ムダボス会議 その3
いよいよ、日本の野島太郎財務大臣が演壇に立つ番となった。彼はこう切り出した。
「尊敬する各国代表の指導者の皆様、と言うよりは、大いに警戒を要する世界の強欲な指導者の皆様!
皆様の演説を聞いて、私は日本の財務大臣として、怒り心頭に達しています。皆様がこれほどまでに本音をぶつけ合い、相手をやっつける毒舌合戦を展開している様子を見て、私も決心いたしました。大いに決心いたしました。すなわち、皆様と同じような毒舌を吐いてみたくなったのであります。
まず、申し上げますが、皆様の心の中には、日本という国がちっとも存在していないのではないかということです。もう日本の時代は終わった。日本は坂を転げ落ちていくように衰え、歴史から忘れ去られる国となっていくであろう。そんなことを考えておられるように見えます。
日本を相手にしている時間はない。勝手に生きていってくれ。どうせ、斜陽の国として、何の魅力もない、いかなる商機も見出せない悲しい国になるしかない運命、それが日本なのだ、そんなことを思っていませんか。
失われた10年、いや、20年どころか、この先30年、40年と這い上がれないであろう。そんなことを考えているような皆様の態度が、私には見え見えですし、実に、不愉快で気に食わないのであります。
しかし、私はここに宣言いたします。日本は衰えるどころか、さらに隆々たる国運を今後、巻き起こし、世界を二度、あっと言わせるであろうということです。
アメリカ、中国、ロシア、EU、ブラジル、インド、その他のいかなる国も想像もしなかったような不滅の繁栄を取り戻し、フェニックスのように蘇るであろうということをここに宣言いたします。
日本には、アマテラスオオミカミがついています。これは天空をあまねく照らす太陽神であり、日本の国旗がまさにこの神の姿そのものであります。
太陽の輝きこそが、わが日本の永遠の姿であり、決して、暗闇に転がり落ちることのない輝きが、我が国を守り続けているのであります。太陽の光が万物をはぐくむように、わが日本は、民族の持つ類稀なる創造性と英知を結集し、世界がうらやむ最先端の「ものづくり」国家を走り続け、世界に素晴らしい快適な生活文化の粋を提供するのであります。
このようなことを申し上げたからと言って、すぐ皆様は、またもや日本民族主義の復活か、第二次世界大戦の悪夢が甦る、などとお思いにならないでいただきたい。
アマテラスオオミカミはイスラエル民族のエホバみたいなものであり、イスラムのアッラーのようなものであると考えていただきたい。
もちろん、厳密に言えば、エホバもアッラーも天地創造の唯一絶対神でありますから、その辺はどうなのだという議論もあるでしょうが、皆様もご存じの通り、日本には確か800万の神がいたのではなかったか、神がうようよいる多神教の国ではなかったのかと言われれば、私もそれを一概に否定することができないのはよく分かっております。
しかし、議論がそこまで行けば、日本にも、「アメノミナカヌシノカミ」という神様がちゃんと『古事記』の中におられて、これが、欧米やアラブ圏の一神教の創造神に匹敵するであろうということを付け加えておきたいと思います。
ここで、言っておきたいのでありますが、絶対神、唯一神同士が譲り合うことなく衝突する宗教戦争のような愚は、日本人の宗教感覚からは、決して起きないということです。
神道も儒教も仏教もキリスト教もみんな仲良く共存して平和な世界を作りましょう、という精神が日本にはあると言うことです。これを真面目な信仰心を失った「だらしない妥協精神」と見るか、お互いに相手を認め合う「賢明な協調精神」と見るかは、皆様のお考えにお任せすることに致します。
さて、どなたかがおっしゃいましたように、パックス・ローマーナ、パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナ、それぞれが永遠の繁栄を享受することなく、繁栄の終焉を味わう歴史法則に打ち勝つことはできなかったということは大いに認めるところであります。
しかし、これからの21世紀、それに代わる形で、中国、その他の国が世界に対して一国覇権主義的な繁栄を築くことができるのかと言えば、それも不可能です。
世界は、最早、イギリスやアメリカがかつて味わったような一国主義的な繁栄とリーダーシップを許さない時代に突入しており、皆様が、ここでしきりに主張されたような「我が国が世界の覇権を云々・・・」という類の演説はすべて無意味であります。
皆様は、時代錯誤も甚だしい化石のような理念に酔いしれておられます。私に言わせれば、皆様のスピーチはすべて妄言の類であり、妄想の域を出ません。もっと厳しく言えば、糞尿の類、まったくのガラクタであり、クソであります。
米国の衰退を境に、世界の一極覇権主導型の構造は崩れました。明らかに、多極的な連体へと世界は変化しつつあることを認めないわけにはいかないでありましょう。
