鶴ヶ島市が炎上!? 小中学生のゴミ出しボランティアはやりがい搾取か
鶴ヶ島市議会に対して情報公開請求をした記事の続きを書こうと思っているのだが遅くなっている。
暑さで体調をくずしていたり忙しかったりでグズグズしていたら、鶴ヶ島市がXで炎上しているのを見つけた。
炎上の火種と見られるツイートが記事執筆時点(2024年7月11日3時)で、リプライ660、リポスト1.2万、いいね3.8万、インプレッション(表示数)670.7万になっている。
他にもこのツイートを引用したいくつかのポストが多くの反応を呼び寄せている。
たとえば東京都大田区議による引用ポストは3.8万インプレッション。
まとめサイトである「ハム速」にも掲載された。
我が町鶴ヶ島が炎上しているのは見過ごしておけないので、何が起こっているのかを記録しておく。
何が問題視されているのか
炎上の元になったポストを改めて確認してみる。
鶴ヶ島市では「小中学生をボランティアと称して朝からこき使って」いることに、ポスト主は「めちゃくちゃ違和感」を持っており、(鶴ヶ島市は)小中学生に「金払え」と言っている。
このポストには、ゴミ出しボランティアを呼びかけている鶴ヶ島市社会福祉協議会のサイトのスクリーンショットとともに、ご丁寧に電話番号など連絡先も添えている。問い合わせを促しているものと見られる。
また、いらすとやのイラストを使って、少数の若者が多数の高齢者を支えていると伝えている。
このポストに、どのような反応が寄せられているのか、目についたものをいくつか紹介する。
先に示したように、リプライや引用ポストは、派生ポストも含めると膨大にあるので、興味のある方は元ポストから辿ってみてほしい。
批判の多くは、児童・生徒を無償労働させている点のようだ。他には衛生的に問題がある点や、ガラスなどの割れ物で怪我をするリスクなどが多く目にとまった。
ゴミ出しボランティアとはなにか
では、問題視されているゴミ出しボランティアとはそもそもどういったものなのか、確認してみる。
(web魚拓: https://megalodon.jp/2024-0711-0153-33/https://www.tsurusha.or.jp:443/中学生ゴミ出しボランティア)
まずおさえておかなければいけないのは、この活動は『社会福祉法人 鶴ヶ島市社会福祉協議会』が呼びかけている点だ。行政としての鶴ヶ島市ではない。社会福祉法人、民間団体だ。
社会福祉法人とは、厚生労働省のサイトをみると「社会福祉事業を行うことを目的として、この法律の定めるところにより設立された法人」と定義されている。
社会福祉協議会は、たとえば災害が起きた際にボランティア情報を発信したり、募金を呼びかけたりしている。他にも車いすの貸し出し、手話通訳の派遣、障害者生活介護施設の運営、地域福祉活動の推進、生活相談など、活動は多岐に渡るようだ。https://www.tsurusha.or.jp/_files/ugd/60527a_4f8c557ae75b45a3b3b37f185425fe60.pdf
今回の批判のなかで、鶴ヶ島市や鶴ヶ島市議会に対するものがみられたが、批判の対象が的外れである。
ボランティアの強制性
批判のなかには、小中学生が無理やりやらされていると受けとっている人もいた。
しかし、このゴミ出しボランティアは任意である。動画の中でも紹介されているが、学校で教員が呼びかけ、それに呼応した児童・生徒が自ら望んで参加している。
これがクラス全員で参加するのが常態化しているのであれば、いかに任意であっても空気による実質的な強制力が働く懸念がある。しかし現時点では参加者もさほど多くなく、空気による強制性もなさそうだ。
ボランティアに金を払うべきか
「ボランティア」はもともと「志願」という意味の言葉であって、かならずしも「無償」を意味しないことは広く知られるようになってきた。
東京五輪の際に、多くの生徒がボランティアとして無償で汗を流したことには、個人的に強い違和感を持った。生徒たちにとっては貴重な体験になった一方、やりがい搾取の批判は免れないような体制であった。労働契約を結べないとしても、敬意と感謝を示す意味で謝礼金を支払うべきだったとおもう。
しかし、すべてのボランティアが有償であるべきとも思わない。地域の住民同士ができる範囲で支え合わなければ、社会を維持していくことは困難である。地域活動にも対価として金銭を支払うことが当たり前と考えるのは、資本主義に毒されすぎているように感じる。あくまでケースバイケースで考えるのが良いだろう。
ゴミの収集は市が行うべきか
「こどもにボランティアでやらせるのではなく、ゴミの収集は市が行うべきだ」という批判も多かった。
ゴミの出し方、収集の仕方は自治体によって事情が大きく異なるので、市外の人のために鶴ヶ島市について簡単に説明しておく。
鶴ヶ島市では、ゴミの集積所が住宅地のあちこちに設けられている。集積所の管理は基本的には地域の自治会が担っている。
