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山形抒情旅行 その3

最上川下りを楽しんだ後は、ちょうど、いい塩梅にお腹のほうも空いてきたので、予約を取っておいた名シェフが経営するイタリアンレストランへと車を走らせた。そのレストランの名前を「アル・ケッチャーノ」と言う。アル・パチーノではない。アル・ケッチャーノである。名前の響きからして何か深い意味をもったイタリア語であろうか。いかにもイタリア語と言う感じがにじみ出ている。しかし、騙されてはいけない。これは純然たる庄内地方の方言である。

このいたずら心いっぱいのレストランはその味に於いて、天下逸品である。予約なしに突然訪れても生憎、席はないであろう。食材にこだわって、取り揃えた上級の素材でメニューの料理を作り上げるので、その意味では、美味しいからと言って、突然、来てもらっても困るのである。お店の側の入念な準備がお客の満足感に繋がっていることを知らなければならない。

徹底した味へのこだわりは、その極上の味を求めるお客への徹底した真心のもてなしをするという哲学に立脚しているゆえ、何時にどういう人が何人来るという心積もりで料理に取り組む必然性を生む。ゆえに、アドリブでこの「アル・ケッチャーノ」に飛び込むことはほぼ不可能である。要するに、美味しいのである。余りにも美味しいということである。B級グルメ感覚でこのイタリアンレストランに立ち寄ることはできない。

アル・ケッチャーノの昼食は、完璧であった。出される一品一品が口の中でとろけた。味へのこだわりは中途半端でなかった。一つの芸術作品としての料理たちであった。どのテーブルに座っているお客の顔を見ても幸福感に満ちていた。もうこの料理を食べたからにはいつ死んでもいいという満足感が漂っていた(少し大げさか)。

私は神奈川県に住んでいて、東京に働く場所を持っているが、首都圏には名だたるシェフたちが有名店でそれぞれ腕を揮って、美味しいお店があちこちいっぱいある。しかし、庄内の一角にたたずむイタリアンレストランは首都圏の一流レストランに引けを取らないどころか、それを超えている可能性すらある。なぜなら、新鮮な食材が地元から供給され、鳥海山、月山などの山の恵み、庄内平野の恵み、最上川の恵み、日本海の恵みなど、恵みをいっぱいに吸い込んだ恵みだらけの料理が出来上がるという最大利点を持っているからである。

シェフは長年の研究と経験そして勘などから、食材の持つ美味を最大限に引き出す秘術を心得ている。出されたパンなども普通のパンだと思ってはならない。頬張るや否や、その味覚は絶対美味を誇る「うまい」を超えた「まいう」の世界である。すべての作品が究極の料理作品として振舞われる。おそるべし、アル・ケッチャーノ。

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