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UK ROCK「ロッド・ステュワート」を語る

親愛なるロッド・ステュワート


1970年代から90年代にかけて、華麗に生き抜いたハスキーボイスのロック・シンガーと言えば、「ロッド・ステュワート」(Rod Stewart)その人であろう。

音楽の世界において、透き通った美しい声は、歌い手の魅力を表すものとして、非常に重要な要素であるが、かすれた声もまた時として、歌い手の個性と表現力の中で活かされるならば、魅力的なものとなる。

ぼくはロッド・ステュワートのしわがれた声にすっかり聴き馴らされて、聴き込むうちに、彼の音楽を心から愛するようになった者である。

ロッドのしわがれ声が一流の芸術として世界の人々にもてはやされたとすれば、如何なる声も芸術になり得るのではないかという思いを否定することができない。

もちろん、無条件にというわけにはいかないだろう。声以外のさまざまの要素も加味されなければならないのは、当然のことである。

ハスキーボイスは、切なさを表現するときに、その威力を発揮するという印象を、ぼくは持っている。哀切の感情は、かすれ声に乗りやすい。ロッドは自分の声を最大限に活かして、実にうまく歌い上げる天性を備えている。

1976年の大ヒット曲「今夜きめよう」(Tonight’s the Night)を聴くと、ちょうど、日本の一流の演歌を聴いているような気分になるのであるが、欧米人がこの歌を聴くときの感覚がそれに近いものではないかと思ったりする。

なだらかな抑揚、けだるいサックスの音色、ロッドのハスキーな切ない歌いっぷり、これらが一体となって、一種の艶麗な雰囲気がかもし出される。ぼくはこの歌を欧米型の一流演歌と規定しているのである。

ロッドのヒット曲の中には、数多くのダンス・ビートが含まれている。中でも、1978年の暮れから79年の初めにかけて、わがもの顔に世界中を席巻した「アイム・セクシー」(Da Ya Think I’m Sexy?)は、当時のディスコ・ブームも手伝って、また、流れるような心地よいメロディーとリズムが若者の心をとらえて、音楽シーンを賑わしたものである。

この曲の軽快な乗りは、耳で聴く音楽と言うよりも、体で聴く音楽であることを強く印象付けた。実に爽快だ。(そうかい!笑)

もう一つの忘れることのできないダンス・ビートがある。それは、1983年のヒット曲「ベイビー・ジェーン」(Baby Jane)である。

昔の恋人に、もう一度、永遠の愛を誓うその切ないハスキー歌唱は、美しい流麗な曲調の中で、何とも言えない哀切感を漂わせる。

しかも高い音域を流れるように歌うという手法は、不思議にもメランコリックな哀調を帯びるものである。

1980年に出されたロッドのアルバム「パンドラの匣(はこ)」(日本版?)に収められている「パッション」(Passion)という曲があるが、この曲の持つ独特の雰囲気、何と言ったらよいのか、エキゾチックな幻想性、異国情緒的な郷愁性とでも呼んでいいような曲調に、ぼくは強く惹かれて、何回も何回も聴き込んだ覚えがある。

ニューヨーク、香港、トキヨ(東京)、と世界の大都市が次々に出てくるところが面白く、コスモポリタン的な未来感覚、或いは風のような自由性を、「パッション」は彷彿とさせるのである。

ロッドの歌の世界は、若者の危険な愛の暴走、甘い誘惑の香り、そして愛の挫折、その痛みといった青春のドラマが主たる内容となっている。

1971年の大ヒット曲「マギー・メイ」(Maggie May)、1981年のヒット曲「燃えろ青春」(Young Turks)などは、その代表例と言えるが、それはまさしく彼自身の自画像に近いのではないかと感じさせるほどに、彼の持つ雰囲気は不良っぽい好色性を漂わせている。

それが彼の持つ魅力でもあると言えないこともないが、ぼくの見方は少し違う。

彼はお人よしの寂しがりやなのだ。そして、すぐにお調子に乗る幼児的楽天性を持っている。憎めない陽気な風来坊といったところか。だからこそ、その行き着くところは、危険な愛を歌う放蕩息子ということになるのである。

こういう表面的な印象は措くとして、彼の本当の心の世界を歌っていると思われる名曲があることを思い出してほしい。

父なる神の元へ帰りたいという心の渇望が、美しく切なく歌い上げられるロッドの「セイリング」(Sailing)を聴くと、ぼくは最早、何も言うことができなくなるのである。

「セイリング」は本当に美しい、清らかな歌である。讃美歌の世界である。歌詞の概要を記してみよう。

 ぼくは大洋を越え、再び故郷へと航海する。
 嵐の海を渡ってあなたの御そばへ行く。
 自由になるために。
 ぼくは大空を駆け、鳥のように飛んでいく。
 雲間をぬって飛んで行こう。
 あなたのみそばへと。
 自由になるために。
 ああ、主よ、あなたのみそばへ近づくために、
 そして自由を得るために、ぼくは航海する。

ザッとこのような内容であるが、これこそがまた、ロッドの偽らない心の世界でもある。ぼくは思う。すべての人々が神の御許へ帰るために、それぞれの人生行路を航海しているのだと。

人生、それはまさしく「セイリング」である。そして誰もが、この航海において、嵐の日を持っており、雨の日を持っている。全航路、順風満帆というわけには決して行かない。

少なくとも、途中で沈没したり、航行不能になったり、破船したりすることのないように、何とか目的地にたどり着けるように、頑張らなければならない。

ぼくは、ロッド・ステュワートの「セイリング」をよく口ずさんでいる。そうすると、不思議に心が落ち着き、安らかな気持ちになる。

ロッド・ステュワート、ぼくはあなたに感謝する。ともに、人生の「セイリング」を全うし、善き世界であなたと会えることを祈る。


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