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ビービーなひとびと その5【最終回】

七月末の雨期に、エンジェルフォールを落下する水の量は迫力満点の莫大な量であった。エンジェルフォールに到着した七月二七日、その日にベティはエンジェルフォール登攀を決行したのではない。ベティはじっくりと滝を観察し、どこをどう登っていくのか、登攀のコースを決定するという重大な作業のために、ほとんど一日を費やした。彼女は双眼鏡を使って、絶壁のあらゆる所を下から上まで、丹念に調査した。水が流れ落ちる瀑布の所を登ることはできない。そんなことをしたら、下降する水塊の猛烈な圧力で、ベティの体は忽ち叩き落とされてしまうどころか、木っ端微塵にされてしまうだろう。落下する水流に巻き込まれない脇のところを、登攀していくコースとして注意深く選ぶしかない。

私が不思議に思ったのは、1000メートルを落下する膨大無尽の水塊は、落下地面に巨大な滝壺を形成しているのであろうというわたしの勝手な想像に反して、地面に滝壺は見当たらなかったことである。1000メートルを流れ落ちる水は、地面にたどり着く前に、途中で細かく水蒸気のごとき形状に変化し、霧状になった水は、そのまま、雲散霧消するという運命に見舞われた。皮肉なことに、水塊を地面に叩きつけ、地面を穿つという滝の持つ常識的な仕事が、落下距離が大き過ぎるため、エンジェルフォールにはできないのである。

ああ、何たる不思議!ナイアガラ瀑布もイグアス瀑布も壮大な営みとしてやってきた滝壺形成作業が、エンジェルフォールにはできないのだ。水は地面に落ちることなく、途中で霧と化し、そして目に見えないエンジェルとなって、天に昇っていくのである。まるで、この滝を、ジミー・エンジェルが発見しなければならず、彼の名にちなんで、エンジェルフォールと名付けなければならない宿命があったとでも言うかのように。

迂闊にも、私は同行した日本人3人に、ベティがエンジェルフォールをよじ登って世界を驚愕させるであろうと喋ってしまった。ベティは、エンジェルフォール登攀に関して、誰にも話してはならないと私に約束をさせていた。それを破ってしまったのだ。

事態はどうなったのかと言えば、日本人3人が登攀の記録に協力するという話になってしまったのである。日本人の3人は、日本が光学機器の最先端国家であることを証明するかのように、優れたカメラ、ビデオカメラなどを3人それぞれが携帯していた。

結果として、ベティは日本人3人が加わったことを神に深く感謝した。神は、頼りない私の記録班長ぶりよりも、それを遥かに超える優秀な記録班クルーを、ベティの歴史的な偉業達成の歴史的な記録のために、日本からわざわざ派遣して下ったのだ。そのように、私も納得したのであった。日本人3人との合流は神の導きであった。

派手なパフォーマンスもなく、一見、物静かで、冷静沈着に人生を生きているかのような印象を与えた紳士的な日本人たちであったが、彼らがいかに優秀であるかは、その撮影記録の素晴らしい出来栄えによって完璧に証明されるところとなったのである。林田はソニーに、勝俣は東芝に、中野は日立にそれぞれ勤務する光学専門のエンジニアたちであった。

ベティがどんなにすごいことをやったとしても、それが立派に記録として収められなければ、何の効果も説得力も得られない。ただの作り話になるしかない。私一人がピンボケの記録を持って、世界に向かって叫んでも、巧妙な合成を苦労しながらよくも作り上げたものだと、世界の人々は笑うだけであろう。そして、私はとんでもないペテン師として歴史に名を残すだけとなるだろう。

私を含め、日本人3人の合計4人が、登攀の事実を記録する盤石な体制が整ったことで、一気に、ベティのエンジェルフォール979メートルの絶壁登攀の偉業達成に対する信憑性が高められることになるであろう。あらゆる意味において、日本人と私たちの合流は、天が準備した奥妙なる僥倖であった。

私とベティそれに日本人を合わせた5人は、明日決行する予定の登攀に対して、誰がどこをどのように記録するか、それぞれ、役割分担を明確にし、ぬかりのない記録体制を確認し合った。その結果、頂上の方からもビデオカメラを向けて撮ったらもっと効果的ではないかという意見が出され、話し合いの結果、私と林田が下からの撮影を、勝俣と中野が上からの撮影を受け持つということで、2対2で上下に分かれての撮影体制を取ることとなった。

このような話し合いの結果を受けて、勝俣と中野は、すぐさまその日、カナイマ飛行場に向かい、そこでチャーターヘリを調達し、明日の朝、頂上に着陸し、アウヤンテプイの頂上からの撮影に臨むということになったのである。十分に下調べを済ませたわれわれ一行は、いったん宿泊したキャンプ場へ戻って明日に備えた。

