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アーカイブスの怪 その5【最終回】

村上三郎は、埼玉の大宮に住んでいた。彼の自宅に電話を入れたが、彼は不在で、代わりに息子が電話に出た。息子から父親の携帯電話の番号を訊いて、早速、旧友に電話を入れた。ああ、懐かしい声が電話の向こうから聞こえてきたではないか。私が自分の名前を名乗ると、彼の方も吃驚仰天した。

「穂積か、穂積太郎だね。懐かしいなあ。本当に懐かしい。どうして、この電話が分かった。何、ぼくの息子に訊いたのか。えっ、何だって。ぼくの20年前の番組を見たっていうのか。あれは、誠に恥ずかしい作品だ。ぼくが関わった番組の中で、一番、恥ずかしい番組だ。その時の話を会っていろいろ聞きたいと言うのか。いいけど、それ以上に、君に会いたいよ。いろいろあったからなあ、ぼくの人生も。」

こうして小学校時代の無二の親友の二人は、再開することになった。とんでもないアーカイブスが昔の親友を再開させるきっかけを作ってくれたのである。渋谷のカフェ・キーフェルという喫茶店で二人が会ったのは、村上の会社が道玄坂にあり、その店が彼にとって愛用の店で、何かと便利な所にあるからという理由であった。

「やあ、村上、元気でいたか。ほんとに懐かしいなあ。むかしの面影のままだね。少し髪が薄くなったね。とにかく、懐かしいよ。こうして、再会できるとは思ってもみなかった。」

「こっちこそ吃驚したよ。突然、君からの電話だ。穂積も昔のままだな。ほとんど変わっていない。昔は痩せていたけど、少し太ったみたいだね。ぼくの変な作品を見たとは、驚きだね。世に出ることもなかった作品を見たなんて、一体どうなっているんだよ。われわれは、余程、強い何かで結ばれているみたいだな。」

こうして再会の言葉をそれぞれ交わしながら、二人は、カフェで2時間ほど話し込んだ。アーカイブスの怪は、どのような経緯で出来上がったものなのか。村上によれば、阿佐日テレビでは『開局30周年記念特別番組』を制作する際に、いろいろと会議が持たれて議論が重ねられた。その結果、歴史性、時局性、娯楽性、教養性、国際性、未来性など、さまざまな観点から画期的な番組を作ることはできないか、話し合いは続いたが、議論百出で、なかなか話がまとまらない日々が続いたのだと言う。そんな中で、村上が言った一言が受けて、村上の提案の方向で番組制作を行うこととなった。

「いろんな考えが出されていますが、大体、何らかの特別番組と言えば、皆さんが論じておられるようなことが他局でも話し合われているようですし、結局、似たような番組を視聴者は見せられているのではないかと思います。思い切って、非常に独創的なものを作ってはどうか。そこで、わたしは、「意外性」「サプライズ」をキーワードに番組を作ってみてはどうかという提案をしたいと思います。」

これが、村上三郎の発言であった。なぜか知らないが、反対らしい反対も出ず、それで行こうとなったのである。結局、言い出しっぺの村上が、制作統括責任者の座に祭り上げられて、番組を制作することになった。

意外性、サプライズなどと言ってみたものの、自分が番組制作の責任者になってみると、実際には、どうしたらよいか、村上は少なからず途方に暮れてしまった。30周年目が卯年に当たっていたので、卯年を何とかできないか、そういうところへ考えが煮詰まっていった。制作アシスタントの誰かが、ウサギ・オンパレードで決めたらどうですかと言ったことが、妙に頭にこびり付き、番組の内容をウサギ関係で取り揃えるというアイデアに辿り着いたのである。これが、村上の言葉から分かった大方の概要であった。そうして、出来た番組が、あの作品である。倉田と私が『那須アーカイブス』で見たあの作品である。

村上は、作品がなぜ放映に至らなかったかについて話した。阿佐日テレビの田城菊之助社長は、村上三郎が制作した番組を見て烈火のごとく怒った。

「こんなもの、放映できるか。一体、何を言おうとしているのか。意味も目的もさっぱり分からん。これのどこが30周年記念特別番組なのか。何を考えているのか。

だいたい、わが社の番組に対して、この数年、風当たりが強く、いろいろ批判の多い中、こんなものを出したら、どんなことになるか。またまた、阿佐日テレビがわけのわからないことをやったぞとか何とか、大騒ぎになることは目に見えているじゃないか。ちゃんとしたものを作れ、ちゃんとしたものを作るんだ。」

田城社長の逆鱗に触れ、百匹もウサギを集めて作った番組はボツになったのである。番組を作った背景は、村上の話でほぼ理解したが、その後、彼は阿佐日テレビを自ら辞めて、大手出版社の皇談社に務め口を見出し、今日に至っているということであった。


アーカイブスの怪をきっかけに、小学校時代以来の再会を果たし、さらには懐かしい友人として親交を再び結ぶようになった私と村上三郎は、月に一、二度は会って、食事をしたり、ゴルフに行ったりするようになった。村上にとっては思い出したくもない番組制作の古傷のようなものであったが、彼が思いがけなくも喋った一言、すなわち、皇談社が独自に「笑える話シリーズ」を企画しDVDで三十作品ばかりを制作して売り出すことになったという話で、あの作品に少し修正を加えて出してみてはどうかという提案を私がしたところ、村上もその気になった。結局、皇談社は早速「笑える話シリーズ」の第一作として、あの「アーカイブスの怪」を少し修正して出そうということになったのである。私が可笑しなアーカイブスを見て幼馴染の名前を発見した所から、古い友人の作った苦い思い出の番組作品が日の目を見ることになったのである。

それにしても、アーカイブスで働いていると、わけのわからないことに出くわすことが少なくない。特に、お蔵入りになって世に出ることがなかった作品など、確かに理由のないことではないが、そんなものをついつい興味本位で「何だろう」と見てしまう。倉田も私も、どうやらそういう類の人間であるらしい。

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