それゆえにこそ、皆様の主張である「我が国の覇権云々の願望」とは正反対の、どの国の代表者も述べることのなかった「国際協調を中心とする真のグローバリズム」の重要性を敢えてここに日本国を代表して表明するものであります。
わが日本は、国際協調の世界を作り出すためのリーダーシップを力強く取っていく所存であります。日本は、皆様のスピーチにあったような覇権を求めることなく、平和建設の王道を行く不動の決意を固めているのであります。
アメリカがたどり、そして今また中国がたどろうとしている経済力を背景にした軍事覇権などという道を、戦後の日本は捨て去ったのであり、人類の共栄共存を目指す平和貢献の道に徹するがゆえに、世界の歴史は、却って、日本を高く評価し、称賛せざるを得なくなるでしょう。後世の歴史家たちが絶賛するであろう道をわが日本は行くのであります。
従って、ここダボスで、皆様が、現在の覇権の保持、あるいは未来の覇権の獲得を高らかに主張し合っている状況は、まさに歴史に逆行する愚行であると言えるでしょう。
皆様の顔には、何を観念的で非現実的な寝ぼけたことを、日本の財相はぬかしておるのだという思いがはっきりと表れていますが、21世紀という時代は大変革、大転換の時代であり、これまでの歴史の常識が通用しなくなるかもしれないほどの変化に見舞われる世紀となるでしょう。
私は決して預言者ではありませんが、人類の進歩と叡智を信じるものであります。覇権に生きる者は、覇権で滅びるでしょう。ローマ帝国も永遠には続きませんでした。大英帝国もそうです。フランスのナポレオンもドイツのヒットラーもソ連のスターリンも戦前の日本も、覇権の道を歩んで行きましたが、その結末は例外なく破局に見舞われました。
戦後は、アメリカがそういう道を歩んできたのであり、さらに、何を勘違いしているのか、中国までもが中華思想に基づいて、軍事覇権の道を歩もうとしていることは世界の知るところであります。
本当に世界平和というものを考えるのであれば、これからは、潔く人類は覇権の道を捨てるべきです。結局、王道に生きる者こそが、王道によって栄えることになるでしょう。これを私は宇宙の法則と見るのであります。これから先において、徹頭徹尾、日本は、仁愛の道、慈悲の道、平和と愛の王道を歩んでまいります。
このダボスで、ムダな演説をされました世界各国のボスの皆様は、悉く「ムダボス」であり、ひとりわたくしのみが「ドウダボス」と言える存在であることは最早、一片の疑いも差し挟む余地がありません。
『どうだ、みてくれ、このボスを』という気概と自負によって、私は語っているのであります。この自画自賛をアマテラスオオミカミもお許し下さることでしょう。」
野島財相が、ここまで話した時に、このたびのダボスの会議に疑問を抱き、もうひとつ納得のいかなかった良識ある各国のトップ指導者たちが、会場のあちこちで、拍手喝采を送った。
「日本を自画自賛し過ぎたきらいはあるが、ほかの国のスピーチよりはずっと増しだ。覇権主義を徹頭徹尾、排撃したのはいい。もう一声ほしかったな。これからは、サッカーで世界の平和を作ろうと叫んでくれればもっとよかったんだが。」
拍手を送りながら、こう独り言を呟いたのは、スペインの財相であるホセ・サントス氏であった。2010年のワールド・カップで悲願の優勝を果たしたスペイン・チームの興奮と余韻が、いまだ冷めやらないのか、「スポーツを通しての世界平和を!」という思いに取りつかれているようであった。
席に戻った野島太郎財務大臣の手をしっかりと握って、ニコニコした顔で、満足げに日ノ原義弘首相は野島財相にこう言った。
「いやあ、良かったね。覇権主義を封殺し、これから行くべき日本の王道主義を表明したのは良かった。王道、これすなわち、仁愛の道、平和の道ということだ。実に結構なスピーチであった。『ドウダボス』というジョークもなかなか良かった。」
「ありがとうございます。わたしもこれで少しばかりすっきりしました。」
そこに白山幸男日銀総裁が割り込んできて言った。
「なかなか、すごいスピーチでしたね。わたしには、ああいうスピーチはとてもできません。私は、もっぱら、日米協調路線という枠の中ですべてを考えてきておりましたから、アメリカの力を相対化して物を言うということが発想としてもありませんからね。野島大臣のスピーチには本当に驚かされました。」
「私もああいうスピーチをしようと思って、ダボスに来たわけではありませんでしたが、あまりにも各国の首脳が国家エゴむき出しの演説をぶっているのを見て、日ノ原首相と相談した結果、持参した原稿をボツにして、即座のスピーチで臨んだという次第です。
アメリカの力を相対化して演説したのは事実ですが、それ以上に、ポスト・アメリカの覇権争いが露骨に始まったという今回の会議の悪い雰囲気を読んでスピーチをしたわけでして、アメリカ云々より、ロシアや中国の野心の方がもっと我慢ならなかったというのが、私の本音と言えば本音ですよ。」
白山日銀総裁の言葉に、こう答えた野島財相であったが、いずれにせよ、経済力をバックにした軍事覇権で世界帝国に突き進むような発想は断じて許されない、というのが野島財相の気持であった。