゆっくりと話をすることができました。ダミアンは、クラークに三日間も付き合ってくれました。

クラークがクラウスに会ったとき、クラウスは懐かしそうな笑顔で迎えてくれましたが、少し疲れている様子でした。

ニ〇一五年十月、米国のウェスト・ヴァージニア大学の調査が明らかにしたフォルクスワーゲン車の排ガスに関する不正問題が、VW社創業以来の大問題となり、対応策に追われているというバッド・タイミングで、二人が会うことになったからです。

それでもクラウスは誠実な受け答えをしてくれました。そして今、彼が実感している様々な考えや思いを語ってくれました。それは、クラークがドイツ語を愛しており、ドイツ文化に敬意を表しており、ドイツに対する深い理解を示しているからです。クラークを信頼できる親友として語ったのです。

VW社の問題は、当社の信頼に傷が付いたというだけでなく、北ドイツのニーダーザクセン州全体に激震が走った州レベルの問題として、そしてさらに州を越えてドイツ国家自体が対策に乗り出さなければならないような問題として、更には金融取引のあるすべての金融機関にまで波及する問題として広がっていますから、実に、その影響圏の大きさから言って、VW社の問題は単なる一社の問題ではなく、EUの牽引車であるドイツ国家の運命を左右するほどの衝撃力を孕んでいると言えます。

基本的に、クラウスはどういう考えを示したのかを言いますと、彼の語った次の言葉がクラウスの気持ちを雄弁に語っています。

「われわれは今、大きな試練の中にいる。これまでヨーロッパや中国においては、他社の追随を許さないような大きな販売台数で、自社の存在感を誇ってきたところが確かにある。

しかし、米国におけるわが社の販売戦略は、今までのところ、うまく進んでいるという内容にはなっていない。現在、世界の年間販売台数において、一〇〇〇万台を前後して、VW車とトヨタ車が、競っている状況であるが、米国での新車販売台数だけに限って言えば、トヨタが二〇〇万台を大きく超えているのに対して、VWは五〇万台にも届かない。

日本のホンダも、米国で一五〇万台を超える健闘を見せている。わが社のフォルクスワーゲンはその意味が「大衆の自動車」「人々の自動車」であるのに、米国では大衆の自動車になっていない。

何が原因なのか。欧州はCO₂の排ガス規制が持ち上がってから、ディーゼル車の製造に熱心な状況があり、トヨタやホンダなどの日本車はディーゼル車にはほとんど関心がなく、ハイブリッド車に取り組んできたという現実がある。

プリウスやアクアに喜んで飛び付いている米国ユーザーたちの姿は、わが社を大いに当惑させるもので、燃費やランニング・コストの問題、車体価格の問題など、総合的な見地から、絶えず検討を加えているところだが、排ガスの問題では、ディーゼル車は軽油を使う関係上、CO₂の排出がガソリン車より少なく、軽油はガソリンよりも安価であるという点で有利だ。

一方、ディーゼル車においては、ノックス(NOx)問題、すなわち、一酸化窒素(NO)と二酸化窒素(NO₂)の持つ問題が取り上げられる傾向がある。

しかし、日本の自動車会社は、ガソリンのCO₂排出問題を解決するために、動力源を二つ持つ自動車、エンジンと電動機(モーター)をハイブリッドさせることにより、CO₂の排ガス削減に一定の成功を収め、HV時代を作り出したと言えるが、この努力は米国で理解され、マーケティングなどもうまくいって、日本車に少なからぬ人気が集まっている。

このように、車の性能と排ガス問題を巡る業界の熾烈な戦いがあるのだ。」

ここまで聞いたところで、クラークは尋ねました。

「そうすると、VW車の排ガス不正問題の遠因を作り、VW社を窮地に追い込んだのが、まるで、日本勢の車であるかのように聞こえてしまうが、排ガスの問題で、姑息とも言えるデータまやかしをやってまで、ユーザーたちを欺いてまで、VW社は米国での販売実績を欲しかったということなのか。」

