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アーカイブスの怪 その3

ウサギが二度に亘って、脈絡もなく、突如テレビ画面に登場するという失態(おそらく失態であろう)をやらかした特別番組は、もちろん、視聴者の前にお届けできる類のものではなかったのは明らかであるが、それでも、お構いなく一応、45分番組として、取り終えているのが何とも不可思議であり、司会者が、何食わぬ顔で、番組を進行させている姿も納得がいかないものであった。

番組の続きを見てみよう。富士原康辰が勝田友吉のごちゃごちゃ発言をバッサリと切り、なおかつ、勝田の政治家資質問題にまで言及したのちに、こう言った。

「だいたいだね、番組を撮る前に、打ち合わせというものがあっていいはずだが、今回は、ぶっつけ本番でお願いしますなどと言われ、事前打ち合わせもなく、突如、カメラを回すから、こんなことが起きるんだ。番組に、ウサギが準備されているなんて、こっちは全然知らんよ。ウサギ登場の不意打ちを食らわせて、驚かせる算段でもあったのかね。

一体、何のためにウサギなんか持ちこんだんだ。しかも、三匹もいるじゃないか。三匹必要なわけを教えてくれ。番組にウサギなんか必要じゃないと思うが、必要があっても一匹で十分だろう。」

気持ちが収まらないのか、ウサギ登場の疑問点をぶつけまくった富士原康辰であった。

「富士原さんの疑問は分からないでもないですが、番組の方を進めてまいりたいと思いますので、司会者のほうに是非ともご協力をお願いします。

卯年を占うという本題に、富士原さんは何を一番お感じになっていらっしゃるか聞かせて下さい。」

「どうも、ウサギのことで頭の中に邪魔が入ったようで、考えも何も浮かばんよ。それでも、卯年のことで何か言えというので言うんだが、さっき、綾川さんの知り合いが飼っているウサギがイグサを食べるとか何とか言っていたな。あれは、食べちゃいかんのかね。」

ほとんど、脈絡のない話を、司会者の努力も無視するかのように持ち出し、ウサギとイグサの関係性を問い詰めるような質問をぶっ放した。要するに、ウサギは何を食べるのか、或いは、何を食べてはいけないのか、といったどうでもよい話題の方へわざわざ誘導する質問 であった。

「富士原さんのおっしゃるウサギの食べ物は、ひとまず横に置いて下さい。卯年を占うという本題でお願いします。よろしくご協力下さい。」

「司会の青木君も苦労するな。ウサギがのこのこ出てきたばっかりに、話がまとまらなくなったではないか。ぼくだけじゃない。出演者のみんなが、卯年がどうのこうのではなく、生き物のウサギがどうだとかこうだとかになっちゃったではないか。まあ、卯年はだね、誰かも言っていたけど、変化、変動に見舞われるというのは当たっていると思うな。どうもそういう傾向がある。ぼくの人生もだな、変化に満ちておった。大学を卒業して、サラリーマンになったが、三年で辞めた。上司と喧嘩してクビだ。よし、小説家にでもなってやれと思って、小説を書いてみたが、出版社の方から、これでは売れませんとか何とか言われて、諦めた。どうも、物書きといった柄ではなかったようだね。」

「ほう、富士原さん、小説をお書きになっていらしたことがあるんですか。これは、これは、私も似たようなことがありまして、20代の終わりごろ、一生懸命、そんなものを書いておりました。」

富士原康辰の話の途中に、須図木自動車の丸山社長が、割り込んできた。親近感を覚えたらしい。そして、こう訊ねた。

「ちなみに、どういう小説をお書きになっていらしたんですか。時代ものですか、現代ものですか。探偵小説のようなものですか。」

「いや、冒険小説と言った方がいいかな。『竜太が行く』というタイトルで、主人公の竜太が世界中を旅して回るのだが、いろいろな国で面倒事に巻き込まれて、大いに冒険をしながら活躍するというものだ。これがどういうわけか、ちっとも出版社の方では面白く感じられなかったらしい。」

「冒険小説とは、また、お気持が若いですね。富士原さんは少年のような気持ちをお持ちなんですね。政財界をばったばったと斬りまくる先生のイメージからはちょっと想像できませんでした。意外と純情無垢というか、少年の心を失っていないところがあったとは、恐れ入りました。」

「丸山さん、言っておくが、わしは濁ってはおらん。至って純情だ。今でも少年の心だよ。卯年は純情なのかもしれん。丸山さん、あんたも結構、純情なんじゃないの。」

「いやあ、そういわれると、そうかなとも・・・。実は、私が書いていた小説は、童話なんですよ。小川未明に憧れておりまして、二十数編の童話を書きました。」

「ほれ、やっぱり、言ったとおりだね。わしと同じ、純情派だ。心がきれいということだ。これで決まりだ。卯年は純情だということだ。」

富士原康辰と丸山益男の二人は、勝手に、どんどん小説の話で盛り上がり、しかも、二人の小説の内容から、卯年は純情だという結論めいたものが富士原康辰によって導き出される始末であった。

