UK ROCK「スティング」を語る
親愛なるスティング
「ポリス」という個性的で魅力的なロック・バンドをご記憶の方、あるいは熱烈なファンであるという方もさぞ多いことだろう。「ポリス」ファンであれば、そのリード・シンガーを務めたゴードン・サムナー、すなわち、「スティング」を知らない人はいない。
ぼくは、ポリスの大ファンであったので、ソロ活動に入った「スティング」(Sting)を相変わらずのファンの目で追いかけていったのは、当然の成り行きであった。
教師をやっていたという経歴の持ち主だけあって、スティングの放つ雰囲気は、どことなく知識人の憂鬱といった印象がつきまとう。何とも言えない大人の香りと言えば言えないこともないが、ぼくは彼の印象を、霧のロンドンをひとり物思いにふけりながら人生の意味を探し求めて歩いている哲学的な男であると形容することにしたい。
理性の検証に堪え得る人生の意味と価値を求めつつ、音楽を哲学する男、それがまさにスティングなのである。「ポリス」時代に見せた名曲「シンクロニシティ」のような執拗なリズムとビートの嵐も、裏を返せば、北欧的憂欝または理性の足踏みを打破せんとする対抗措置であったとも受け取れよう。
決して開放的になることのない、自己内省の谷間に落ち込んでいく北欧的な心象風景が、彼の音楽世界を理解する鍵となる。そう思っている。
スティングの音楽は、理性という生き物をそっと撫でて通る心地よい風である。それは時として、強風となって荒れ狂うこともある。矛盾に満ちた人間社会の諸相を鋭くとらえるスティングの感性は、社会小説家の持つ感性である。
そういう彼は、単純なラブ・ソングなど決して歌わない。気難しいインテリの人生観察が、滔々と書き綴られているのが、彼の詩の特徴である。
彼の音楽をジッと聴き入ると、ハートを突き動かす何ものかを感じることができるのであるが、それ以上に、理性に訴えかけてくる。人生の意味を一緒に考えてほしいと言わんばかりのメッセージを含んだ呼びかけがアルバム全体をおおっている。どちらかと言えば、あまり楽天的ではない、物を考える層の人々に彼の音楽が受けている理由が肯ける。
そういう観点から言えば、彼の音楽哲学は現状肯定の論理ではなく、理想を追求するがゆえの現状否定の論理に貫かれている。
純粋な芸術、魂の喜びとしての芸術として音楽を見るならば、体制の音楽とか反体制の音楽というものは存在しない。音楽に体制も反体制もないはずである。
音楽の一般原則論から言えば、その通りなのであるが、現実のロックシーンを冷静に観察すれば分かるように、既成の社会矛盾を厳しく糾弾するメッセージ・ソングが数多く歌われている。
そういう歌が歌われなければならないということ自体、悲しいことであるが、歌わずにはおれないミュージシャンたちの理想追求の願望を理解することも必要なのである。
スティングのややきつく厳しい表情は、人間社会を洞察し、そして少しでもよりよい変革を遂げられればと願う預言者のまたは改革者の顔である。反骨のヒーローとまではいかないが、それに近いものを感じさせる。
アルバム「ブルー・タートルの夢」(Dream of the Blue Turtles)と「ナッシング・ライク・ザ・サン」(Nothing Like The Sun Tokyo Tour )を、ぼくはこよなく愛し、こよなく聴き入ってきたが、一つの曲をシングルで限定して聴くよりも、アルバムをトータルに聴き込む方が、スティングを正しく理解することができるであろう。
これらの二つのアルバムは、ジャズ系ミュージシャンの、しかも一流の人々の大量参加のもとに作られているので、音自体の構成と冴え渡った演奏そのものが一つの聴き所となっている大人のアルバムと言える。ジャズを愛好する人々はスティング・ファンにもなりやすいのではないかと思う。
印象的な歌を、二、三ひろってみよう。愛がどれほど重要なファクターであるかを、レゲエ調のリズムに乗せて歌った「ラブ・イズ・ザ・セブンス・ウェイブ」(Love Is The Seventh Wave)の歌詞は、意味深長で興味深い。「ポリス」(Police)時代のスティングの歌は、まるでレゲエの全集みたいな感じであったが、この歌もそうである。
ソ連(冷戦時代)もアメリカも、その中に大国のエゴイズムを隠し持って、歪んだ世界支配を夢見るようになればおしまいである。
左右の両大国の横柄な振る舞いをチクリと刺して、どこの国だろうと子供たちを愛するその愛を持っているではないか、その愛さえあれば、世界はもっとよくなるはずだと歌う「ラシアンズ」(Russians)は、左右を等距離に見つめて、一つの愛の理想を提示したものだと思う。インテリの持つ均衡感覚と言えようか。ロシア的な哀愁を漂わせた曲調の美しいロック・バラ-ドである。
高鳴る心臓の鼓動を抑えて、冷静な判断のもと、人生を確かな足取りで歩むよう、自身に語りかけ、内面の嵐を鎮めていく「ビー・スティル・マイ・ビーティング・ハート」(Be Still My Beating Heart)などは、人間の持つ心象のわずかなひとこまに過ぎないが、それを音として表現し得る才能は見上げたものである。まさに、名曲だ。
「孤独なダンス」(They Dance Alone)は、チリの軍事独裁政権下の惨事を抗議した歌であるが、悲惨な出来事を、哀しいほどに美しいメロディーで奏でると、その悲惨さはより一層過酷なイメージを増し加えるという効果を放つものである。こういう曲を作ると、チリには入国し辛いであろう。
ノアの洪水の時のイメージと巧みにダブらせながら、人生をしっかりと生き抜く叡智を語る、パラドックスに満ちた説法を展開する「ロック・ステディ」(Rock Steady)も聴きごたえのある曲である。曲調は、ジャズそのものだ。
いずれにしても、スティングの音楽は、一つ一つの曲に味わい深さがあり、聴けば聴くほど、その何とも言えない音の世界に嵌り込んでしまうという、噛めば噛むほど味がある「スルメ」のような音楽である。
理性の美学に彩られた、人生探求のロックを奏でるスティング、ぼくはあなたの思索の足取りを辿りつつ、また一つの人生の意味を探し求めているところである。
ぼくを絶えず人生の意味へと駆り立てていく、スティングよ、深甚なる感謝をここに表することにする。