いよいよ7月28日の朝を迎え、私とベティそれに林田の3人は、キャンプ場から再びエンジェルフォールを目指した。勝俣と中野はすでに昨日、カナイマ飛行場に移動し、今朝、チャーターヘリでアウヤンテプイの頂上を目指しているはずだ。

われわれは、午前9時にエンジェルフォールに到着し、そこでベティ・ベッカーマンの歴史的なエンジェルフォール登攀の記録の準備に取り掛かった。一方、ベティはと言うと、日本の歴史的な黒装束の忍者スタイルに身を包んで、何も付けないむき出しの手と足を出して、地面に座り込み、座禅を組んで瞑想の態勢に入った。

ベティが言っていたところの、手足に念を送り、吸着力を高める重要な準備の態勢に彼女は入っていた。その姿をビデオに収めるべく、早速、林田はカメラをベティに向けていた。およそ、一時間ほど、ベティは瞑想状態にあった。目を開き、立ちあがった彼女は、私を呼んだ。そして、彼女の掌に触るよう求めてきた。私は言われるまま、彼女の掌に触った。何と、触った私の左の掌をまるで飲み込むかのように、彼女の左手のてのひらが吸い込み、ぴたりと二人のてのひらが合わさる形となった。何だ、これは!恐ろしいほどの吸着状態が実現されている。

林田は、その一部始終を的確に、実に、明解な証拠映像を取るかのように、ビデオカメラを操作し続けていた。ベティの手と足は、今、吸盤のような状態になっているのだ。彼女が日本の飛騨山中で習得した秘術中の秘術が1000mの絶壁を登攀する隠された武器なのだ。ベティが習得した日本の秘術を、日本のカメラマンが芸術的に撮影している。不思議な光景である。

ベティが登り始めた時刻は、正確に10時19分であった。吸着マシンと化したベティは素足と素手を壁面にピタリと付けて、絶壁を登り始めた。一切の道具類もなく、金髪を靡かせたひとつの黒い塊の姿が絶壁を一歩一歩登っていく。それは古代日本で恐らく見られたかもしれない忍者の姿であった。まるでヤモリがスルスルと垂直壁を登るかのよう姿、クモが平気で壁面を登るかのごとき姿がそこにあった。

林田は、右手に移動し、また、左手に動き、彼女の姿を注意深くビデオカメラで追い続けた。また、壁面にぴったりと体をくっ付けて、真下から真上にカメラを向けた。林田の一挙手一投足を見ながら、日本人の神経の細やかさと技術の確かさに、私は称賛の声を挙げざるを得なかった。

頂上の方からは、勝俣と中野が、望遠レンズですでにベティの動きを捉え、下からとは全く違う映像を取り始めているに違いない。後で訊いた話であるが、チャーターヘリで頂上台地に達して、頂上からベティ-の姿を撮影しなければならない勝俣と中野は、エンジェルフォールの真上に陣取ったのではなく、かなり南側の方、一キロメートルか二キロメートルか分からないが、南に寄った崖の方から撮影したということである。エンジェルフォールの最初の水塊の流出点と、勝俣と中野が陣取った頂上台地からの撮影地点は、切り立った崖が大きく湾入して弧を描く形となっているため、下から登攀してくるベティを望遠レンズで正確に捉える事が出来たのである。もし、エンジェルフォールの真上に、二人が位置すれば、身を乗り出すことが難しい地形であったため、垂直に切り立った壁面をカメラでとらえることができず、従って、ベティが頂上に向かって登攀してくる姿を撮影することが不可能であったという。

彼女の登攀スピードはそれほど速いとも思わなかったが、遅くもなかった。着実に上へ上へと登っていく。10分あまり経ったころ、彼女の姿は200メートルほど登ったところにあった。その後も順調に垂直に切り立ったエンジェルフォールを登っていく彼女の姿を追いながら、ふと、素朴な疑問が襲った。彼女は本当に落ちてこない。どうしてだ。吸着マシンに変身しているからだと理性は納得していても、人間が絶壁を登っていくこと自体考えられないという根源的な疑問が脳細胞に噴出し始める。落ちてくるのが当然じゃないのかと思っても、落ちない彼女の姿を撮影し続けている自分が不思議に思えてくる。彼女は今、人間ではない。蛭のように凄まじい吸着力で壁面に吸いついているのだ。彼女のすぐ隣には、巨大な瀑布が轟音を響かせながら、真っ逆さまに落ちていく地獄の様相があることを、ベティ自身が誰よりも感じているはずである。一体、人間の持つ恐怖心というものは、ベティの心のどこにあるのだ。