「いや、日本車の問題も一つの影響因子として考えられないことはないが、基本的にはそういうことではないと思う。もちろん、不正問題を起こしてしまった以上、わが社には弁明の余地がない。不正は不正だ。これは素直に認めよう。

ここから先は、あくまでもわたしの個人的な意見として聞いてくれ。シェアから言えば、米国でのVW車は僅か二%にしか過ぎない。痛くも痒くもない数値だ。

しかし、見る人から見れば、VWの不正問題をこれほど熱心に炙り出した米国の姿勢は、ドイツ叩きとも映るのではないか。米国でのシェアはニ%に過ぎないが、年間、世界で一〇〇〇万台を販売しているVW社のイメージを損なわせることは十分にできる。当然、販売台数も落ちるだろう。」

クラウスがこのように語り始めたので、また、クラークは質問しました。

「クラウスの言いたいことは、VWの排ガス不正問題の狙いには、米国の政略的な意図があると言いたいわけだね。もしそうだとして、米国はなぜそこまでするのかという明確な答えが欲しいね。

よほど、ドイツは米国を怒らせ、しっぺ返しを食らうようなことをやっているということなのか。純粋に、排ガス不正問題がVWにはある、それを米国は粛々と調査した結果、それが見つかりましたよ、というクールな話、それだけの話として済ませることはできないのか。」

「そのように単純に解釈できたらいいと思うが、今、世界が抱える混乱状況は非常に複雑で、戦後、米国が持っていた絶対的な経済力に基づく軍事覇権が相対的に落ちてきて、現在、余裕を失った米国自体が自分の力を保持するために、ヨーロッパに対して、中国に対して、ロシアに対して、懐疑的になってきている。

絶えず、不審と不信の目を向けなければならないという状況である。そこから、米国の過剰反応ということも起こりやすい土壌が、米国内の政界および経済界にはあると思う。

EUの誕生には、基本的に世界は驚き、一つの希望的未来を予感して、期待し喜んだと思うが、米国の気持ちがどうであったかは神のみぞ知るである。ソ連が意気盛んな時代には、ソ連の国際共産主義を封じ込める防波堤として、西ヨーロッパとの同盟関係を築き、後押ししてきたが、結局、ソ連は崩壊した。

冷戦終焉ののち、EUの誕生を現実的に表現したのがユーロである。二〇〇二年以降、ドルに次ぐ第ニ基軸通貨としてユーロ経済圏が活発に動き始めると、ドル決済ではなくユーロ決済を採用するという態度を表明したイラクのサダム政権にあからさまに制裁を加えるなど、ユーロへの米国の警戒心が高まっていく。

しかし、ギリシアで、二〇一〇年に発覚した財政危機以来、その救援策を巡って、EU加盟二八か国の対応が、一枚岩で動けないことが分かってくると、EU期待論に陰りが生じ、EU懐疑論も盛んに論じられるようになる。

そんな中で、順調な輸出で独り勝ちの様相を強めてきた我がドイツに対して、EU加盟国の反応も複雑になり始めた。フランスやイギリスなどの気持ちも非常に錯雑した思いであることが分かる。」

一気に、立て板に水の状態で、語り続けたクラウスに、クラークが待ったを掛けるように尋ねました。

「ふーむ。すると、英国のEU離脱も、その文脈の中で起こったということだね。辛うじて、離脱五一・九%、残留四八・一%で、その差わずかに三・八%という数字は、確かに、どれほど英国民がEUに対して、複雑な割り切れない思いを抱いているかが分かる数字だ。それでは聞くが、英国が離脱した後のEUの問題は何か、聞かせてくれ。」

「そう来ると思ったよ。英国がEUを離脱した理由は、EUに押し寄せる難民問題だとか、移民問題だとか、そういうことがよく理由に上がりやすいけれど、確かに、それもそうだが、もっと深いものがあるのではないか。

例えば、ベルギーに置かれている欧州議会のようなもので、EUがいろいろ決めていくやり方は、加盟国からの膨大なスタッフと議事に対する時間をかけながら、きちんとした明文化作業を続けるといったもので、非常に細かい規律、規制、ルールなどの作成であるから、これは、伝統的な英国流儀の議会運営とは少し違うところがある。

