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ビービーなひとびと その3

ベティ・ベッカーマン、彼女との出会いこそが、私の人生における最も意味のある出会いとなったことを読者諸君に語らないわけにはいかない。ドイツからの移民でアメリカに百年前に移り住んだヘルマン・ベッカーマンを先祖に持つベティはブロンドの美しい女性であった。不思議な事に、B.B.のイニシアルを持つベティも小学校時代から「べべ」とあだ名を付され、みんなに愛されたそうである。私との違いは、彼女は愛され、私はからかわれたという点にある。

B.B.のイニシアルは、ベティ・ベッカーマンにどんな「偏執的な固着性」を与えているのか、私は気になった。そこで、彼女を鋭く観察し、また、彼女との会話を積極的に持つようにしたのだが、最初はそれほど特徴的なものを見出すことができず、彼女のイニシアルがもたらす特殊エネルギーがどこに向かっているのか捉えることができなかった。

ベティの外見的特徴は、非常にスリムで敏捷な身のこなしをすることであった。171センチの彼女の体は、まるで忍者か何かのように機敏に動いた。鍛錬された動きのようであった。私は、彼女の「偏執的な固着」は精神的なものよりも身体的なものに向けられているのではないかと直感的に感じた。そこで、思い切って尋ねてみた。

「ベティ、君は、何か武道や武術の類の鍛錬をやっているのではないかというような機敏な動きだね。君の体の動きにはまったく無駄がないし、とても、スマートな動きだよ。一体、何をやっているんだい。」

「武道のすべて、武術のすべて、と言っておくわ。実際、その通りだから。」

「何だって!武道と武術のすべてをやっていると言うのかい。」

「私の意識は、絶えず『極める』ということに置かれているの。中途半端は大嫌い。中学校の時、柔道を始めてから、あらゆる武道に興味を持つようになったわ。柔道を始めたのは、浦沢直樹の『YAWARA!』 を読んで、とても感動したことがきっかけよ。世界の武道、武術をマスターしよう、これが、それからの私の人生の目標となった。」

「すごいね!柔道だけでなく、すべての武道のマスターに挑戦するなんて。一体、武道と言うものはどのくらいあるんだい。」

「武道、武術は、主に、東洋の国に集中しているの。中国、日本、韓国、インド、タイ、その他のアジア諸国にほとんどがあると言っていいわ。

中国には、約400の武術が存在するのだけれど、それらを私は全部体得したいと思っているの。現在のところ、その中の120の武術は体得したつもりよ。もちろん、各流派の老師や師範から見れば、私の体得度はそんなに高いものとは言えないでしょうが、一応、基礎的なものは身につけたつもりよ。

武術の思想は何かと言うと、心身の鍛練というものと、身を守るという護身的なもの、また、演武的な美を追求するものなど、いろいろあるけれど、私は、主に、自分の心身の鍛練として武道、武術をやっているわ。

日本にも、非常に多くの武術、武道があり、各流派、流儀がひしめいているわね。日本関係の武道は約40のものをマスターしたのかな。もちろん、体得度は平均的なものと思っているけれど、これからもっと極めていかなければならないわ。

今、中国と日本の武術を合わせて、約160のものを体得しているけれど、韓国やタイ、インドのものなどを含め、私は生涯をかけて、すべての世界の武術を極めていきたいと言うのが目標で、それを生きがいとしているの。」
「すでに、160もの武術を体得したと言うのだね。すごい、の一言だ。君のイニシアルはB.Bで同一イニシアルだね。ちょうど、ぼくのイニシアルもB.Bで君と全く同じだ。ぼくは同一イニシアルが持つ「偏執的な固着」という性癖に注目してきた。言い換えれば、一つの対象に没頭する傾向、偏執性、固着性といったものだ。そして、その傾向は同一イニシアルの人にほとんど例外なく認めることができた。

きみにも、それが当てはまっているようだ。君の場合、それが、武道、武術に向けられている。一点集中する没入の対象が武術の世界に注がれている。見事な集中だ。」

「ふーん。同一イニシアルは一点に集中するという性質があるのね。面白いわね。あなたは何に集中しているの。」

「ぼくは、鳥類だ。世界中の鳥と言う鳥に関心がある。鳥と言っても、君は何の興味もないと思うがね。」

「そんなことはないわ。ダチョウのように走る技を習得するために、いろいろ修練を積んだことがあるのよ。」

「ダチョウは飛べない鳥だが、速く走ることができる。時速60キロぐらいのスピードで走れるが、羽が退化していて飛ぶことはできない。」

「そうね。時速60キロというのは、10秒間でおよそ170メートルは走ることになるので、その辺の100メートルのアスリートたちも到底、敵いっこなしだわ。そういうダチョウの走り方を研究したわ。細く見える脚だけど、ふとももは異常なほど発達していて、強力なバネとなり、リズミカルな走法を生み出しているわ。ポイントは大腿部の筋力と、その筋力が生み出すバネにあるの。それで、わたしは自分なりの筋力トレーニングによって、大腿部の筋力を鍛えたわ。私の走り方は、ダチョウに似て、とてもリズミカルよ。仕事を終えて、近くの公園で、あなたと一緒に走ってみてもいいわ。私について来ることができたら、合格点をあげるわ。」

