作家たちの愛の心 その2
キャサリン・マンスフィールド:園遊会
ニュージーランドの短編小説家キャサリン・マンスフィール(1888-1923)という女流作家をご存知の方も多いことと思う。
彼女の作品の中に「ガーデン・パーティー(園遊会)」というのがあるが、その作品の中で、シェリダン家がガーデン・パーティーを開くことになり、その準備の様子が生き生きと細やかに描かれた名作である。
作品は、ガーデン・パーティーの準備のため、庭の手入れ、食事、楽団、お花の飾りつけなどの準備で大騒ぎの様子が、シェリダン夫人とその娘たち三人、それに一人の息子、および召使などの姿を通して描かれているが、そこにひとつの事件が起きる。
お菓子のクリームパフ(シュークリームのようなもの)を届けに来た店の男が、スコットという男の死を知らせた。
何とそのスコットという男は、シェリダン家のすぐ近くに住んでいる人であった。道路機関車に驚いて荷馬車を引いていた馬が暴れ出し、荷馬車から投げ出されたスコットは頭を強く打って、今朝、即死したという。
華やかな園遊会開催の準備中、すぐ近所の家に大変な不幸が起きた。この状況の中で浮かれた園遊会など開くことができるのか。
三人の娘の中の一人、感受性の強いローラは激しく悩み、自問を重ね、妹のジョーズにガーデン・パーティーを止めるべきだと言う。答えは、そんなことはできないはずというものであった。
今度は母のところへ行って、園遊会を開くことはできないでしょうと説きつけようとするが、母の態度もジョーズと同じであった。結局、パーティーは予定通り開催された。
上流階級の紳士淑女たちが集い、美味しいものを食べ、楽団の演奏を楽しみ、団欒するパーティーのすぐ近所では、今朝、事故死した男の遺体が運びこまれ、家族や近隣の人々が悲しみに暮れている、この対照的な情景を、マンスフィールドは描いたのである。
キャサリン・マンスフィールドは、ニュージーランドのウェリントンの裕福な家庭に生まれた。父方の祖父はニュージーランドの国会議員、父親は銀行家、母親も名家の出であった。
十五歳(1903年)のとき、ロンドンに渡り、クイーンズ・カレッジで学び、一時、ニュージーランドに戻るが、再び、ロンドンに帰り、1923年、短い生涯を終えるまで、ロンドンを中心に作家生活を送った。
「ガーデン・パーティー」に登場するローラはキャサリンの人生と内面を映し出しているものとして読まれてきた。そうすると、キャサリンは他人の不幸に対して思いやりがあり、同情心が強く働く女性であったということになる。
近所の男の今朝方の死を前に悲しむ人々がすぐ隣にいるという状況で、ハッピーな気分に浸り、浮かれる園遊会など開催することはできないという強い倫理感覚に動かされるローラは、作家キャサリン・マンスフィールド自身の姿でもあった。
可哀想に、死んだスコットの後に残されたのは細君と幼い子供5人であった。シェリダン家のような優雅な階級ではなく、労働者階級の貧しさを背負ったスコットの一家であった。
一方に園遊会を開く家族、もう一方に夫を亡くし悲嘆にくれる妻と5人の子供の家族、このような二つの家族が御近所同士というコントラストによって、マンスフィールドの「ガーデン・パーティー」は作品に一定の緊張感を与えている。
その張り詰めた雰囲気を高めているのが、園遊会を開く側の家族である長女ローラの園遊会中止の要請である。
作品の結末を見ますと、夕暮れ時の園遊会終了の寛ぎの中で、シェリダン夫人が言い出したことは、パーティーの残りのサンドウィッチやケーキを大きなボールに盛って、不幸のあった御近所に届けるようにというローラへの催促だった。
シェリダン夫人は非人情で園遊会を断行したとも言えない優しい態度を示し、ローラはそのボールを持ってお隣を訪ねる。日頃から全く付き合いのなかった近所の家に勇気を奮って足を踏み入れるローラの姿が描かれている。
英国の階級意識、すなわち、上流階級と中流階級そして労働者階級の三階級は、普段は滅多に交流することはなく、言葉のアクセントや服装も違い、読む新聞なども違う。
「ガーデン・パーティー」の中の二つの家庭は異なる階級であり、英国的常識から言えば、ローラの騒ぎ立ては無視されても仕方のないこととして片付けられるところである。ジョーズやシェリダン夫人の態度にそれが表れている。
しかし、園遊会の御馳走を盛ったボールを、亡くなったスコットの家庭に運ぶ最後の部分が、人類は一つの家族であるという理想の世界への一条の光のようであり、そのことを願う作家マンスフィールドの良心の輝きが、階級意識を超えて、不幸のあった家に御馳走を運ぶ姿を描かせたのかもしれない。
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