洋楽ポップスの風景(その一)
~~Freddie Mercury : Living On My Own~~
フレディ・マーキュリーは、ロックバンド「クイーン」のリード・ボーカルで世界に名を馳せた人物であり、1991年、45歳の生涯を閉じた。「リビング・オン・マイ・オウン」は1985年に発表された楽曲で、当時のディスコ全盛の時代を反映して、軽快に踊れるロックとして、とてもスマートに出来上がっている。
曲のリズミカルなトーンとは、裏腹に、フレディは「I get so lonely lonely lonely lonely yeah」と悲しげに叫ぶ。これは、曲の中での単なる叫びか。それとも、実生活におけるフレディの真実の「寂しさ」であったのか。とにかく、この曲は、フレディが亡くなった1991年の2年後に「ノー・モア・ブラザーズ・ミックス」としてリリースされたとき、英国、フランス、スペインなどでチャート1位を占めた。
ぼくはこの曲をよく聞くのであるが、ディスコ的な快適な気分と、ローンリ、ローンリ、ローンリの寂寥感が、同時に迫って来て、とても複雑な気分になる。フレディのあのステージでの派手なパフォーマンスと背中合わせにあったのは、孤独感であったと思う。英雄は孤独だ。ロックの英雄も孤独と戦いながらステージを飾っていたのだ。
~~Journey : Separate Ways~~
アメリカのロックバンド「ジャーニー」は、二代目のボーカリストとしてスティーブ・ペリーを迎えたときから、爆発的な人気を博し、USロックシーンに「ジャーニー」ありという不動の位置を確立した。スティーブ・ペリーのあのややハスキーがかった声は哀切感に満ちており、特に、ヒット曲「セパレイト・ウェイズ」を歌うときのスティーブ・ペリーはその情感のこもった歌唱力で抜群の存在感を見せつけた。
曲そのものは、ロックパワーの炸裂であるが、非常に美しい曲調である。その歌詞の内容を見ると、男女の出会いと愛、そして悲しい別れであり、別れゆく女性に、本当の愛はぼくにあるんだ、いつでも帰っておいで、という真実の愛を訴えている男の心情が、曲全体を覆っている。1983年に発表されたこの曲は、ビルボードチャートの8位まで駆け上った。
この曲を非常に好きだという友人がいて、聴いたところ、その通りで、気に入ってしまった。ロックの乗りが心地よく、ノリノリの気分になるのに、曲の内容は、愛の別れ、まさに、セパレイト・ウェイズ、それぞれの道に分かれ行く男女二人の悲しい物語。ジャーニーは多くのヒット曲を放った。いい曲が多い。正統ロックを堂々と行く魅惑のロックバンドだ。
~~Pet Shop Boys : West End Girls~~
ダンスポップ、シンセポップのデュオとして知られる英国の「ペット・ショップ・ボーイズ」は、魅力的で、都会的で、洗練された曲を次々に世に放った。「ウェスト・エンド・ガールズ」は、彼らの代表作である。ウェスト・エンドはロンドンの地区の名称であり、娯楽施設が集中している。よく、ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウェスト・エンドと対照的に語られることが多い。
聴けばすぐに分かるのであるが、これはもう確実にダンス曲であり、踊るしかない。ペット・ショップ・ボーイズの曲は、流れるような爽快感があり、どの曲も快適なリズムを刻んでいる。要するに、踊れと命じているのだ。大都会の音楽である。田舎の田園風景は滅多に見えてこない。
ウェスト・エンド・ガールズがリリースされたのは、1986年のことであった。上野駅で待ち合わせの人と会い、用事を済ませた後、レコード店に入って買い求めたのがペット・ショップ・ボーイズのアルバムであった。一気に聴いた。全曲、体をゆすりながら聴いた。静かに聴くことは不可能だった。
~~Human League : Don’t You Want Me~~
シンセポップ(テクノポップ)として知られている英国の「ヒューマン・リーグ」は、その音楽ユニットの名称をそのまま訳せば、「人間同盟」である。思い切った名称だ。フィリップ・オーキー、ジョアンヌ・キャトラル、スーザン・アン・サリ―の3人のメンバーの厚化粧と感情を抑えたクリスタルな歌唱が、なぜか人々を惹きつけた。
彼らのヒット曲に「ドント・ユー・ウォント・ミー」があり、この曲は非常に流行って、日本では「愛の残り火」などと曲名が付けられた。1981年に全英チャート1位、1982年に全米チャート1位に輝くヒットとなったが、テクノポップスに特徴的な乗りのよいリズム感はもちろんだが、メンバーたちのボーカルの乾いた歌唱が、まさにテクノ曲であることを存分に表していた。