EUのあまりの官僚主義的なやり方に英国は反発を覚えるのだ。政治のスタイルが、大陸国家と英国では違うのだ。EUの仲間入りをして、多分、英国は違和感を持ち続けたことだろうと思うが、英国は決してフランスやドイツのようにはなれない。やはり、イギリスはイギリスなのだ。

今度の離脱問題で、英国の崩壊が始まったのか、それともEUの崩壊が始まったのかといった論を展開する扇情的な視点もあるが、すべてはこれからだと思う。英国が簡単に崩壊することもないし、EUが簡単に空中分解することもないだろう。英国もEUもそれほど愚かではない。

しかし、この欧州の亀裂を注意深く見つめながら、まず、ロシアは確実に喜んでいるに違いない。アメリカは英国とのきずなを深めて英米同盟の結束を再び強める方向に向かうと思う。ポンド経済を頑なに守り、ユーロ経済圏に合流することをよしとしなかったイギリスであるから、英国の誇りは高い。

ヨーロッパはどこもかしこも問題だらけで、協力し合わなければやっていけない反面、自己主張し合えば、いつでも分裂する危機に立たされる。だが、EUは、今更、それを壊してどうこうしようというようなことはできないほど、来るところまできてしまった。

もし、人、モノ、金の自由な動きを止めれば、反対の声をあげる人々の方が圧倒的に多いだろう。EUが抱える問題点、不都合な点の克服、修正などに今後、力が注がれていくことになる。大体そういったところではないか。今は、これ以上のことは言えないね。

もう一つ言えば、EUのポイントは、ドイツとフランスの二人三脚がうまくいくかどうかにかかっている。ここにひびが入ると非常にやばい。お互いに我慢するところ、妥協するところ、大小の政治判断が、随所で必要になる。

ドイツだけが旨味を持っていき、ほかの国はそれ程でもないといったことがないようにしないといけない。」

「ありがとう。今日の晩は、ハノーファーで一番美味しいレストランに案内してくれ。クラーク様が奢ることにするよ。」

そののち、クラークはフランクフルトに戻り、ドイツ銀行に勤務するダミアンと会うことになります。クラーク以上にダミアンも疲労があるようでしたが、クラークの顔を見て、懐かしそうに近寄り、お互いにハグし合いました。

「ダミアン、銀行の仕事は大変だろう。だいぶ疲れているようだね。どんな調子か、いろいろ聞きたいよ。是非とも聞かせてくれ。」

「正直なところ、今、我が銀行に関しては何も話したくない気持ちだよ。VW社の問題が起き、まさに、我が銀行も一蓮托生だね。

君もいろいろ知っていると思うから、隠しても仕方がないので話すが、わが銀行を襲っている事態は最悪だ。どんどん解雇が始まっているし、生きた心地がしない社内の空気だよ。

VW社の問題を、わが社も被ってしまっていることは確かだが、そもそも、ギリシアの財政危機から始まって、我が銀行が関係してきた金融案件は、レバレッジを効かせたものが多く、巨大な投機事業の様相が強かった。

銀行業務と証券業務それに保険業務まで、資本主義を象徴するすべての業務をオールラウンドに扱うドイツ的スタイルが、激しい利益追求の戦いの中で、知らぬ間に、傷口を広げてしまったとも言える。僕の言いたいことは、賢明な君のことだから、察してくれ給え。

ドイツ銀行は潰れるか潰れないか、誰も分からない。リーマンショックの時のように、TBTF、つまり、Too Big To Fail(大き過ぎて潰せない)状態に我が銀行があるのは確かだが、誰が潰れないように手を差し伸べてくれるのか。

国か。それしかないとは思うが、それをやるのかやらないのか。しかし、そんなことはしないと首相は予てより言ってきているから、非常にやりづらいだろう。

もう、これくらいの説明でいいだろう。ドイツ銀行に関して何かを語るということほど苦痛なことはない。それよりも、何かいい仕事先はないかね。新たな就職先を見つけたいというのが今の僕の偽らざる気持ちだよ。」