「御免こうむるよ。ぼくの肉体は運動するようにはできていない。とにかく、きみは世界の武道、武術を極めるという途轍もない挑戦を行っている世にも珍しい女性であることを、今日、はっきりと認識できて、君を理解するための大きな収穫になった。同一イニシアルの偏執性が武道に向けられた特異な女性を目の前に見ているのは、痛快であり、尊敬に値する。同じ、B.Bイニシアルの仲間として、きみを誇らしくも感じるのだ。これからも、よきお付き合いをお願いしたいところだ。君さえよければ。」

「分かったわ。オーケーよ。あなたとのお付き合い、わたしも楽しみにするわ。鳥類の百科辞典様。」

こうして、鳥類のベニー・ベンソンと武術のベティ・ベッカーマンのB.Bコンビが、職場を同じくするニューヨークの大手出版社の中で出来上がったのである。言葉だけは忙しいが、体はそれほど動かない「静」のB.B男と、驚くほど体の動きに満ち満ちた「動」のB.B女の組み合わせである。

次の日から、仕事が終わると、雨の日を除いてほとんど毎日、彼女と私はセントラルパークに向かい、公園の中の静かな場所を選んで、彼女の武術を見せてもらった。日本と中国に伝わる、併せて、160種にのぼる武術・武道を一通り修めたという彼女の武技がどんなものか、是非見せてほしいという私の要望を彼女が受け入れた結果のセントラルパーク通いとなったのである。

柔道や空手、合気道、居合道といったよく知られた武道はもちろんのこと、忍術やなぎなた、杖道など、各種の日本武道を見事に習得した彼女の武道偏執性は、群を抜いた美技を完成させていた。古武道、古武術などの稀少なものから最近の様々な流派のものまで、非常に流麗な体の動きによって、ベティは武技習得の成果を披歴してくれた。私は、ただただ驚き感嘆するほかなかった。

ベティの説明によれば、中国武術、中国武道の方は、その種類と多彩さにおいて日本のものを超える武の世界を歴史的に形成しており、太極拳や小林拳をはじめとして、翻子拳、蟷螂(とうろう)拳、形意拳、白鶴拳など、非常に多く、中国国土の広さに比例して、北方系のもの、南方系のもの、それぞれの地域性によって、武の世界が多岐にわたる発達を遂げていた。

「ベニー、この動きをよく見て。蟷螂(カマキリ)の動きから学んだ蟷螂拳の武技なの。非常に速い動きをするのが一つの特徴よ。」

「すごいなあ。蟷螂が獲物を瞬間的に捉えるときの動きにそっくりだ。昆虫や動物などの動きから学んで、中国の武術は様々に発達してきたのだね。」

「今、私が見せている蟷螂拳は梅花という流派のものだけど、蟷螂拳は非常に多くの流派があり、三百、四百を数えるほどなのよ。」

「そんなに多くの流派が、ただ一つの蟷螂拳にあるのだとすれば、ほんの僅かな違いだけで、一つの流派として数えられ、派を形成するという理屈になるだろうね。」

ベティの東洋武術の習得度は、私の目には、どれもおそらく平均以上のものであるのだろうと映り、見ていて、その動きと技の秀抜性は疑いえないほど確かな洗練度を感じさせるものであった。

彼女は体を動かすことそれ自体に異常なほどの喜びを感じているように見えた。跳ぶ、蹴る、伏せる、回る、突く、走る、舞う、振る、揺れる、押す、引く、あらゆる動作が複雑に組み合わさり、華麗なる一つの流れとして完成された武技の、いわゆる型を見ていると、一個の芸術作品を鑑賞しているかのごとき錯覚を覚えた。

彼女の武技のデモンストレーションは、一つ一つが、紛れもなく、身体が奏でる至高至美の芸術であった。彼女の鍛錬された体は、柔軟でかつ強靭な体躯を形成しており、ほとんど理想形に近いと言ってよかった。彼女の理想身体を見れば見るほど、やや、ぶよついてしまった自分の体を、わたしは大いに恥じ入り、彼女の体に限りない羨望の思いを抱いたのであった。

彼女との出会いによって、私が得た大きな収穫の一つが、早朝4時から5時まで実施するようになったジョギングであることを告白しておこう。現在のわたしは、自分で言うのも何だが、極めて引き締まった贅肉のない体をしており、ベティが、スリムになった私を評価してくれるたびに、すべてはベティのお陰であると私は答えたのである。

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