「ご両人に申し上げますが、是非とも、本年度の卯年を占うというテーマに近付けていただきたいのですが、今のお二人の話は、卯年の性格論のようなものですね。」

司会が、本題に基づいた話をしてほしいと願っているような空気がありありと感じられたのだが、困ったことに、ここでまた、もうひとりが卯年の性格論に加わってきた。

「あたしって、友達に、よく言われるんですけれど、そのお、今お二人が話しておられた純情という、その同じ言葉を、あたしもよく言われました。」

綾川香が、自分もよく純情と言われてきたという事実を持ち出し、性格論議に拍車をかける雰囲気が広がりそうになった。そこで、慌てて、司会の青木が性格論議を遮った。

「どうぞ、皆さん、この番組の趣旨にお戻り願います。本年度の卯年を占っていただきたいと思います。勝田さん、今年の政治はどう動くのでしょうか、その辺はいかがですか。」

「卯年で、私が心に刻んでいることがあります。政治家として、心していることでありますが、私の性格的なことで言えば、さっきも申しましたように、結構、奉仕的であり、私の政治信条が国民奉仕でありますから、卯年は平和的であってもよろしいと考えるのでありますが、実際の歴史をみますと、卯年は、激動する要素を持っております。たとえば、1939年の卯年でありますが、この年、ヒットラーがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まりました。また、1903年の卯年は、満州で、日本とロシアの利害衝突が高まり、対立が決定的な状況となって、翌1904年、日露開戦へと踏み込んでいくことになりました。

今年がどういう年になるか、簡単に予測することなどできませんが、日米関係が貿易摩擦でギクシャクする昨今の状況から考えますと、何か、アメリカからの大きなしっぺ返しがあるような気がしますが、どういう年になるのでしょうか。」

やっと、まともな、それらしい話をしてくれた勝田議員であったが、この番組収録が、どうやら1987年のことであったらしいと推測されるので、この勝田議員の心配は当たっていたと言える。1987年の10月2日に、ニューヨーク株式市場が大暴落し、世界同時株安が起きたからである。いわゆる、ブラックマンデーと呼ばれる出来事である。

「私は、自動車業界でやってきておりますが、今、勝田さんがおっしゃった心配はあると思います。2年前にプラザ合意がありまして、一気に円高ドル安の経済体制ができたにもかかわらず、日本の輸出攻勢は衰えません。アメリカのイライラは相当なものでしょう。アメリカとの貿易で大いに潤ってきたわが日本としましては、いろいろありましても、世界の基軸通貨である米ドル体制を支えるのは日本の役割であるというのが私の考えであります。やはり、ギブアンドテイクの互恵法則を尊重せねばなりません。」

「まあ、日米経済は基本中の基本だから、これにひびが入るようなことがあってはならん。レーガン政権も大幅減税政策でレーガノミックスを実行しておるところだが、効果がどう出てくるかだな。しかしだね、プラザ合意以来の強い円でアメリカを買い漁るような傲慢なやり方は慎んでもらいたいな。アメリカ人のプライドを傷つけるようなやり方はいかん。アメリカという国は怒ったら何をするか分からん怖い国だよ。それをよく知っておかなきゃ、とんでもない失敗をすることになる。」

「勝田さんの発言に続いて、丸山さん、富士原さんとお話が繋がってきておりますが、やはり日米関係が今年を占う大きな中心テーマとなるのでしょうか。」

このように、司会の青木が語りかけたところで、ああ、またしても、ウサギが飛び出してきた。よほど人懐っこいウサギと見え、あるいは、テレビに出たがり屋のウサギと見えて、今度は、富士原康辰の膝にぴょんと跳び乗ったではないか。このウサギをわざと放しているのか、それとも管理ミスでのこのこ飛び出してきているのか、同じことが三度も起きると、何が何だか分からなくなってきた。

ウサギの出現を厳しく諫めていた富士原康辰が、ウサギの姿をおのれの膝の上に認めると、急に態度が変わった。ウサギの背中を撫でながら言った。

「可愛いじゃないか、お前は。ほんとに人に慣れているなあ。これが、どんな番組か知らんが、ウサギが膝の上に飛び込んでくるというのも悪くないな。こんなに可愛くちゃあ、まあ、許せるよ。視聴者よ、この富士原を許せ。しばし、ウサギを可愛がって見たくなったわ。おお、可愛い、可愛い。」

何という変貌ぶり、ウサギの出現と言う『突発性の出来事』にも、まったく抵抗を示さなくなり、反対に、ウサギを撫で撫でして、可愛がり始めるとは!

青木は、必死になって、富士原の脱線を諫め、本線に戻るよう促した。

「富士原さん、ウサギを可愛がっている時ではありません。卯年を占って下さい。さあ、話の本論に戻って下さい。あれほど、ウサギの突発的出現を非難しておられたのは、富士原さん、あなたではありませんか。理性を取り戻して下さい。」

ああ、理性を取り戻せとまで言って富士原康辰の脱線を諫める青木の姿がテレビに映し出されている。それにしても、執拗にウサギの出現に悩まされながら、それをむしろ織り込みのシナリオでもあるかのように悠然と番組を進展させている番組制作者の意図は何か。この番組は一体、何なのか。

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