ゴミの収集は基本的に週3回、朝8時30分までに分別したゴミを決められた曜日に集積所に出す。たとえば私の地域では、可燃ゴミは火曜と金曜だ。
集積所に集められたゴミを、ゴミの収集車が巡回して集める。
今回問題視されているのは、家からゴミの集積所に行くことが困難な高齢者や障害者などのゴミ出しを、小中学生のボランティアが担うという点だ。
小中学生にやらせるのではなく市が集めればいい、という批判はもっともだ。
実は鶴ヶ島市には、戸別収集サービスがある。
「高齢者等ごみ戸別収集サービス」という。
対象者の項目に「近隣住民等の協力を得ることが困難な状況にあり」とある。
この「近隣住民」として、地域の小中学生のボランティアが活躍してくれている。
もし、ボランティアがおらず、他の要件をみたせば、市が戸別収集をすることになる。
つまり市は行政サービスとして、ゴミ出しが困難な高齢者のゴミ収集をカバーしているのだ。
これは知らない世帯もありそうなので、市には定期的に広報してもらいたい。
小中学生のゴミ出しボランティアに問題はないのか
批判されている小中学生による高齢者のゴミ出しボランティアだが、強制性はなく、市の戸別収集も行っている。
ボランティアに謝礼を支払うべきかは、意見が分かれるところだろう。ボランティアに謝礼金を「支払うべき」「支払わないべき」という雑な議論ではなく、事情や程度にあわせた検討が必要になる。
「内申書で生徒を釣っている」という批判も複数みられたが、少なくともそのような事実は私が確認したかぎりにおいて見つけられなかった。
ただ、参加したボランティアには「ボランティア証明書」が発行されるようで、これが受験の際に有利に働くと考える生徒や保護者がいてもおかしくない。
しかしそんなことを言ってしまえば、クラブ活動やクラスの中での係など、受験に有利に働きそうな活動はいろいろとある。打算的に動く生徒は昔からいたはずだ。ボランティアだけを問題視するのはバランスが悪い。
今回私が問題を感じたのは2点だ。
まず、当該ゴミ出しボランティアのページに「小中学生ゴミ出しボランティアを活用してください!!」という一文だ。
鶴ヶ島市社会福祉協議会は、小中学生ボランティアとゴミ出しに困難を抱える高齢者の橋渡し的な立ち位置であるはずだ。また、ボランティアは制度ではない。「活用してください」と社会福祉協議会が発信するのは違和感がある。他の言葉を選んだほうが望ましいのではないだろうか。
もう一点、私が感じる問題点は、ボランティアに参加する児童・生徒の安全をどう確保するのか、という点だ。
動画をみると、ゴミは高齢者の自宅敷地内に出され、それをボランティアがピックアップしてゴミ集積所まで持っていくようだ。
動画の中で紹介されていたケースでは、高齢者とボランティア生徒はほとんど顔を合わせることがなかった。関係性が築けていない他人の家の敷地に未成年者が出入りすることで、トラブルに巻き込まれるリスクを心配してしまう。
こう書くと、ゴミ出しを必要としている高齢者をなにか犯罪予備軍のように言っているようで自分でも抵抗感があるが、一般論として他人の敷地内に入ることはゼロリスクではない。万一トラブルにあった際に、誰がどのように責任をとるのだろうか。
社会福祉協議会はボランティアとゴミ出し困難者をつないでいるだけの立場だろうし、市はそもそも関与していない。では、当事者の自己責任論的解決を求めるのだろうか。
ケガをした際のためにボランティア活動保険には加入するようだが、保険でカバーできないトラブルに対処できる体制はあるのか、気になっている。
まとめ
この問題の根にあるのは「世代間の不均衡」なのではないかと、批判を読んで感じた。
現在の日本は超少子高齢社会だ。今年75歳を迎える高齢者が生まれた1949年は約270万人が生まれた。昨年2023年に生まれたのは76万人を割っている。少ない若者で多くの高齢者を支えなければならない。炎上の元ポストにあったイラストはまさにこの逆ピラミッドを表していた。
今の若者には高齢世代の若い頃よりもはるかに高い学費や税金がのしかかり、安定した雇用にはありつけず、結婚や恋愛も一部の人の特権になりつつある。今の高齢者とは違い、年金は必ず損をする制度になっている。未来に希望を持つことは極めて難しい、先の見えない社会状況だ。
それなのに高齢者は若者に対して「今どきの若者は努力が足らない。私の若い頃は…。」と説教をしてくる。
これでは、若い人が高齢者に対し不満を感じ、搾取されていると感じるのも無理はない。先日行われた東京都知事選で、ダークホースだった石丸氏が2位になったのも、若い世代の高齢世代に対する不満の現れではなかっただろうか。
「シルバー民主主義」という本が出版されてから8年が経った。また、最近では新しい差別、第3の差別として「エイジズム」という言葉もよく聞かれるようになった。個人的には危険な兆候だと感じている。
世代間で憎しみあったり奪い合う社会にならないよう、日ごろから異なる世代の人と顔を合わせてコミュニケーションをとるのが良いのだろう。ゴミ出しボランティアがそのきっかけになることを期待している。
鶴ヶ島たろう