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洋楽の讃歌Ⅰ:マイケル・ジャクソン


マイケル・ジャクソン、ぼくはあなたを回顧して以下の文章をここに書こう。

マイケル、紛れもなく、ぼくはあなたのファンだ。しかし、ぼくはあなたのことについて何を書くことができるだろう。誤解を恐れずに、僕の感じたままを書くことを許してほしい。

あなたは、ファンタジーを生き、かつ演じる一人の天使だ。そして永遠に夢見る少年だ。愛は無敵であるという信念を持つあなたは、実社会で生きるには清らかすぎる。美しいイマジネーションの中で生きることこそあなたにふさわしい。そこがあなたの住処だ。

イマジネーションを演じることが、芸術家としてのあなたの仕事だ。善も悪も、美も醜も、すべてイマジネーションとして演じられなければならない。それらが現実に、あなたの上に実体験されるならば、幻想の中に生きるあなたには、余りにも過酷すぎる。

1970年代、家庭の崩壊が深刻であったアメリカ社会の中で、強い信仰の絆(エホバの証人の家族)で結ばれた家族愛に守られ育ったあなたは、その意味で、愛を信じることのできる人だ。

しかし、ジャクソン・ファミリーを離れて、一歩、外へ踏み出すと、そこは世紀末のアメリカ社会だ。離婚、麻薬、殺人、エイズ、人種差別、どれ一つを取っても、癒しがたい病根がはびこっている。

あなたの非社会性は、社会に対するあなたの強烈な抗議であると、僕は理解している。もっと人は美しく生きるべきである。もっと人は信頼し合うべきであると、あなたは叫び続けているのだ。

あなたが大人になることを拒絶しているとすれば、それは、堕落して初めて人は大人になるという社会的通念に対する一大宣戦布告なのだ。だから、あなたは臆病な人ではなく、信念の人であり、強い人なのだ。このことが理解されないために、あなたは多くの誤解を受けてしまった。あえて、ぼくはあなたの弁護人となろう。

さて、あなたの音楽世界は、多彩であり、極彩色の世界である。美しい歌声と華麗な舞いは他の追随を許さない、天与の才能である。

若干、14歳になったばかりのあなたが、1972年に放った大ヒット曲「ベンのテーマ(Ben)」は、世界でもっとも美しい曲の一つである。全米、否、全世界の人々を酔わせたのである。美しい友情を歌ったこの曲を聴くたびに、ぼくは言い知れない感動に襲われる。

美しいメロディーが、あなたのボーイソプラノで情感たっぷりに歌われるのを聴くと、僕の魂はじーんとしびれてしまうのだ。歌うために生まれてきた大天才の少年がそこにいる。「ベンのテーマ」はそんな歌だ。暖かい家族愛の中で、あなたはのびのびと、驚くべき表現力をもって歌ったのだ。

次に、アルバム「オフ・ザ・ウォール」の中におさめられた曲「あの娘が消えた(She‘s Out of My Life)」を取り上げてみよう。

マイケル、あなたはスロー・テンポのラブソングにおいて、しばしば、この曲に見られるような感動的な歌唱力をみせてくれる。見事な感情移入によって歌われるので、あなたにとって歌の中の出来事はそのまま現実のできごととなってしまうのだ。この曲がかすかな嗚咽をもって終わるのもそのためであると考えられる。

イマジネーションの中で演じられた愛のストーリーは、あなたにとって、すべて現実である。あなたの愛はすべてファンタジーの世界での出来事であるが、虚構の世界を現実の世界に変えてしまう精神の魔術によって、あなたは虚構と現実を一つにしてしまうのである。その意味において、あなたの涙もまた真実である。

「あの娘が消えた」の中で歌われる心象風景は、たとえ虚構であるにせよ、マイケル、現実のあなたの心象に極めて近かったのではないだろうか。愛することをためらう一人の青年の姿は、実にあなた自身の姿であるように感じられてならない。

歌の中の青年は、まるでルイヴィトンやイヴサンローランのブランド商品を持ち歩くかのように、彼女を連れ歩くのみで、そこから先の愛の進展がない。そんな状態が2年間も続く。ついに彼女は爆発する。