導入部の楽節が印象的に耳に残り、その心地よさがたまらなかった「愛の残り火」は、とにかく、80年代の初め、街角によく流れていた曲であったことを、はっきりと記憶している。
テクノポップの隆盛は、1970年代の後半あたりからであり、現在に至っているが、その流行の初期に「ヒューマン・リーグ」の活躍があった。このころから、音楽シーンでは、シンセ系、テクノ系に嵌まる若者たちが増えていったのである。
~~Arabesque : Friday Night~~
西ドイツの女性トリオ、アラベスクはディスコ曲を次々に発表し、ディスコ旋風の台風の目となったグループである。当時(1970年代後半~1980年代前半)は、東西ドイツに分かれていたので、西ドイツのトリオと言わなければならない。世界中の国々の中でも、このトリオに熱い視線を送り、絶大なファン層を作り上げていたのは、何をかいわんや、この日本であった。日本での彼女たちの人気は他の国に比べて群を抜いていた。
西ドイツでは、ミュンヘンを中心として、ディスコミュージックの先行グループがあった。その人気は高く、「ボニーM」というグループの放つ曲は、世界的な広がりを見せていた。ボニーMのあとを追う形で現れたのがアラベスクである。ボニーMは、黒人グループであるが、アラベスクは白人女性3人のグループであった。
その中の一人であるサンドラは、独立して活躍し、マイケル・クレトゥの音楽プロジェクト「エニグマ」の中で、ヒーリングミュージックの神秘的な調べを歌い上げることになる。アラベスクの歌う歌は、どれも元気が良く明るい曲であり、一生懸命にディスコを踊るしかない曲と言ってよい。「ハロー・ミスター・モンキー」などは、その代表であろう。「フライデー・ナイト」は、メロディーラインが美しく、上品なディスコ曲である。
~~Red Hot Chili Peppers : Californication~~
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「カリフォルニケーション」は、2000年にリリースされた。当時、この奇妙なタイトルの造語にぼくは引っかかった。後で分かったのであるが、カリフォルニアとフォーニケーション(姦淫、不道徳、不倫の意)を組み合わせた造語であった。重く沈んだギターの音で始まる「カリフォルニケーション」は、カリフォルニアの悪徳の都ハリウッドの気違いじみた犯罪の数々を告発している。
ハリウッドは淫乱の都である。目を覆うばかりの、口に出して言うのもはばかられる悪徳の都である。すべての道徳をかなぐり捨て、罪の中に沈んでいくことをおのれに許した者どもが暮らす場所がハリウッドである。世紀末の世界だ。セレブどもは一体何をやっている。気の狂った連中だ。カリフォルニアで世界は終わる。ハリウッドで人類の歴史は閉じる。
言ってみれば、そういうようなことを必死に訴えているのが、「カリフォルニケーション」であり、実に悲惨な歌だ。USロックの21世紀は、このレッド・ホット・チリ・ペッパーズの悲痛な叫びで幕を開けた。アメリカが道徳的に再生することはできるのだろうか。そういうことを考える必要もないというのがアメリカなのか。旧約聖書にあるソドムとゴモラの街の崩壊と滅亡をアメリカは後追いするのか。
~~Grant Miller : Colder Than Ice~~
80年代のヨーロッパのディスコシーンで、忘れられないのが、グラント・ミラーの「コールダー・ザン・アイス」である。この曲は、1985年にリリースされ、ディスコ・ブームの中で、大いに注目を浴びた。グラント・ミラーはヨーロッパで活躍したが、生まれはアメリカのインディアナ州であり、ファッション・ビジネスに従事した後に、ディスコ・シンガーに転じた。
グラント・ミラーは、感じのよい青年で、彼の声も澄み切っていて聴きやすく、曲のほとんどは典型的なイタリアン・ディスコ・ミュージックと言ってよい。彼の「カリフォルニア・トレイン」なども、曲調は「コールダー・ザン・アイス」に似ているが、テンポがいいので、聴いていて気持ちがよい。彼の明るさは、そのボイスのせいもあるが、おそらく、アメリカ人特有の明るさであるように思われる。重苦しい感じがない。ぼくは彼の音楽が好きである。
イタリアのディスコ・ミュージック(Italo-Disco)は、どれもこれも同じように聞こえるかもしれないが、よく聴くと、いろいろと特徴があり、面白い。同じように聴いてしまうのは、制作手法が電子ドラム、ドラムマシン、シンセサイザーが使用されるため、音質が似通うので、同じような音楽ということになるのである。Italo-Discoのマーケティングを開いた「ZYX music」の活動と深く結びついたので、ある程度は似た音楽世界が出来上がってしまったということであろう。