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「世界制覇」その2

僕らの世界制覇への道は、信じられないほどの紆余曲折の道であった。しかしながら、運命の女神は、『スピリット・ジャパン』を後押ししてくれて、しっかりと守護した。気が付いたとき、ぼくらは世界の頂点にいた。

出したCDの枚数十七枚、売り上げ枚数の総数は八千七百万枚という驚異的な数字に上った。デビュー以来、七年の歩みで、そういう記録の金字塔を打ち立てたのである。特に、新曲の五曲とベストの十曲の計十五曲を収めたアルバム『ジャパンの叫び』は、世界中で驚異的に売り上げを伸ばし、この一枚だけで三千万枚の売り上げを記録した。

僕らのデビューは、高校を卒業して三年目、メンバー全員が二十一になったとき、最初の大ヒット曲、「挑戦こそ人生!」が日本列島を席巻したときのことだ。このヒット曲によるデビュー以来、バンド・リーダーの日野良治はいつも一つのことを仲間に語った。

「偉大なる挑戦。命がけの挑戦。世界への挑戦。これが我々の道だ!」

日野のこの檄に誰も異論はなかった。深くうなずいて、全員で、おーっ!と答えるのが常であった。ミリオンセラーとなったアルバム『日本再生』の冒頭に収められた大ヒット曲「挑戦こそ人生!」が、なぜ、ヒットしたのか、その理由を多くの音楽評論家たちが分析したが、その内容はほぼ、共通していた。暗鬱な時代の中に生きる力を与えたのだ。

世界が経済的に落ち込み、暗い話ばかりがニュースを飾っていた時、そういった空気を一気に打ち破るかのような曲が流れたのである。「挑戦こそ人生!」という勇ましい曲が巷間に流れたのである。暗い時流に負けない精神の炸裂がそこにあった。


      挑戦こそ人生!チャレンジ、ヤーッ!
      挑戦してこそ人生!チャレンジ、オーッ!
       挑戦は美しい!ビューティフル!
       挑戦は生きる真剣な姿!シーリアス!
       挑戦は飛翔する魂!フライ、ハイ!
      挑戦こそ人生!チャレンジ、ヤーッ!
      挑戦してこそ人生!チャレンジ、オーッ!
       挑戦せよ!強く生きよ!リヴ、ストロング!
       挑戦せよ!前進、前進!チャレンジ!


歌詞としては、たったこれだけの内容を盛ったものであったが、時間としては長めの5分30秒をかけた歌であった。このような単純にしてストレートな歌詞のどこがどう受けたのか分からなかったが、そしてまた、この歌がヒットするとも思わなかったが、とにかく、結果は思いもよらぬ大ブレークであった。

この詩は、日野の作詞の中では、最も簡単明瞭な詩である。「挑戦」「チャレンジ」という言葉が何回も何回も繰り返される反復のマジックに、人々は酔ったのだ。暗示にかかったようないい気分になった。

歌っていると不思議に力が湧いてきた。落ち込んでいる時間などない、挑戦して生きるんだ、という気持ちを抱かせた。人生において挑戦する姿がいかに美しいかを人々にアピールしたのだ。この九行の歌詞は、歌が終わるまでの間に、全体として、四回繰り返された。しつこい反復が不思議な効果を呼んだ。

イントロは、河原博司のバイオリン・ソロが悲しいほどに美しいメロディーで三十秒間ほど流れる。ほとんどの女性はここでもう涙ぐんでしまう。だからと言って、この曲がバラードであるというのではない。イントロが終われば、激しいロックの旋風が吹き荒れる。

イントロの甘美なメロディーを打ち破り、曲調をガラリと変えるパワフルなぼくのドラムが響き渡り、そこに野村と日野のギターが加わって、爽快なロックが疾風怒濤のごとく、ぼくのドラムと共に進行する。絶妙なコンビネーションに仕上がった史上の名曲が、日野のボーカルを中心に歌い上げられるのだ。

音楽評論家、湯谷玲香(ゆたに・れいか)の言葉によれば、「悲しいほど美しく、そして、爽快で、元気の出る最高のビューティフル・ロック、神秘的なマジカル・ロック、静と動の得も言われぬコンビネーション、日本の魂を宇宙にこだまさせるコズミック・ロック」というものであった。

日野のボーカルは、ロック・バンド「フォーリナー」のルー・グラムの声に酷似しているが、もう少し通りがよく、もっと高い声域も可能である。

挑戦こそ人生!この最初のフレーズをやや抑え気味に低い声域で歌い、次の、「挑戦してこそ人生!」のフレーズを一気にテナーの高声域に移して歌詞の主張を高め、意味を強調して歌い上げていく、この声域の落差に人々は度肝を抜かれるのだ。

この曲を聞いた人々が異口同音に口にする言葉があった。「何だか分かりませんが、元気が出ました。元気をもらいました。」という言葉である。

一つのヒット曲がロック・バンド『スピリット・ジャパン』の運命を変えた。「挑戦こそ人生!」という曲は、日本再生の起爆剤となった。元気のない日本が元気を取り戻すための強力なカンフル剤となったのである。

僕は、時の首相、与和木真卦太(よわき・まけた)がテレビでこういうのを聞いて、笑いながらも、半ば心を打たれ、半ば戸惑った。

「国民の皆さん、今こそ日本は元気を出すべき時であります。日本も世界も、今は非常に大変な時ではありますが、どこかの国が突破口を開き、世界に元気を与えることが必要だと考えます。日本こそ、それができる国です。

わたくしは、自分の名前のことで昔からよくからかわれ、いじめられたりしたものです。その私が頑張って首相にまでなりました。この難局に、頑張りを示し、輝く日本を取り戻す。これが首相としての私の使命であると深く確信しております。

国民の皆さん、ロック・バンドの『スピリット・ジャパン』を聴いておりますか。彼らの「挑戦こそ人生!」というあの歌を、わたくしは毎日聴いております。国会議員のすべての皆さんにも聴くように薦めております。

あの歌さえ聴けば、間違いなく、元気は出ます。わたくしは、あの歌を『君が代』に次ぐ第二の国歌として定めたい気持ちであります。実際、関係者に、法案作りを指示したところであります。」

とにもかくにも、この歌が僕らの人生を変えただけでなく、首相の言葉からも分かるように、日本を大きく変える天からのギフトになったことだけは確実に言える。

スピリット・ジャパンが「ジャパンの叫び」を大ヒットさせていた時に、当時、若者が刺激を受けて多く立ち上がり、その中には、企業家として世界的な成功を収め、大企業に成長したものが五社もあったくらいである。



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