私はモノじゃないのよ、ハンドバッグか何かの持ち物と間違わないで。愛しているのならもっと表現して。これが彼女の抗議であった。彼女はついに去った。騎士のようなプライドを振りまいて、現実には何もしてくれない優柔不断の男。愛することを決断できない男に、女は見切りをつけた。

月並みな内容のように見えるが、ここに歌われた心象は、現実の愛に慎重な、否、大人になることを固く拒み続け、大人の愛を避けてきたあなたの姿がある。神秘的な、幻想的な、夢のような愛を抱き続けているあなたは、自分が抱いている愛のイメージを壊されることを恐れているかのようである。

愛は惜しみなく、お互いに与え合う美しい調和の関係である。理想的なギヴ・アンド・テイクである。しかし、この法則はしばしば破られ、世界中、至る所で愛は傷ついている。賢明なあなたは、勿論、この事実を熟知している。だから、完全主義者であり、理想主義者であるあなたは、現実の愛から逃避した。

愛することの難しさを前にして、愛の中に踏み込めないあなたは、自分自身にどこまでも忠実だ。そういうあなたの姿は世の人々には奇異としか映らない。ある人々は、あなたが自己中心的なナルシシズムの世界に閉じこもっていると考えるかもしれないが、それは酷というものである。

愛すること、愛されることの容易でないことを鋭い感性で捉えているあなたは、愛の前でためらい続けているのだと思う。

ぼくはミディアムからスローなテンポのラブバラードが好きだが、「あの娘が消えた」と同じ曲調を持つ系列のマイケルの名曲は多い。「バッド」に収録されている「ライベリアン・ガール(Liberian Girl)」や「アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー(I Just Can’t Stop Loving You)」など、切々と歌い上げるマイケルの優美な情感は、ファンの心を溶かさずにはおれない。天才的な感情移入を通して、歌とマイケルは完全に一つになっている。

マイケル、あなたの身上とするところは、数々のヒット曲で証明されるごとく、ダンス・ビートの世界である。それは一つのマイケル・ワールドを形作っている。その走りは、「ロッキン・ロビン(Rockin’ Robin)」などで十二分に感じ取ることができるが、1979年の「今夜はドント・ストップ(Don’t Stop ‘Til You Get Enough)」をもって、マイケル・ワールドの幕はついに切って落とされた。

しなやかに、優雅に、そして激しく踊り、歌うあなたの姿に世界中の耳目が釘付けにされた。歌と踊りの華麗なあなたのステージを見るとき、マイケル、あなたは名前の通り、「舞蹴・雀尊(マイケル・ジャクソン)」であることを人々は知るのである。(マイケルよ、お粗末な洒落を許し給え)

僕にとって、中でも印象的な曲は「ビリー・ジーン(Billie Jean)」だ。1983年に大ヒットし、全世界を興奮の坩堝に陥れたあの曲である。激しいビートというよりは、むしろ、抑制の効いた曲調になっており、しかも美しいコーラスで、いやがうえにも美しい曲に仕上げられ、ビリー・ジーンその人を象徴するかのような、甘美な舞踏曲である。

舞台で華麗に舞い、ビデオから飛び出してくるあなたは、幻想世界の主人である。歌と踊りの中で、あなたは持てるすべてのエネルギーを爆発させ、発散させた。あなたは生きた幻想であり、現実の中の夢である。

世界中の人々に、あなたは自らの幻想を共有させ、共感させ、共鳴させた。人はそれをさまざまに呼んだ。「マイケル現象」、「マイケル・シンドローム」・・・。マイケル・ワールドは、現実を超えたところの夢と幻想の世界である。マイケル、あなたはファンタジー・プロバイダーである。夢を売る人である。それは瑞々しい童心を永遠に失わない人にとってのみ可能なのである。

あなたは全世界の人々に一つのことを教えてくれる。現実だけが現実なのではなく、夢もまた現実であり、幻想もまた現実であるという教訓を。大人になっても子供の夢を失わないことが人生を楽しく生きる秘訣であるという教訓を。


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