![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56148462/rectangle_large_type_2_f34d46cc9778521df25146d317039ad0.png?width=1200)
預言書を解読する男 その3
僕は思った。悪循環とは何だろう。悪いものは悪いものを吸い寄せる。そうするとますます悪い状態から抜け出せない。まあ、一応、そういうことだろう。そのことを、これから講演者は例解で示し、悪循環が光を発しないどす黒い状態であることを語るという。
「大雑把に見ると、人類社会そのものが悪循環社会であると言えます。悪いことが一向になくならない。同じような失敗を相も変わらず繰り返し続けながら、不幸を呼び込んでいる。そういう状態であります。
悪の連鎖、悪の循環というものは、人類の愚かさを示す一つの尺度みたいなものであって、同じ悪い失敗を教訓として学ぼうとせず、繰り返し、懲りずに、やっているということの証明であります。わが孫衛門の書には『人の業(ごう)いと深き故、悪から離るるを得ず、果ては繰り返しの輪廻じゃ。』という言葉があり、まさに人間の姿を言い得ておると存じます。
孫衛門の書には、ちょっと、面白い表現が使われておりまして、それは『如是我聞(にょぜがもん)』ということばが、頻繁に出てくるということです。もともと、この言葉は、このように私は聞いた、という意味で、仏教経典に出てくる阿難の言葉ですが、弟子の阿難は釈尊の言葉を書き記すときに、一々、この『如是我聞』を書き添えて、自分はこのように聞きました、というふうに書いたわけです。もちろん、阿難は釈尊から聞いたのであります。
すると、わが孫衛門は、だれから聞いたのかという疑問が湧いてきます。このように私は聞いた、というわけですから、誰かから聞いたわけです。釈尊から聞いたのか。あの世の釈尊が孫衛門に現れて語ったのか。釈尊でないとすれば誰か。
実は、孫衛門は、この「誰」ということを明らかにしていません。このことが私にとりまして、非常な関心事であり、啓示の内容の研究を通して、この「誰」を究明したいと思っているのでございます。これは非常に難しく、あれこれ憶測は可能でありますが、決め手がありません。」
悪循環社会に輝きはなく、闇は途轍もなく深いことについての例証を、講演者からたっぷり聴こうと構えていたぼくの耳に飛び込んできたのは、啓示書を残した孫衛門の『如是我聞』という言葉を巡っての疑問であった。誰が孫衛門に語りかけてきたのか。それについて、静川太三郎は研究中であり思索を重ねているという。どうも話があっちこっちへ行きそうな気がしてきた。
「さて、少し話は脱線しますが、しばらくお許しいただきたいと思います。孫衛門に語ったのは誰かという問題につきまして、ヒントが残されております。啓示書を見ますと、『朗詠する者曰く』とあるのは非常に興味深い記述でありまして、これは、明らかに、和歌か何かを朗詠しながら、孫衛門に現れたのであろうと察せられるのであります。すると、孫衛門に語ったのは、歌人の可能性が高い。私はそう睨んでいます。」
かなり脱線して行きそうな気配が漂ってきた。孫衛門に語った可能性の高い歌人について、これから分析検討を加えていくのであろうか。
「『朗詠する者曰く』という語句から、直ちに歌人へ飛ぶのは、やや憶測が過ぎるのではないかという反論もあるかと思いますが、やはり歌人が相応しいような気がする。そこで、世を憂えて俗世を離れたような歌人を探してみますと、僧正遍照が浮かび上がってくる。」
ついに、講演者は歌人の特定化に入った。僧正遍照の名前を挙げてきたのである。「悪循環社会を断ち切り恒星の輝きを放つ社会へ」というタイトルとは、随分、かけ離れた歌人論議へと話は進んできてしまった。これで大丈夫なのか。少し心配になってきた。
「遍照と言いますと、桓武天皇の血を引いている背景の高い人物であります。どういう経緯や動機があったのか、詳しいことはよく分かりませんが、彼は出家して、僧侶になっている。世の諸行無常といったものを感じなかったはずはないのでありまして、いろいろ世の中を洞察していたことであろうと思います。」
やんわりと、しかし、ほぼ、遍照に間違いなしと言わんばかりの断定的な言い回しになってきている。ぼくは、何か「平安歌人の世界」というような講演会に来ている気分になってきた。
「遍照が歌った有名な歌に、『すゑの露もとのしづくや世の中のおくれ先立つためしなるらん』というのがあります。
木の葉の先にかかる露と、木の根っこに落ちる滴は、遅い、早い、の差はあっても、いずれは地面に落ちてはかなく消えるもの。同じように、人に遅れたり、先に亡くなったり、いずれはみんなあの世に旅立つのだ。これが世の無常というものだ。