「おい、ダミアン、しっかりしろよ。気持ちは分かるが、最後まで、エリート行員としての誇りをもって頑張ってほしい。話を変えよう。ずばり、ドイツとアメリカの関係についてだ。どんなことを感じるかい。」

「どんなことを感じるかって。アメリカはチクリチクリとドイツ苛めにかかっていると思う。ドイツはロシアにどんどん輸出し、中国に輸出し、外貨を稼いでいる。

この両国にアメリカが引けている分、ドイツは遠慮なく、中国、ロシアと付き合い、儲けているのは見た通りの事実で、明らかだ。その典型がVW社で、アウディ、シュコダなどもある。ここがわがドイツとアメリカの根本的な違いだ。

もし、NATOを排除して、アメリカ抜きで、EU独自の安全保障体制を築くという発想がドイツなどから起きれば、そして、その結果、軍事的にもドイツとロシアがいろいろ協力し合うというような近しい方向に進んだ場合、アメリカはそれを絶対に許さない。

【EU(ドイツ)+ロシア】 VS 【アメリカ】という図式、そんなことがあるか、と思うかもしれないが、そして、そんなことには僕も絶対反対だが、決してないとは言い切れないところに、アメリカはドイツに対する疑心暗鬼の気持ちを深める絶対的理由があると説明したら、君はそれを理解できるかい。

東ドイツ出身者は、多くの人たちがロシア語を自由に話すのだ。その分、親近感があると言ってもよい。ロシアに対するアメリカの拒絶感のようなものはドイツにはない。分かるか。あくまでも、例えば、の話として聞いてほしいのだが。」

「突然、恐ろしい解説を始めたね。英国のEU離脱となった状況下で、NATOは要らない、アメリカは要らない、EU独自の集団保障体制でいくとなったら、イギリスもアメリカ同様に強い危機感を募らせるだろう。

それどころか、第一次世界大戦、第二次世界大戦のときのように英米は組んで、本格的にドイツ潰しにかかるだろう。

アメリカから見れば、ドイツ民族の困ったところは、二次にわたる大戦でぼろぼろにされたはずのドイツが不死鳥のように蘇ってくる姿だ。極めて優秀だ。結束力も強い。

潜在的にドイツに対するアメリカの恐れがある。第三帝国ならぬ第四帝国へ向かう片鱗が感じられたら、英米は動き始める。そのときに、ドイツに追髄する他のヨーロッパ諸国がどのくらいあるか、フランスが抜けたらドイツのシナリオは崩れる。

しかし、ダミアン、わたしまで、変なシナリオで頭が動き始めているが、こんな話は、単なる頭の体操なのか、馬鹿げているとしか思えない話のように聞こえるが、君に投げかけたわたしの質問がよほど悪かったのか。そうだとしたら、謝るよ。わたしはゲーテをこよなく愛しているのだ。」

こういう話のやり取りの中でクラークが改めて感じ取ったのは、英国とドイツの違いが米国との密着度の違いにあること、また、ロシアに対する警戒心の度合いが違うこと、これは極めてはっきりした現実として否定しがたく存在しているということです。

ダミアンとの付き合いは、三日間も続き、いろいろなことを話し合いました。ダミアンはすでに結婚しており、彼の妻となっているのが英国の女性なのです。リバプール出身のキャサリン・ニコルズさんです。ボン大学で経済学を学んだ女性です。現在は、ダミアンと結婚し、キャサリン・ベックになりました。写真を見せてもらいましたが、とても美しい女性です。

こういう美しい英国女性と結婚した状態であれば、ダミアンの気持ちが英国とは仲良くしたいと願っている気持がクラークにはよく分かりました。むしろ、現在のドイツの状況に対していろいろと憂えていることも分かりました。

別れるとき、ダミアンが、クラークに言った言葉は、クラークを大いに喜ばせました。

「クラーク、君のドイツ語は、ドイツ人の語るドイツ語よりも美しいよ。ほんとに、ほれぼれするドイツ語だよ。君はもしかしたらドイツ人かね。英国人と偽っているのではないかと、時々思うよ。お世辞ではなく、ほんとの話だよ。」


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