距離を正確に測ることは難しかったが、ベティの姿が、次第に遠くなり、およそ半分の500メートルのところに登攀していると思われたとき、登り始めてから33分がすでに過ぎていた。今や、彼女の姿は非常に小さく感じられた。頂上の勝俣と中野はうまく彼女の姿をカメラに収めてくれているであろうか。世界が驚愕するであろう歴史的な撮影に渾身の思いを込めて、私は今、没入しているところなのだという思いが走ったとき、身震いするような感動と興奮が私の心の中に広がった。

ついに彼女の姿は、一つの小さな黒い点のようになった。約1時間を超えたころ、ベティの完全登攀は時間の問題となり、あと何分もしないところで歴史的な達成の瞬間が訪れるであろう。そういうところまできてしまったのだ。「すごい」という言葉も、「すばらしい」という言葉も、月並みに過ぎ、称える言葉を見つけることが難しかった。

勝俣と中野は、ベティの登攀が開始から20分に差し掛かるころまで一緒に撮影を行っていたが、登攀成功の瞬間を撮るために、途中で、勝俣はエンジェルフォールの真上に移動し、ベティが姿を現すまさにその歴史的瞬間をカメラに収めるべく待機状態に入ったことを、後に勝俣は私に語った。勝俣と中野はそれぞれの撮影の役割分担で別れたのだ。きわめて賢明な判断であった。

壁面に見出されていた黒い影はエンジェルフォールの壁面から消えた。真下の方から記録を撮り続けていた林田と私の視界から、完全にベティは姿を消した。ついに、彼女は頂上に立ったのだ。アウヤンテプイの頂上が彼女を迎えたのである。

エンジェルフォールの真上で待ち構えていた勝俣の眼前に、ベティは勝利の笑みを満面に浮かべてその黒装束の忍者姿を現し、歴史的な登攀をついに成就したのである。美しいブロンドの髪が、アウヤンテプイを吹き抜ける風に靡いた。その姿を無我夢中に勝俣は撮影した。登攀を開始してからちょうど72分、エンジェルフォールの979メートルの絶壁は、一人のアメリカ人女性によって登攀された。彼女の名前は、ベティ・ベッカーマン。

その一部始終を撮影した記録班は、一人のアメリカ人と3人の日本人。ベティ・ベッカーマンという恐るべき女性を中心として、不思議な運命の糸で繋がった同一イニシアルを持つ五人の出会いが、アウヤンテプイの奇跡的な出来事を成し遂げ、疑いの余地なく完璧な記録を残して、世界を驚愕させることとなった。


この、ベティ・ベッカーマンによるエンジェルフォールの登攀達成のニュースは、たちまち、世界を駆け巡り、四人のカメラマンたちのこの上もない記録映像が、如何なるフェイクもない真実の驚異的な出来事であるという証しと共に、世界に発信されたのであった。

私、ベニー・ベンソンはベティ・ベッカーマンの随伴者として、歴史的瞬間に立ち会った証人として、その時の様子を語ってほしいと、メディアの引っ張りだこになり、大小のテレビ番組に駆り出された。そのようなメディアの報道合戦は、3カ月ほど、ホットな状態で続き、約半年間は、ベティも私も、テレビ、ラジオは勿論、主要雑誌のインタビュー記事の格好のえさとなり、時の人となったのである。

私は、同一イニシアルの持つ不思議な力については、一切語らなかった。それは、私自身が胸の内に密かに隠し持っているだけでいいと思った。幸いにも、メディアの関心は、ベティ・ベッカーマンが習得した東洋の武道、武術、忍術などの世界へと比重を移していった。特に、ベティが、日本の飛騨山中で学んだという古忍法の秘術、蛭のように吸い付く吸着能力の秘伝を、わずかベティを含め3人にしか伝えていないという仙人について、非常な関心を示した。その人に会うためにはどうしたらよいか、快く会ってくれるのか、雲隠れして簡単に姿を現さない人なのか、こまごましたことを尋ねてきた。

その仙人は、彼のことを絶対に世の中に口外しないという約束で、ベティに秘術を伝授したので、ベティは仙人の居場所を語らなかった。現在、連絡を取っていないから、どこにいるか分からないとはぐらかした。

メディアの騒ぎが収まったころ、あの歴史的登頂から7か月のちに、わたしとベティは結婚式を挙げた。ベティ・ベッカーマンはベティ・ベンソンとなった。同一イニシアルの二人、B.B夫婦となってこれからどういう人生が待ち受けているのか分からないが、多分、二人は、刺激的な人生を送るのだろうとワクワクするものを感じていることを読者に報告して、ペンを置くことにしたい。

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