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マニラ・バニラの不思議 その5【最終回】

マニラ・バニラ現象が、フィリピンに莫大な観光収益をもたらしたことは言うまでもない。日本人の若い女性という女性がマニラを訪れた。日本の男性も数多くフィリピンを訪れるようになった。マニラ・バニラという一つの商品が、日比友好関係を猛烈に促進させる切り札となった。マニラ・バニラのツアーが組まれるようになってからの一年間で、フィリピンの観光収入は総額で二倍に跳ね上がった。大統領もフィリピン政府も、さすがに、ここまでとは予想しなかった。予想をはるかに超える収益であった。

フィデル・ドマゴソ氏から、渡辺に連絡が入った。フィリピン政府の観光開発局で働いてくれている渡辺、ホセ、中野、ジョンの4人をマラカニアン宮殿に招待したいという旨であった。フィデル・ドマゴソ氏の案内で、4人はマラカニアン宮殿に向かった。厳重な警戒も、フィデル氏がことの内容を説明すると、難なく、宮殿内へと入ることが出来た。

ドマゴソ氏を含めた5人は、瀟洒なレセプション・ルームへと案内され、その部屋で大統領が彼らに謁見してくれるのを待つことになった。重厚なテーブルの上には、真っ白いテーブルクロスが敷かれており、その上にナイフ、フォーク、スプーンなどの食器類が並べられていた。

それぞれ、指定された席について、大統領が現れるのを待った。10分ほどして、大統領と国会議長の二人が部屋に入ってきた。敬意を表し、5人は深くお辞儀をした。早速、大統領の方から次のような言葉が掛けられた。

「皆さんにとてもお会いしたかったのですが、今日になってしまったことをお許しください。皆さんが推進してくださいましたマニラ・バニラ観光作戦は、素晴らしい成果を収めています。

フィデル・ドマゴソ氏からこの話があったときには、わたくしは同意し、計画を進めるように申したのですが、これほどの成果が上がるとは正直、思っていませんでした。予想をはるかに超える偉大な業績です。皆さんはフィリピンのために本当によいことをしてくださいました。心から感謝申し上げます。さあ、お掛けになって、食事を楽しんでください。」

大統領は非常に謙虚に、そして、真心を込めて、5人を接待した。実際、このような接待を受けると、渡辺も中野も、身に余る光栄を感じた。次々に運ばれるご馳走をいただきながら、歓談した。ホセがこんなことを言った。

「大統領閣下、私は最初、友人の渡辺がマニラ・バニラは美味しいと言い、マニラ・バニラを観光の目玉にするといったときには、全く信じられませんでした。このような成果を収めた今だから言えますが、当初は心の中ではほとんど真に受けていませんでした。

渡辺の直観力とアイデアと行動力がなければこのプロジェクトは不可能でした。今は、偉大な友人として尊敬していますが。」

大統領は笑いながら、無理もありません、誰だって信じられなかったでしょう、とホセの言葉に肯いた。大統領の横に静かに座ってみんなの話に耳を傾けていた国会議長がおもむろに口を開いた。

「大統領も皆さんに感謝の意を先ほど述べられましたが、私のほうからも重ねて感謝の言葉を述べさせてもらいます。ご承知のとおり、わが国は観光に力を注いでまいりましたが、日本の皆様には、特に、中部のビサヤの島々(セブ島、ボホール島など)が、人気があり、観光客もその辺に集中していたと思います。

このたびのマニラ・バニラのプロジェクトは北部ルソン島のマニラを中心にその周辺部へ日本人観光客を誘致する効果を一気に高め、フィリピンを広く知っていただくこととなり、まことに結構なことと喜んでおります。観光だけでなく、総合的に産業なども発展させていかねばと大統領とも話し合っているところです。

日本からの支援とお力添えが必要なわが国であります。皆様には、これからもいろいろとお世話になるだろうと考えております。」

大統領といい、国会議長といい、いずれも謙虚な姿勢であった。思慮深く、フィリピンの総合的な発展を考えて、大統領を支えながら、フィリピン政府の重鎮として行動する国会議長の姿がそこにあった。

突然、ジョンが口を開き、大胆にも、大統領にひとつの提案を持ち出した。遠慮のないアメリカ人らしい発言であった。

「大統領閣下、マニラ・バニラに続いて、もうひとつのプロジェクトの提案を、わたしはここで大統領に申し上げたいと思います。マニラ・バニラは音響的共鳴作用から来る美味の抽出効果でありました。その点を考えると、もうひとつの商品がフィリピンにはあります。ドリアンです。

ドリアンはこの世で最もおいしい食べ物ですが、残念ながら、その味になじめず、また、強烈なにおいを放つために、食べず嫌いの人なども大勢いて、まだまだポピュラーになっているとは申せません。これを日本人に食べてもらうのです。

ただし、食べる前に一つの掛け声を必要とします。「どりゃ、食べるか、ドリアンを」という言葉です。この言葉は日本人にしか通用しません。それをもっと縮めて「ドリャ、ドリアン」と言う掛け声で食べるのです。美味しいこと、間違いありません。やや、マニラ・バニラには及ばないきらいはありますが、音響的共鳴作用は十分と考えます。」

渡辺と中野は首を傾げたが、大統領は真剣に受け止め、国会議長に、前向きに検討するよう指示を与えた。食事も進み、歓談も大いに盛り上がって楽しい時間が過ぎていった。

大統領は近くの給仕に、一言、声をかけた。わかりましたとばかりに、姿が消えると、すぐ五つの箱を持って再び、入ってきた。それは五人の招待客に対する感謝碑と感謝状であった。一人一人に、大統領は直接、感謝碑と感謝状を渡し、硬く握手した。そして、白い封筒を一人一人に手渡した。その中には小切手が入っていた。大統領は言った。

「これは私とフィリピン国からのほんのささやかなお礼の気持ちです。国会議長と相談して決めました。もちろん、国会議長は閣僚全員に、皆様に対する報奨金を与える旨、伝え同意を得ておりますので、何らやましいものでも、問題になるようなものでもありません。どうぞ、ご心配なくお受け取りください。」

マラカニアン宮殿での大統領の接待は、最大級に真心のこもったものであった。五人は心から感動した。フィリピンに栄光あれ、発展あれ、と心の中で渡辺は叫んだ。

渡辺は、両親が取り結んで準備を進めていた婚姻のために、日本へ一時帰国することになったが、機中、大統領の真心を噛み締めていた。小切手の額は決して小さなものではなく、十分すぎるほどの十分さであった。フィリピン国が示した厚い感謝の表れであった。

ジョンもまた、付き合っていた恋人との結婚式のため、アメリカへの機中にあった。ジョンは、渡辺と友人であることがうれしかった。これからも一緒に仕事をしていきたいと思った。フィリピンも大いに好きになった。大統領が、「ドリャ、ドリアン」のプロジェクトを採用してくれることを祈った。

中野はすでに結婚し、子供が一人いるが、妻と子供をフィリピンに呼び寄せた。マニラの中心街にある高級マンションの31階の眺めのいい部屋を買ったのである。快適そのもののモダンなルームで何もかもが完備していた。

ホセは、父親が住んでいるケソンの中心街にマンションを買った。カリンはまもなく、なかなかできなかった子供をようやくおなかの中に宿し、毎日、マニラ・バニラを一度は食べるという日課を欠かさなかった。

もし、女の子が生まれたら、迷うことなく、「バニラ」と命名することに決めた。その矢先、日本から電話があり、茨城の父親が、女の子が生まれたら、「ツクバ」と名づけよ、と言ってきた。父親は父親で勝手なことを考えているわけである。

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