こんな意味であろうかと存じますが、喜怒哀楽、栄耀栄華、興亡盛衰、の人生を終われば、みな等しく死ぬのだといった悟りの中に、遍照は何を見ていたのでありましょうか。」
この段階で、講演者の語りの口調は、完全に遍照に焦点が絞られ、遍照の問題意識が何であったのかという憶測へ移り始めた。
「もう少し、寄り道をさせていただくことにしまして、この遍照の歌とよく似た無常観を述べたものに『白骨の御文』というものがございます。浄土真宗の中興の祖、蓮如の作であると言われるものですが、それはさておき、内容は『われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり』の一節であります。
遍照の歌と非常によく似ております。このように申し上げると、皆様の中には、その蓮如が怪しいのではないか。孫衛門に語ったのは遍照ではなく、蓮如でなかったか。そういう見方が当然出てくると思います。」
あれあれ、遍照に一旦絞られたと思いきや、次に蓮如の文章が取り上げられた。何のために蓮如が持ち出されてきたのか。しかも、孫衛門に語った可能性を持つ人物として蓮如の可能性までわざわざ示唆するような口ぶりである。
「わたくしも蓮如の線をだいぶ考えました。立派な大宗教家であるということが何よりも惹き付けられるものがある。世直しの啓示くらいはするだろう。そういうふうにも感じられます。
しかし、わたくしが躊躇ったのは『朗詠する者』という句であります。蓮如も遍照も朗詠したであろうとすると、どちらが『朗詠者』としてより相応しいかという問題になります。歌人の朗詠と宗教家の朗詠、どっちでもかまわないと言えばそれまでですが、やはり歌人の朗詠を取りたい、そう思ったのであります。」
ああ、ついに、「朗詠」の基準を比較して、孫衛門に語った者を最終特定しようという段階まで来たのか。歌人の朗詠か、宗教家の朗詠か。
「しかも、遍照はただの歌人ではない。宗教家でもある。僧上という高い位を極めている。よし、これだ。こういうことになったのでございます。」
憶測を重ね、ついに、最終結論を導いて、立派な「憶説」を述べ、断定してくれた。ぼくは、残念ながら、この憶測の流れに付いていけなかった。ぼくにとっては、この講演に期待する内容がほかにあり、孫衛門に語った者が誰であるかというテーマはどうでもよかった。悪循環をいかに断ち切るか。これが、この講演に対するぼくの期待感の中心である。
田中俊吉が、突然、ぼくに話しかけてきた。
「おい、大野、どうやら遍照さまのお告げをわれわれは今日、学びに来たようだな。ぼくは大野と違って、それほど、疑い深くないから、この講演者の考えは、まあ、すんなりと受け入れられるよ。平安の歌人が世を憂えてお告げを下しておったとは驚きだね。」
田中は、すっかり、啓示の主体者が遍照であることを受け入れ、静川太三郎による啓示の解明に期待を寄せているかのようであった。静川は次のように話を続けた。
「遍照という人が一体どういう人であったのか、わたくしはよく分かりませんが、まず、遍照という名前が非常によろしい。遍く照らすというのは、衆生に対する大いなる救いの光を発する趣を感じさせ、偉大な宗教家の風情が漂っております。」
どうも、講演者の言う「趣を感じさせ」とか「風情が漂っている」というような印象論的な解説を、僕には懐疑的なところがあるので、田中が言うようには、受け入れ難かった。
「だいぶ、寄り道を致したようでございますので、本論へと話を戻してまいりますが、『人の業いと深きゆえ、悪から離るるを得ず、果ては繰り返しの輪廻じゃ』と啓示書にある「繰り返しの輪廻」についてお話いたします。
実は、わたくしは余り輪廻転生というものを信じていないのであります。どういうことかと言いますと、あの世に行った故人が、地上に再び、生まれてくるという考え、しかも、人間として生まれるならまだしも、動物に生まれたりするといった考えは、どうもしっくりこない。そしてまた、善行を積んだ犬や猫が、まあ、そういう考えが成立するのかどうか知りませんが、例えば、ご主人に良く仕え、ご主人をよく助けたというような場合、次には人間として生まれてくる。
こういう人間と動物のあいだの往復運動みたいな輪廻観は、何だか子供騙しのような感じが致しまして、信じる気になれない。しかし、全く、輪廻を否定してかかるのもどうかという気持ちもあります。それは、例えば、この孫は亡くなったおじいちゃんにそっくりだとか、癖まで似ているとか、同じ場所に黒子がついているとか、だからこの孫はおじいちゃんの生まれ変わりに違いないというようなことをおばあちゃんが喋る。すると、そういうこともあるのかなあ、といった気持になります。輪廻というのはどうも分かったようでわからない。」
静川氏が本論に戻ってくれて、僕はほっとした。輪廻観について、氏は冷静であるように見受けられた。従来の輪廻思想をただ鵜呑みにしているというものではなかった。